晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「ディーパンの闘い」(15・仏) 80点

2016-06-23 16:43:44 |  (欧州・アジア他) 2010~15
 ・ リアリズムを超えたオーディアールの世界。




 フィルム・ノワールの鬼才、ジャック・オーディアールの最新作。「サウルの息子」「キャロル」を押しのけカンヌのパルムドール(最優秀作品)を受賞している。

 スリランカ内戦のLTTE(タミルイーラム解放の虎)兵士の主人公。妻子を亡くし、名前をディーパンと変え見知らぬ女と少女とともに疑似家族となってフランスへ亡命する。

 難民審査を潜り抜け、パリ郊外の団地に落ち着こうとするが、麻薬取引の犯罪拠点でもある治外法権地域での暮らしに新たな難問が立ちはだかってくる・・・。

 紅茶の国・スリランカは元英国領でフランスとは馴染みが薄いのでは?と思ったが、主人公ディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンはスリランカから亡命したフランス在住の作家で、19歳までの3年間LTTLEの兵士だったというからリアリティあるキャスティングに驚く。

 出国審査官から「今から君らは家族だ」といわれた見知らぬ3人。元兵士で堅物のディーパンと英国在住の従姉妹のもとへ行きたい民間人・ヤリニとはなかなか打ち解けない。子供を持ったことがないヤリニは9歳のイラヤルへの接し方が分からない。

 3人夫々の接し方がどのように変化していくかが中盤の見所である。

 管理人として黙々と働くディーパン。ヤリニは老人の世話をする家政婦として働き始め、同居する甥のブラヒム(バンサン・ロティエ)の優しさに好意を持つ。ブラヒムの哀しみと諦めを秘めた麻薬売人が魅力的で等身大の人物像が滲み出ていた。

 徐々に馴染んで家族らしくなってきたときに起きた発砲事件。ヤリニは2人を置き去りに英国へ行こうとするが、力ずくで呼び戻すディーパン。元兵士だった闘争本能が現れ団地の管理人から「平和を求めるために闘っている・兵士」に蘇る。

 ホームドラマから一転アクション映画へ変わっていくようなダイナミックな終盤のバイオレンスな描写は任侠映画に似た展開。評論家には賛否両論があってパルムドールに相応しくないという評価も多かったが、筆者はカタルシス満載のラスト10分間がお気に入り。

 「預言者」(09)でアラブ系フランス青年の孤独と成長の物語をサスペンスたっぷりに描いたオーディアール監督。本作も人種問題にとどまらず、難民・移民に寛容な国フランスが受け入れ後に抱える諸問題を浮き彫りにして、他者との関わり方、家族の在り方を問うエンタテインメント作品だ。

 新鋭ニコラス・ジャーの音楽が流れるエンディングは現実か?それとも幻想か?筆者にはレクイエムに聴こえた。

 

 

「サウルの息子」(15・ハンガリー)85点

2016-06-20 12:24:06 |  (欧州・アジア他) 2010~15

 ・ 「死者のために、生きている者を犠牲にするのか!」




 アウシュビッツ解放70周年を記念して製作されたハンガリー映画。44年10月アウシュビッツ=ビルケナウ収容所2日間の出来事を、死体処理に従事する主人公サウルの行動を通してその実態を描いた。監督・脚本は38歳のネメシュ・ラースローで長編デビュー作。

 サウルはハンガリー系ユダヤ人で、ガス室で生き残った少年が処殺されるのを目撃。ユダヤ教の教義で正しく埋葬するため奔走する。同胞から「お前に子供などいない」と云われ「妻との子ではないが、自分の息子だ」というサウル。

 冒頭・同胞の言葉は筆者の疑問でもあった。

 予告編が終わると画面が4:3のスタンダード・サイズに。視界が狭い画面に現れる沢山の人々の騒めきとともに現れたサウルに焦点が当たり、彼の境遇がゾンダーコマンド(特殊部隊)であり、ガス室へ送り、死体焼却、衣服の処分、ガス室の清掃、遺灰の廃棄を担う死体生産工場の作業員だと判明する。

