Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

新宿文化センター大ホール『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 特別公演 「私と踊って」』

2010年06月12日 | 演劇
新宿文化センター大ホール『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 特別公演 「私と踊って」』A席2階センター

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の特別公演『私と踊って』を観て来ました。ピナの作品を観るのは『カフェ・ミュラー』『春の祭典』『パレルモパレルモ』に続いて4本目。

1年前にピナは亡くなりました。その喪失をこの作品で改めて思い知った感じ。ピナにはもっと早くに出会いたかった。でも私は彼女が生きているうちに彼女の作品と彼女のダンスに出会えたことに感謝すべきなのだろう。ピナの作品は私の心にそして身体に響く。ヒリヒリした痛みと生きていく切なさと。追悼公演という意識もあったのか、観ていて涙がこぼれた。ピナは人の痛みを表現する。怒り、哀しみ、切なさ、そいうものを包括したうえで「ただ生きること」を作品にした。激しくも静謐。そのなかでユーモアを忘れないのも素敵。

『私と踊って』はかなり初期のほうの作品だけあってシンプルで力強さがある作品だった。男女の愛情のすれ違いを主題にしつつも、それだけに収まらない。暴力、精神的抑圧を受けながらも相手を求める女達、また反対に男達もどこか不安を抱えその不満、欲求を相手に求める。そのコミュニケーションの断絶への怒りと哀しみに彩られ、不安定な世界に立っている。逃げようとしても逃げられない、逃げたくない。「どうか私と踊って」と絶えず求めていく、その姿に、あがきながらも人は人と関係していかなければ生きていけない弱さと、ただ生きることへの力強さとの両方がある。人が生きていくことへの絶望、不安、希望、願い、そんなものがただそこに提示される。考えて、感じて、そう言われているかのようだった。

ピナの境界線ギリギリな相反するものを統合する視点はなんだろう。不安と希望とそれがいつでも等価としてある。ひどく私的な視点、感覚ながらそれを見事に普遍的なテーマとして昇華させ作品として提示する。

それゆえか、ピナの不在の大きさを今回のダンスのなかにどことなく感じた。ピナの世界をそのままの形にして残すことは無理なんだなと。でもダンサーたちの伝えようという気持ちは強く伝わってもきた。ピナの精神を伝えよう、そこに集中していたんじゃないかな。今後、ヴッパタール舞踊団がどうなっていくかわからないけど、今回彼らでこの作品を観られたことに感謝。そして改めてピナの作品に出会えたことにひたすら感謝。

ピナの凄さは人の醜い部分をすべて身の内に包みこんでいったって部分だな。怒りの表出があれほど激しく鋭いのに、その怒りが美しく感じるのはそのせいだ。世界を愛しむことができた人だ。 ピナの視点の在り様は普遍的なもの。でも私にはその視点そのものには独特なものを感じる。何が?と問われても説明できなんだけど。

繰り返し繰り返し繰り返し、そこに不安もあるけれど、エネルギーもある。

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『私と踊って Komm tanz mit mir』(1977初演)
振付・演出: ピナ・バウシュ
美術・衣裳: ロルフ・ボルツィク
音楽: 古いドイツ歌謡より
リュート伴奏、独唱、合唱