Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立大劇場『十二月歌舞伎公演「堀部彌兵衛」「清水一角」「松浦の太鼓」』特別席1階上手寄り

2007年12月22日 | 歌舞伎
国立大劇場『十二月歌舞伎公演「堀部彌兵衛」「清水一角」「松浦の太鼓」』特別席1階上手寄り

2回目の観劇です。前半に観劇した時よりアンサンブルが良くなっていて楽しく拝見。「忠臣蔵」に特に思い入れがあるわけではないけど、それでも知らず知らずどこか「忠臣蔵」の世界観をしっかり埋め込まれている自分に気が付いたりして。人名やら逸話やらが頭に入ってるんですもの。だからキャラクターの配置やらなにやらで、作者の狙いをニンマリしながら観てしまったり。祖父と父のおかげでしょうか(笑)

『堀部彌兵衛』
個人的に宇野信夫の脚本はやっぱりそれほど好みではないです。人物描写がちょっと浅い感じがしてしまう。その部分をかなり役者が埋めていていますが、それでも少々入り込めない部分がありますね。あと演出にメリハリがないのも気になります。どうしても物語に強い吸引力がないので転換がとても間延びした印象を受けてしまう。ただ四幕目の15年後の彌兵衛の場の作りは良かったと思います。

彌兵衛の吉右衛門さん、我侭爺さんのキャラを憎めない雰囲気で演じています。ただ、前半の幕はなんとなく乗り切れていない感じを受けました。特に前半、台詞がかなり危うかったです。彌兵衛の心情に添えきれてないんじゃないかと。その代わり、後半の老武士としての気概の在り様がさすがに鋭く、台詞も聞かせてきていました。

周囲の役者さんたち、吉之丞さん、歌昇さん、由次郎さん、桂三さん、松江さん、吉之助さん(按摩)、先日拝見した時もかなり良いと思ったのですがそれぞれますます良い味を出して吉右衛門さんを助けていました。確実にきちんと場に合った芝居をして来る役者さんたちですね。

隼人くんがだいぶ女形の体を作れるようになってきた感じで女の子に見えるようになりました。

『清水一角』
私はやはりこの作品は好きですね。今回の配役じゃなくても楽めると思う。小品ながら黙阿弥の構成力、人物像の構築力が十分にわかる物語。単純な筋立てのなかに時代背景、人の情と義をしっかり描き出している。こちらの作品、役者のアンサンブルがかなり密になっていました。

一幕目の牧山丈左衛門と同僚対清水一角の対比、二幕目の一角家族の関係、それぞれが密になっていて説得力が増していました。特に一角家族の下級ながら武家として家族の在り様が鮮明。

一幕目は牧山丈左衛門の歌六さんの適度な存在感でバランスがいい。指南役としてのプライドはあるもののイヤなやつに陥らず一本筋を通す男としている。

二幕目は姉お巻の芝雀さんの武家の女としての品格がきちんと保たれたうえでの情愛が、芝居に芯を与えている。一角家がきちんと武士の家であることがお巻から伝わってくる。情だけに流されない品性があるのですよね。それでいながら弟を思う切々したものがある。芝雀さんの立ち振る舞い、台詞廻しがなんとも良いです。

そして弟、与一郎の種太郎くんがやはりきちんと躾けられた武士という前提がしっかり身についたその上で、弟としての健気さが伝わってくる。台詞廻しも感情の抑揚の部分はまだ足りないですがしっかりと伝えようという気構えがあって素直に聞ける。

そして周囲の支えられて清水一角の染五郎さんがのびのびと演じている。台詞廻しがやはりよく工夫されているなと。酔いの部分と正気の部分のメリハリがよく付いていました。酔態はやはりまだ飲みなれていない若さを感じてしまうものの、だいぶ板についてきたかなと。そして酔いのなかに死を覚悟した寂しさと共に信頼しているからこその姉弟に対する甘えがみえて、この男の憎めなさがどこにあるのかが判る感じです。そして陣太鼓を聴く時の鋭さと鮮やかな着替えながらの立ち回りが活きて、観ている側の気持ちも盛り上がります。これから戦いの場に赴く、その悲壮感もありつつの高揚感。十五代目羽左衛門が演じていますが、写真を見るに今回の染五郎さんのように単なる豪放磊落な清水一角像ではなかったんじゃないかなと思いつつ染五郎さんの一角の甘さがなかなかいいなと思う私でした。