 背中の赤いバツ印がその証明で、数か月後に殺される運命にあることも。
 画面は背中越しにサウルを追い、周辺の映像はボヤケて良く見えないが、様々な言語・扉を叩く音・叫び声・ブラシの音などでその光景は十二分に想像できる。全体が灰色の世界なのに、時々映る肌色が益々悲壮感を募らせる。

 サウルは極限状態で生き延びるために人間の尊厳を捨てざるを得ない生き方を選んでしまい、武装蜂起を狙う同胞の足を引っ張るような少年の埋葬に躍起となる。

 人間が死んだら教義に則りそのまま埋葬しないと死者は復活できないと信じられているユダヤの教え。サウルにとって人間の尊厳を取り戻すためにやらなければならない唯一の行動だったのだろう。

 最後の笑顔は<未来へ希望を託す微笑み>だった。

 祖父母を収容所で失ったラースロー監督は、今までのホロコーストを罪深さを強調する物語に納得が行かず、調査を重ね<事実を書き残しビンに埋め、隠し撮りしたピンボケ写真>の資料を手掛かりにシナリオを書き上げたという。

 ここにはナチスの残虐さを殊更強調したり、反乱の英雄は登場しない。ナチス協力者であるカポ(囚人頭)やゾンダーコマンドという加害者でもあり被害者でもある人々のなかで繰り広げられた人類最大の汚点を生々しく描いている。

 難民問題や人種差別を抱える現代への警鐘でもある本作はカンヌ・グランプリ(審査員特別賞)とアカデミー外国語映画賞を受賞した。

 カンヌ・パルムドール受賞作品「ディーパンの闘い」との2本立てで鑑賞した筆者にはとても重い107分だった。

 
 
 

                      

「革命児サパタ」(52・米) 70点

2016-06-11 12:40:29 | 外国映画 1946~59

 ・「ひとりひとりが強くなれ。自分たちの土地を守るんだ!」



 20世紀初頭、メキシコ革命で英雄パンチョ・ビリャとともに活躍した農民出身の革命家エミリアーノ・サパタの言葉。

 ジョン・スタインベックの脚本をエリア・カザンが監督、マーロン・ブランド主演と聞いただけで純文学の香りが漂う名作に違いないと想像、期待が膨らむ。

 19世紀後半からディアス長期政権は農民や都市労働者に圧制を強いた独裁政治が続いていた。サパタは土地と自由を求めて亡命政治家・マデロと呼応してディアスを追放する。

 その後政権はマデロから旧政権ウェルタに移るが、再び諸州が立ち上がりパンチョ・ビリャ将軍がウェルタを倒し、政権闘争は目まぐるしく動いて行く。

 マデロと土地改革で意見が合わず、一旦南部で農民運動に戻っていたパサダは、兄ユーフェミオ(アンソニー・クイン)やフェルナンド、パブロなど同志とともに農地改革に同意したビリャ将軍と手を組み、表舞台へ再登場する。

 歴史はときに必要とされる時期だけ彗星のように現れ、役割を終えるとあっけなく消えて行く英雄が登場する。本作は、人間的には魅力的だが暴力しか手段を持たない無教養で粗暴な男の悲劇性を見事に描いて見せてくれる。

 南部の農民出のパサタは北部の軍人ビリャの陰に隠れ、革命史のなかでも際立った存在ではなかったが、本作でその悲劇性や農民たちに慕われた人物として一躍浮かび上がらせることとなった。

 パサタを演じたM・ブラントは一介の農民から大統領へ就任した民衆の心に伝説を残した風雲児を全身で表現。前年「欲望という名の電車」、「波止場」(54)とともにE・カザン監督の期待に応えた。

