晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「摩天楼を夢みて」(92・米) 70点

2016-04-29 15:58:39 | (米国) 1980~99 
  ・ 身につまされるセールスマンの人間模様を描いたドラマを豪華俳優が競演!

                   

 ’83年にロンドンで初演されたデヴィッド・マメットの戯曲「グレンギャリー・グレンロス」を自身が脚本を書き、ジェームズ・フォーリー監督で映画化。

 NYの下請け不動産会社リオ・ランチョ社のレーヴィン(ジャック・レモン)はかつて凄腕と言われたトップ・セールスマンだったが、今は入院中の娘を抱え成績不振。

 レーヴィンが社に戻ると本社幹部のブレイク(アレック・ボールドウィン)が成績が上がらないモス(エド・ハリス)、冴えないアーロナウ(アラン・アーキン)らを無能呼ばわり。成績1位は高級キャデラックに金時計、2位はキッチン・ナイフの賞品がでるが、3位以下はクビだと宣告し、3人にハッパを掛ける。

 その頃バーで顧客に人生論で煙を巻きながらセールストークしていていたのが、成績トップで自信満々のローマ(アル・パチーノ)。

 コネで成り上がりの支店長ウィリアムソン(ケヴィン・スペイシー)はマネジメント力は皆無だが、保身力はある。

 詐欺紛いの不動産ブローカーたちのセールスは顧客のためを思っていないのは明らか。こんな5人のトークバトルは全米でのセールス・マニュアルとなっていたとか。筆者には営業経験はないが、身につまされる営業経験者は結構いるのでは?昨今の日本では笑い事ではなく、似たような事例は決して珍しくない。

 本作の見どころは豪華俳優たちの競演だ。なかでもJ・レモンの姑息だが必死な姿は切なく哀愁が漂いピカイチ。

 ウィリアムソンにリベート交渉してまで優良顧客情報を得ようと必死になったかと思えば、顧客への電話は愛想たっぷりに話しかける様子はまさにカメレオン俳優のよう。

 対するA・パチーノは口八丁手八丁のやり手で、平気で嘘をつく自信家役はまさにハマリ役。

 A・ボールドウィンの如何にも冷徹なエリートでパワハラ男、E・ハリスの口だけ達者だが実践できない不満家。A・アーキンのどこでもいそうな目立たない平凡な男など、それぞれのキャラクターにドップリ浸かった演技合戦は見所一杯だ。

 ここではまだブレーク前のK・スペイシーが、のちに「アメリカン・ビューティー」(99)でオスカー受賞したときのJ・レモンに感謝したスピーチは、本作での共演での演技を学んだからだった。
 

 

 

「プリズナーズ」(13・米) 80点

2016-04-28 16:19:18 | (米国) 2010~15

 ・ 目が離せない2時間半のクライム・サスペンス。

                   

 ペンシルバニアの田舎町。感謝祭の夕食会にケラー(ヒュー・ジャックマン)の6歳になる娘が隣人の娘とともに失踪した。警察が拘束した青年アレックス(ポール・ダノン)は10歳程度の知能しかなく、証拠不十分で釈放される。

 ケラーはアレックスが漏らしたひと言で犯人であることを確信するが、指揮を執るロキ刑事(ジェイク・ギレンホール)への不満が募り、自ら一線を超える行動を起こしてしまう。

 アーロン・クジコウスキのオリジナル脚本を、「灼熱の魂」(10)で注目を浴びたカナダの監督ドゥゴ・ヴィルニヌーヴがメガホンを執っている。

 主の祈りから鹿を撃つシーンで始まるこのドラマは、行方不明の少女2人はどうなるのか?もし誘拐なら犯人は?ケラーとロキの2人が事件にどのように関わって行くのか?が描かれ、2時間半の長さを感じさせない緊迫のサスペンス。

 熱心な信仰心を失わず愛娘を救うためには自分の信念で行動を起こすケラーには「XーMEN」シリーズ「レ・ミゼラブル」のH・ジャックマンが扮している。平凡な父がここまでやるか?というシーンに一瞬腰を引くが、これがアメリカ人の正義なのか?