小姓役の廣松くんが丁寧に一生懸命演じていて、拍手をもらっていました。大きくなりましたねえ。


『松浦の太鼓』
一幕目の「両国橋の場」がかなり印象に残るようになっていました。其角と源吾のやりとりだけで様々な情景が浮き出てくるようでした。「討ち入り」前の静けさと緊張感がその空気のなかにある。だからこそ二幕目の「松浦邸の場」の出来事がどこかしら納得のいくものになる。きちんと繋がって行く、その空気をしっかり作り上げていました。其角@歌六さんと源吾@染五郎さんの立場が明確に見えてとてもいい場面になっていたと思います。

宝井其角の歌六さんの飄としながらも朴訥さのある作りが、場の心遣いに合っていて台詞のひとつひとつが明確に伝わってきます。このキャラクターを先にきちんと見せたことで、松浦候やお縫に対する言動が活きてきます。無理に年齢を上に見せることなく、要所要所で物語を動かしていきます。歌六さんは元々上手な役者さんですが、近頃は特にその上手さが一際印象的になってきた気がします。

そして大高源吾の染五郎さんの心根の凛とした部分がこれからの運命というものを垣間見せてきます。何か秘めたものがある、それが明快。台詞の伝え方もやはり上手くなりました。三幕目の「玄関先」での美丈夫ぶりも一際舞台に映えていました。討ち入りの語りはもう少し謳い上げてもいいかなと思いますが丁寧に伝えるというほうを今回は大事にしていた感じです。叔父さんの語りの緩急の上手さを少しづつ学んでいっている様子が伺えるのが頼もしい。

彌兵衛の時と違って松浦候の吉右衛門さんがかなりノリノリでした。前回は重さのほうが先に立ち、台詞も重い感じで先走りの気分屋なキャラクターだけにちょっとそこの知れない怖さがあったのですが、今回は表情、台詞ともにメリハリがあって可愛らしい茶目っ気の部分のなかに武士道としての義憤がある感じ。かといって60石を束ねる大名としての格も失わないのが、吉右衛門さんらしいです。私は今回のほうが気持ちよく松浦候という人物を観ることができました。

お縫の芝雀さん、ますます可愛らしい。楚々とした雰囲気がほんとに良いです。また心配りの細やかさがよく見えて誰にでも好かれる女性としてしっかり存在感がありました。

松浦候の家来六人衆もまとまりが出ていて良かったです。

歌舞伎座『十二月大歌舞伎 昼の部』 3等B席上手寄り

2007年12月15日 | 歌舞伎
歌舞伎座『十二月大歌舞伎 昼の部』 3等B席上手寄り

『鎌倉三代記』
4年前の雀右衛門さん、菊五郎さん、幸四郎さんの配役で初めて『鎌倉三代記』が面白いと思って、また見たいなと思っていた演目でした。この時とつい較べてしまって少々物足りなさが…。まあ雀右衛門さんはこの頃、最後の華を咲かせていた時期だったから。あの域に達してる赤姫を求めてはいけませんね。あんなに可愛らしくて、全身から三浦之助さまラブなオーラの時姫は今度いつ誰で見られることやら。

さて、今回、三浦之助の橋之助さんが半端なく美しかった。特に最初の出が、こりゃ期待大って感じでした。終始丁寧に演じてるし、ニンだと思うし、悪くない、むしろ最近の橋之助さんなかではかなり良い感じ。なんだけど何かが足りない。台詞かなぁ、なんだかきちんと状況が伝わってこないところがある。

時姫の福助さん、声がやられています~。風邪をひいて気管支をやられたと聞きましたが喉がまだ本調子じゃないみたい。あと、今現在の福助さんは時姫はニンじゃないかなあという雰囲気も。ただ、くどきの形、姿は本当に美しいのよ。福助さんの場合、時姫のような赤姫系はもう少し年齢いってからのほうが良い気がする。

藤三郎実は高綱の三津五郎さん、相変わらず上手いです。藤三郎のひょうきんな三枚目も似合うし、正体現してからの大時代な様式の形の綺麗さも見事。今回は高綱を古風な芝翫型で演じていらっしゃいます。珍しいな、という感じで、面白かったです。ただ個人的に三津五郎さんは技巧的な多見蔵型のほうが似合う気がします。高綱から巧緻に長けた策略家って感じがあんまり伝わってこなかった。


『信濃路紅葉鬼揃』
同じ能掛かり『船辨慶』の時よりは楽しめたかな。侍女を引き連れてるから絵面的に華やかだから、ってところで、ですが。前回の『船辨慶』同様、歌舞伎舞踊には消化されてない中途半端な感じ。能掛かりの良さが出てるとはちょっと言いがたい。玉三郎さんって、声質も動きも能は合わないと思うのよね。しなやかさを生かす方向での振り付けにしたほうが良いと思うのだけど…。それと鬼女になった時、かなり小さく見えた。鬘のせいかなと思ったけど、あの振り付けも合わないんじゃないかと思う。

