自信が持てないのは、幼いころから劣勢で、特に慎重や体重、言葉、勉強などが顕著。
そのため、常に「ビハインド感」がある。
また、人から誇大に評価され、裏切ってしまい、その後人とのかかわりが変わることも、経験から心に残ってる。
例えば
「君ならできる」と言われても、一番解ってるのは自分。それ絶対できないと主張しても、大丈夫と祭り上げられ、挙句、
出来なくて、周りのムードが変わる。
運動、スポーツも。
自信のない水泳で、飛び込みなんかできないのに、大丈夫と言われ、勝手にリレーメンバーになり、飛び込んだが気を失いかけ、溺れたため、チームが失格で顰蹙買ったり。
野球が苦手。絶対無理なのにピッチャーを任され、結果崩壊してしまい、周りが口きいてくれないとか・・・
周りが大丈夫とみても、人より大きく劣ることがあり、それが自信の無さにつながる。
今のたとえは子供のことだから、今の自分に引きずるのもどうかと思うが。
大人になり、そういうことが少しは減り、ここんところのADHD治療で大きく変わったものの、どうも、根元からある、不器用さとかが人生に影響してるのは確かだ。
だからこそ、スペシャルなことや、人を見返すことをやりたいんだが、それって「ええかっこしい」であり、そういうのは叶わないものだ。
いま、忙しくなり、自信をもってやれるものなはずだが、どうも、「何か違う」という違和感があり、気持ちが前に進まない。
コロナだ、金欠だ、3月はなやましいこともあったが、いい加減にエンジン掛からないとという焦りが出てきている。
その際も、なにか小さな「自身の無さも」も消極的にするもので。そこはどうにか克服したいものだ。
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