 兄ユーフェミオに扮したA・クインが、貧しい境遇から栄光を勝ち取った人間の権力への執着ぶりを外連味なく演じオスカー獲得(助演男優賞受賞)を果たしている。

 豪商の娘で妻になるジーン・ピーターズの野生美が際立っている。のちにハワード・ヒューズと結婚し引退してしまい、銀幕に戻らなかったのが勿体ない。

 赤狩り騒動に巻き込まれ揺れ動く心情の内で本作を監督したE・カザンにとって、圧巻のラストシーンが印象的な<同志に裏切られた悲劇の英雄を面影に留める作品>となった。
 

「寒い国から帰ったスパイ」(65・米) 80点

2016-06-09 16:10:58 | 外国映画 1960~79

 ・「飛び降りろアレック 飛び降りるんだ!」



 イギリス情報部出身で<007>シリーズのイアン・フレミングとは対照的なシリアスなスパイ小説家ジョン・ルイ・カレ。「テイラー・オブ・パナマ」(01)、「ナイロビの蜂」(05)、「裏切りのサーカス」(11)など映画化されているが、本作が初の作品。製作・監督はマーティン・リット。

 リチャード・バートン扮する英国諜報員の主人公アレックス・リーマスが、ベルリンの壁をよじ登って西側に逃亡する瞬間、元諜報員ジョージ・スマイリー(ルパート・デイヴィス)が叫んだシーン。

 リーマスは東西冷戦中のベルリン主任情報員だったが、本国に呼び戻され東独情報部副長官・ムント(ペーター・ヴァン・アイク)の失脚を狙う管理者(シリル・キューザック)から潜入捜査を命じられる。

 身元を消すため図書館員となって、暴力事件や金銭不払い事件を起こした末、刑務所へ収容される。図書館で知り合った恋人ナン(クレア・ブルーム)とも別れ、幾人かの仲介を経て東独入りする。
 
 この辺りの流れは目を凝らしていないと、次から次へと登場する人物が敵か味方かがちょっと解りにくい。

 リーマスはムントの部下でユダヤ人のフィードラー(オスカー・ウェルナー)に接近、ムントが二重スパイであることを暗示する。

 聡明で理想的共産主義者のフィードラーは元ナチ党員で冷酷無比なムントに潜在的な敵意があり、最初は疑っていたリーマスの情報からムントを二重スパイと確信し告発する。

 やがて開かれた査問会ではリーマスが証人として呼び出されるが、思わぬ事態が起こり・・・。

 比較的原作に忠実に描かれたストーリーは、終盤ムントが登場すると冷戦下のスパイたちの運命が国家の思惑で非常な仕打ちを受ける様子をリアルに映して行く。

 R・バートンは当時39歳とは思えぬ老け顔がこの役にぴったりで、オスカー主演男優賞にノミネートされている。結局英国アカデミー賞は受賞したが、本作を含め7回ノミネートされたオスカー獲得はならなかった。前作「クレオパトラ」(64)でリズと結婚し、公私とも疲れ切っていたが、筆者は本作が彼のベストな演技だったと思う。

 共演のC・ブルームは「ライム・ライト」(52)のヒロインから「英国王のスピーチ」(11)でのメアリー王太后役まで息の長い正統派女優。本作でもKEYとなる役柄で、アレックを好きになるシーンが唐突で不自然な気がしたが、ラブストーリーとしても成立していたのは、リズがヤキモチを焼き撮影に反対した程、彼女が魅力的だったから。

 M・リットは脂が乗る時期に赤狩りに遭ったが、ブランクを乗り越え70年代まで活躍した監督。もっと評価して良い人だ。

 陰湿な冷戦下の欧州をモノクロ画面で描いた映像が、個人と国家・組織のどちらが大切なのか?をラストシーンに込めたサスペンスの名作である。 
 

「突破口!」 (73・米) 80点

2016-06-07 17:28:10 | 外国映画 1960~79
 ・「サツは甘いが、組織はお前が死ぬまで追う」



 「ダーティハリー」(73)のドン・シーゲルが、ウォルター・マッソーを起用して製作・監督した犯罪アクション。

 ニューメキシコの片田舎で農薬散布を生業としていた元曲芸パイロットのチャーリー・ヴァリック(W・マッソー)。小さな銀行に押し入って金を奪い逃走しようとしたが、撃ち合いとなって妻と仲間を失う。奪った金は思いもよらぬ大金だった・・・。

 ヴァリックが生き残った相棒の若者ハーマン(アンディ・ロビンソン)に向かって言ったのが、冒頭のこの言葉。
 
 ラロ・シフリンのジャズに乗って一切の無駄がなくテンポよく進む本作は、クールなイーストウッドではなく飄々としたW・マッソーという意外なキャスティングで、ひと味違った小気味良いアクションものに仕上がった。