それにしてもなぜ従者がすぐに引っ込むんで二度と出てこないのか?これがよくわからない。酒盛りのとこでも、侍女が上手にそのまま惟盛と並びでいたりでそれはちょっと違うんでない?と位置が変だったり。舞踊劇の「劇」の部分で納得いかない動きや位置があって…とりあえず舞踊ショーって感じでした。見せ場はあるけど、トータルの振り付けに納得いかない。

衣装は綺麗でした。侍女もそれぞれ違う色柄で個性あり。でも笑也さんと春猿さんが同じ橙色で隣り合わせに並ぶのでここだけバランスが悪い。違う色にできなかったのかしらん。笑也さん、久々に拝見したんですけどとても可愛い。あら?こんなに可愛いんだっけ?と思いました。

山神の勘太郎くん、さすがのキレ。やっぱ踊りが上手い。でも山神だけ衣裳も所作も台詞回しもあくまでも歌舞伎舞踊。ここだけいきなりえっ?なんで?という感じでした。


『水天宮利生深川』
この物語は明治という時代にうまくのっていけない元武士の家族の悲喜劇。貧乏で生活が立ち行かないまでに追い詰められた男の話なのでかなり暗いです。でも黙阿弥さん、やっぱり上手いよなあとまずは物語に感心する私。私は黙阿弥さんの時代描写、人物描写の視点がたぶん好きなんでしょう。本当によくその「時代」というものを活写している作家だと思います。そして「その時代」の端に生活する人々を拾い上げ、時にヒーローに、特に等身大に描く。

最近では幸四郎さんがやった演目ですね。世知に疎い元武士で品格はあるけど融通がきかず自分で自分を追い詰めてしまう、っていうキャラがいかにもニンというかピッタリで。それだけリアル感があって、陰々滅々「可哀相な暗いお話」だけにラストの無理矢理なハッピーエンドにホッとした記憶が。

そして今回は勘三郎さん。この方は芯が明るいし、柄からいっても元武士いう部分があまりなく世知に疎くて時代に取り残されてのリアル感はありません。この人なら、なんとか生活していけそう、という根の強さが感じられるのです。でも、あまりに陰々滅々な物語ってちょっと見るのが辛いので、そういう部分で世話物として気持ちよく観られ、気分が重くなく劇場を後にできるのは勘三郎さんのほうです。核になる役者が陽性なので長屋での隣近所同士の絆の強さとか、そういうものがクローズアップされ、ノスタルジィー性を感じさせます。今の世の中、勘三郎さんの芝居のほうが受け入れられるだろうな、と思いました。

勘三郎さんは自分の「陽」の部分をことさら強調することなく、台詞のひとつひとつを伝えようとする丁寧なお芝居でした。狂気に陥る部分も、勘三郎さんの身体の底には正気にいつか戻れるという強さが見えるためその言動のおかしさにかえって「悲哀」を感じさせる。また幸四郎さんだと変な怖さを感じさるのだけど、勘三郎さんのは「笑っても大丈夫」という救いがある。それと全体的に勘三郎さんがそこにいるだけで、周囲の人間との関係性や下町の空気が伝わってくる。やはり世話物の芝居の上手い人だと感じ入りました。

しかし狂気に陥る前の、追い詰められ子供に手をかけようとしてかけられないシーンで観客から笑いが起きるのは私には解せない。ここの幸兵衛@勘三郎さんの哀しみはしっかり観客は受け取るべきだろうと思う。

国立大劇場『十二月歌舞伎公演』 3等3階下手寄り

2007年12月09日 | 歌舞伎
国立大劇場『十二月歌舞伎公演「堀部彌兵衛」「清水一角」「松浦の太鼓」』3等3階下手寄り


今月国立は複数回観劇なので初回はいつものごとく3等天井桟敷からの観劇です。2等3階席には女子学生が大挙して座っていました。鑑賞教室だったのでしょうか。彼女たちは皆大人しく観劇。興味深げに乗り出して見てる子、速攻寝てしまう子、途中からチラシで役者名を確認しはじめる子などなど。全体的には『清水一角』が見やすかった模様。わりと乗り出しぎみで見ていた人多数。今回3演目とも台詞劇に近いなか、この演目が一番動きがあるし、若い役者が出てるほうが興味が惹かれるのかしら。

