晴れ、ときどき映画三昧

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「サウルの息子」(15・ハンガリー)85点

2016-06-20 12:24:06 |  (欧州・アジア他) 2010~15

 ・ 「死者のために、生きている者を犠牲にするのか!」




 アウシュビッツ解放70周年を記念して製作されたハンガリー映画。44年10月アウシュビッツ=ビルケナウ収容所2日間の出来事を、死体処理に従事する主人公サウルの行動を通してその実態を描いた。監督・脚本は38歳のネメシュ・ラースローで長編デビュー作。

 サウルはハンガリー系ユダヤ人で、ガス室で生き残った少年が処殺されるのを目撃。ユダヤ教の教義で正しく埋葬するため奔走する。同胞から「お前に子供などいない」と云われ「妻との子ではないが、自分の息子だ」というサウル。

 冒頭・同胞の言葉は筆者の疑問でもあった。

 予告編が終わると画面が4:3のスタンダード・サイズに。視界が狭い画面に現れる沢山の人々の騒めきとともに現れたサウルに焦点が当たり、彼の境遇がゾンダーコマンド(特殊部隊)であり、ガス室へ送り、死体焼却、衣服の処分、ガス室の清掃、遺灰の廃棄を担う死体生産工場の作業員だと判明する。

 背中の赤いバツ印がその証明で、数か月後に殺される運命にあることも。
 画面は背中越しにサウルを追い、周辺の映像はボヤケて良く見えないが、様々な言語・扉を叩く音・叫び声・ブラシの音などでその光景は十二分に想像できる。全体が灰色の世界なのに、時々映る肌色が益々悲壮感を募らせる。

 サウルは極限状態で生き延びるために人間の尊厳を捨てざるを得ない生き方を選んでしまい、武装蜂起を狙う同胞の足を引っ張るような少年の埋葬に躍起となる。

 人間が死んだら教義に則りそのまま埋葬しないと死者は復活できないと信じられているユダヤの教え。サウルにとって人間の尊厳を取り戻すためにやらなければならない唯一の行動だったのだろう。

 最後の笑顔は<未来へ希望を託す微笑み>だった。

 祖父母を収容所で失ったラースロー監督は、今までのホロコーストを罪深さを強調する物語に納得が行かず、調査を重ね<事実を書き残しビンに埋め、隠し撮りしたピンボケ写真>の資料を手掛かりにシナリオを書き上げたという。

 ここにはナチスの残虐さを殊更強調したり、反乱の英雄は登場しない。ナチス協力者であるカポ(囚人頭)やゾンダーコマンドという加害者でもあり被害者でもある人々のなかで繰り広げられた人類最大の汚点を生々しく描いている。

 難民問題や人種差別を抱える現代への警鐘でもある本作はカンヌ・グランプリ(審査員特別賞)とアカデミー外国語映画賞を受賞した。

 カンヌ・パルムドール受賞作品「ディーパンの闘い」との2本立てで鑑賞した筆者にはとても重い107分だった。