 組織の黒幕は登場しないが、銀行家のボイルが支店長に金を預け当事者であることは間違いなく、ヒットマンにモリー(ジョー・ドン・ベイカー)を雇い、執拗な探索が始まる。

 見かけによらず?知的で冷静なヴァリック。妻が亡くなると指輪を抜き取り、歯科医のカルテも盗み証拠を残さない周到さ。おまけに相棒と自分のカルテにも・・・。

 ダンディな殺し屋モリーは、目的のためには容赦しない冷酷な男。平然と身障者を突き飛ばしたり、女に暴力を振るうなどしながら、ヴァリックを追い詰める。

 「ダーティ・ハリー」で殺人鬼を演じたハーマン役のA・ロビンソンはモリーにあっけなく抹殺されてしまい、ヴァリックVSモリーの追跡劇が始まる。

 風貌に似合わずヴァリックはイーストウッド並みにモテる。銀行家の美人秘書役のフェシア・ファーは「おかしな二人」のコンビ、ジャック・レモン夫人なのも監督の意図的なキャスティング。

 パスポートの偽造写真家から足が付き、対決したラスト・シーンは複葉機と車のチェイスは当時では斬新なアクションで最大の見せ場。

 D・シーゲルは「ダーティ・ハリー2」を蹴って本作に挑んだだけあって、ウィットに富んだ犯罪アクションの自信作だったが、大ヒットには至らなかった。イーストウッドを起用したら大ヒットしたことだろう。
 

 

 

 
 
  

「サン★ロレンツォの夜」(82・伊) 75点

2016-06-05 12:38:08 | (欧州・アジア他)1980~99 

 ・「知っているだろう?恋と咳は隠せない」

                    

  '44イタリア・トスカーナ地方、ナチ占領軍から逃れ連合軍を探しに出たリーダーのガルヴァーノ(オメロ・アントヌッティ)が、旅の終わりに伯爵夫人コンチェッタ(マルガリータ・ロサーノ)へ伝えた言葉。

 ナチ傀儡政権を支持するファシスト・黒シャツ党とレジスタンスとが争う悲惨な状況にも関わらず、当時6歳のチェチリア(ミコル・ギデッリ)にとって、連合軍を探す旅はまるでピクニックに行くようなウキウキした気分だった。

 スイカを食べたり、大切な生卵に腰掛けたり、米兵からガムやコンドームの風船をもらったりハプニングを体験しながらの旅は続く。

 時には追跡してきた黒シャツ党がカルヴァーノ一行を銃撃する恐ろしい目にあったりするが、母親イヴァーノから教わった呪文を唱えると、突然ローマ軍騎士団が現れ槍で串刺しにして征伐してくれた。
 
 パオロとヴィットリアのタヴィアーニ兄弟が製作したドキュメント「サン・ミニアード'44年7月」を寓話風にリメイクした本作は、「父パードレ、パドローネ」(77)と並ぶ代表作。2人の体験を基にしたこのドラマのチェチリアは分身であり、ガルヴァーノは父親がモデルとなっている。

 聖堂に避難した村人たちが爆破されたり、顔見知り同士が敵味方となっての銃撃戦など、それぞれのエピソードはリアルに描かれ、あっけなく命を失うその悲惨さや虚しさばかりが浮き彫りにされてしまう。

 そこで、チェチリアの視点でロレンツォに捧げる8月10日<流れ星がたくさん見られるときに呪文を唱えると願いが叶う>という諺をもとに描くことによって、いくらかでも緩和させる役割を果している。

 バックに流れる二コラ・ピオヴァーニの叙情豊かなメロディとともに、このヒューマニズム溢れるストーリーは終焉を迎え、お天気雨のラストシーンはあらゆる人々の喜怒哀楽を洗い流してくれそうだが多大な犠牲を伴った内戦は<覆水盆に返らず>。

 ガルヴァーノの述懐は「これが40年前だったら良かったのに。今は歯がないんだ。」これもまた<覆水盆に返らず>だ。