今月は忠臣蔵外伝と称して、忠臣蔵にまつわる昭和、明治、江戸の作品が並んでいます。作画方法、演出方法の違いを見るのも面白いかも。

『堀部彌兵衛』
昭和の作品です。初代吉右衛門に宇野信夫が当てて書いた作品。宇野信夫って人は人物をわりとシニカルな視線で描く人かなと思うんですが今回の作品もそうかな。どこか真っ直ぐじゃないんですよね。

淡々と進む台詞劇です。高田馬場の決闘のシーンも一幕目にあるのですがここの部分、臨場感がないのが残念です。次の幕への場面転換もダレます。もっと何か演出方法を考えたほうがいいかな。二幕目以降の演出はよく考えられていますし、台詞がしっかりした役者が揃っているのでダレることはありません。それだけに一幕目がもったいないです。

主人公の堀部彌兵衛ですがかなり我侭じじいです。三谷幸喜さんが書いたパルコ歌舞伎『決闘!高田馬場』の迷惑わがまま弥兵衛じいさん@勘太郎くんに繋がるものがある…。パルコ歌舞伎で笑わせるためのキャラのためにああなってるかと思ってたんですが、すでに我侭キャラとして存在していたのかと…(笑)それとも頑固な年寄りって、一歩間違えればただの我侭キャラになるということなのか。嫌みな我侭ではないので「おいおい」と突っ込みしながら笑えるんでいいんですけど。まあある意味、吉右衛門さんのキャラに合っているともいえました(笑)

彌兵衛の吉右衛門さん、なんだか不思議とすんなりと、いそうだなこういう爺さんと思わせる。また頑固一徹がラストの切なさに繋がったりもするところが吉右衛門さんの上手さでしょう。今回少し台詞が危うかったです。「あー、うー」が頻繁でしたが爺さんキャラなのでそれはそれでOKという感じでした。

妻たねの吉之丞さんが素敵でした。この方の品の良さとさりげなくも深い情の在り方が本当に素敵。この時代の武士の妻としての佇まいなのよね。ラスト、彌兵衛に槍と手渡すシーン、なんともいえない。最後の別れを覚悟したすべてを呑み込んだ別れの表情です。若い役者さん、こういう佇まいをぜひ吸収していってほしいと思う。

安兵衛の歌昇さん、真っ直ぐな感じがよく似合ってて、安兵衛にしては少々生真面目すぎるかなと思う部分もありますが、吉右衛門さんとの台詞のやりとりでの間がよく存在感がありました。

住持丈念の由次郎さん、おとぼけでいい味を出されていました。ほんわかしていて、彌兵衛の我侭をうまく調和してくれていました。

半田判右衛門の桂三さん、落ちぶれた浪人で情けないのですが親としての情と武士としてのプライドの両方をしっかり持った人物像を描き出していました。

寺坂吉右衛門の松江さん、らしさがあってとても良かったです。日常という風景から「討ち入り」という非日常に流れを動かす役をしっかりこなされていました。

娘さちの隼人くん、丁寧に演じていました。男の子だなあという感じではありましたが可愛らしかったです。にしてもさちはちょっと可哀相ですね…九段目の小浪より悲惨。


『清水一角』
黙阿弥作の作品。珍しく吉良側の人物たちの物語。某評論家はこの物語をけなしていますが、私はさすが黙阿弥、よくできた物語だと思いました。芝居としてのまとまりもあるし、義太夫の入り方も上手い。そしてなによりいつの間にや大酒飲み剣豪として愛されキャラになってしまった清水一角という人物像を「どう見せるか」という部分でかなり上手い脚本だと思う。深く物事を見る鋭い頭を持ち、かつ剣の達人、だけど大酒飲みという弱点を持ち合わせている。庶民に愛されるいかにもなキャラクターを討ち入り当日に凝縮して見せる。そして信頼しあっている家族模様を描きこみ、「義」を全うさせるのは何も赤穂浪士だけじゃないという、その描き方が黙阿弥。

牧山丈左衛門の不審も討ち入り当夜にしたこと自体、盛り上げるのに理に適っている。清水一角がスパイだと不審に思えば探りにも来るだろうし、そこに陣太鼓が聞こたからこそ、確信をもってあそこで立ち回りができるのだ。劇作家としては上手いこと考えたとほくそえんだだろうと思ってしまう。で、やはりここで吉良側の武士同士の「義」も見せちゃうのよね。いやあ、やっぱり黙阿弥上手いよ!黙阿弥って筋を通す作家だなと思ったのは姉の小袖。きちんと「清水一角が自宅にいてそこから吉良家に駆けつけた」というファンタジーに理を与える。しかも泣けるエピソードになってるのよね。あくまでも『清水一角』のなかの清水一角はヒーローなのだ。どんな人物でもヒーローにしたて、実在の人物を彼流の創作のなかの人物として活き活きと活写する。また家族の描き方など時代に敏感な黙阿弥ならではの作品かと思う。


清水一角の染五郎さん、染五郎さんはダメぷりのなかに芯をみせる役、上手いですね。酔態は少々若いなあと思いますがその代わり台詞回しにはかなり工夫してきていました。酔いの雰囲気を台詞のリズムで聞かせます。これがまた心地よく耳に届いてきます。黙阿弥の台詞の上手さを台詞術として聞かせてきて、かなり良いと思いました。姉と弟に迷惑をかけていてもなんとなく憎めない可愛らしさもあります。そして陣太鼓を聞き、酔いから醒めてからの一角がかなりカッコイイです。眼光鋭くなり、動きが素早くなります。そして着替えながらの立ち回りの決まりの大きいこと。そして袴を蹴り上げての着付けが綺麗に決まり拍手喝さい!客席も大盛り上がりでした。

牧山丈左衛門の歌六さん、どっしりと構えていて「先生」と言われる存在感があります。歌六さんて「この人はこういう人物だったのかも」と思わせるキャラ作りが上手いです。牧山丈左衛門は少々思慮が浅いものの憎まれ役でもなく非常に難しいキャラクターだと思うのですがきちんと一本筋の通った人になっていました。しかし、染五郎さんと歌六さんコンビ、何気にいい芝居を作ってきていますねえ。相性が合うのでしょう。

姉お巻の芝雀さん、キリッと芯のある女性で素敵です。弟たちのため、しっかり家を支えている女性というのが見えてきます。お小言も相手を思ってのこと、その優しさがある。単に厳しいだけのお小言じゃないんですよね。こういうところは芝雀さんの持ち味だと思います。また地味な拵えなんですが存在感がしっかりと。芝雀さんがお巻をやってくださったおかげで芝居に芯ができたと思います。

与一郎の種太郎くん、一生懸命さがけなげな弟というキャラクターに合ってて良かったです。台詞のうまい役者のなかで演じているので少々台詞が一本調子なのが目立ってしまいましたが爽やかな持ち味で素直さがいい方向に出てたと思います。(しかしさすがに来年の国立での保名は早すぎだと思いますが…誰が配役したのだろう…)


『松浦の太鼓』
明治の作品です。初代吉右衛門の得意演目で『秀山十種』にもなっています。

松浦鎮信の吉右衛門さん、気分屋で少しばかり我侭だけど、殿様としての重厚さ武士としての道義を見据えている松浦侯でした。表情がコロコロ変わり、我侭ぶりが可愛らしかったり、時々底が見えなかったり。吉右衛門さんならではの複雑な人物像でした。仇討ちを待ちわびるのは松浦侯なりの武士としての道を見据えているからのようにみえました。ただそれをミーハー心のなかに隠し茶目っ気を持って人を試している、そんな感じ。どこかしら人を試す鋭い心持が絶えずある。我侭、茶目っ気がどこかしら重い感じがするのはこのせいか。個人的好みからするともう少しストレートな単純さのある茶目っ気のほうが好きかな。確かに仇討ちは重いものですが、「あっぱれ」と褒め称える時にもう少し爽快感が欲しいです。

宝井其角の歌六さん、歌人として飄とした味わいと心根の優しい朴訥とした雰囲気の両方が感じられ、とても良かった。明快な台詞術で源吾と松浦侯の真意をさりげなく浮き彫りにしていく役目をこなしていました。ほんとに上手い役者さんです。

お縫の芝雀さん、楚々として品が良い。そして可愛らしいだけの腰元ではなく気配りがきき、しかも自分の立場をよくわきまえた芯のある女性。また舞台上では紅一点の華やかさもありました。

大高源吾の染五郎さん、静かな佇まいのなかに何かを秘めているという風情がありました。下の句を付ける時の意を決意した表情がよかったです。身をやつしていても背筋をピンと伸ばして生きる凛とした部分がみえます。とはいえ、凛としすぎて尾羽打ち枯らしてるように見えない、という部分もあり。「玄関先」で仇討ちを果たし勢い込んで駆け入ってくる源吾の姿は晴れ晴れと美しい。語りの部分は台詞の調子がとてもよく、きちんと聴かせてきます。台詞廻しの緩急の付け方が一際上手くなってきたような感じがしました。