 事件はすべて解決した切れ者のロキ刑事役には「ブロークバック・マウンテン」(05)、「マイ・ブラザー」(09)のJ・ギレンホール。最近の活躍は目覚ましいものがあるが本作もW主役に相応しい好演だ。ゲルマン神話の神の名のエリート刑事は、どうやら異教徒でフリーメイソンの指輪がその象徴。

 神を最上位に置くケリーと国と力は法で守られると考えるロキ。2人のアプローチが交錯しながら事件は紆余曲折しつつ終盤へ向かう。

 鍵を握るアレックスの風貌の変化も驚かされるが、その叔母ホリー(メリッサ・レオ)の神への挑戦する生き方や、隣家のバーチ夫婦(テレンス・ハワード、ヴィオラ・デイヴィス)の小市民的な言動など様々な人間模様が展開され興味深い。

 もし自分が同じことに遭遇したらどうする?という究極の選択に迫られる本作。信仰心を持っていない筆者だが、事件解決に執念を燃やすロキ刑事に共感しながらも、法の限界も感じる作品だった。                    

「さらば愛しき女よ」(75・米) 75点

2016-04-27 11:18:51 | 外国映画 1960~79

 ・ 私立探偵マーロウを思い入れタップリに演じたR・ミッチャムのハードボイルド・ミステリー。

                   

 レイモンド・チャンドラー原作の私立探偵フィリップ・マーロウは、「三つ数えろ」(43 H・ホークス監督、H・ボガート主演)、「ロング・グッドバイ」(73 R・アルトマン監督、E・グールド主演)など傑作があるが、本作はロバート・ミッチャムが孤高のヒーローを思い入れタップリに演じている。監督はディック・リチャード。

 41年ロス、私立探偵マーロウは、安宿からナルティ警部補(ジョン・アイアランド)へ事件のあらましを電話している。それは・・・。

 大男ムース・マロイから、恋人ヴェルマを探してほしいと依頼を受ける。彼は7年前の銀行強盗で8年間服役していたが、行方不明という。

 マーロウに新たな依頼があったのは、翡翠のネックレス買戻し現場の護衛だった。何者かに襲われたマーロウは気絶。気が付くと依頼人は死んでいた。

 ヴェルマ捜索と翡翠ネックレス事件。関連のない2つの依頼ごとが難航するなか、マーロウは命を狙われ、警察に追われながら事件解決に挑む。

 独特な一人称文体の原作に最もイメージが近いといわれる本作。語りも務めるR・ミッチャムは、原作より年長だがタレ目で少しくたびれた雰囲気が、退廃的な夜のネオン街にとてもマッチしている。

 トレンチ・コート、帽子、キャメルの煙草がトレード・マークで183cm86kgの体躯、褐色の髪、茶色の目のマーロウは、彼の好演で私立探偵のひな型として定着した感がある。

 中盤以降登場するグレイル判事の若妻・ヘレン役のシャーロット・ランプリングは当時30歳。いまだに現役として存在感を魅せている大女優だが、この頃は「愛の嵐」(73)のスタイルが余りにも強烈な印象があったひとだけに、タダで済みそうもない。本作でも終盤が読めてしまうのが残念!

 チョイ役だが、夫の判事を演じたのが「ゲッタウェイ」「鬼警部アイアンサイド」の作家ジム・トンプソンだったのも意外なキャスティング。売り出し前のシルベスタ・スタローンが用心棒役で出ているのも一見の価値あり。

 ジョン・A・アロンゾのカメラ、デヴィッド・シャイアの音楽とともに独特の雰囲気を醸し出すこのミステリーは、ジョー・ディマジオの連続安打記録が途絶えたとき事件の終焉を迎える。
 
 
 

 

 
 

 

「夏をゆく人々」(14・伊/スペイン/独)70点

2016-04-24 16:50:53 |  (欧州・アジア他) 2010~15

 ・ 生まれ故郷・トスカーナを舞台に養蜂家の暮らしを描いたA・ロルヴァケル監督。

                   

 イタリアの新進監督のアリーチェ・ロルヴァケルの長編2作目は、彼女の生まれ故郷トスカーナの養蜂家で育った実生活を反映した家族の物語で、カンヌ映画祭のグランプリを受賞している。

 ドイツ移民のヴォルフガング一家は、トスカーナ地方の人里離れた村で昔ながらの養蜂で暮らしていた。一家はイタリア人の妻・アンジェリカと4人の娘、居候のココと女ばかりの家族。

 長女のジェルソミーナは少女ながら昔気質の父から養蜂の手解きを受け、頼りになる存在となっている。

 そんな夏のある日、古代エトルリアの遺跡やご当地産業を紹介するTV番組「ふしぎな国」の撮影隊がきたり、ドイツの少年の更生プログラムで14歳の少年・マルティンを預かることとなり、一家にはさざ波が立ち始める。

 原題のように、<とても不思議な映画>である。柵で囲まれた石造りの家は、世の中から隔離したようにポツリとあって現代社会を拒否する暮らし。

 しかしながら、大切な蜂は近隣農家の除草剤使用の影響で大量に死んでしまうし、食品衛生上の条件をクリアできないと作業停止の処分を受けるがそのためには費用が掛かるという状況にある。

 何よりジェルソミーナが大人へ成長する兆しへの戸惑いがヴォルグガングを苛立たせている。

 ジェルソミーナもマルティンに喜々として仕事を教える父に複雑な感情を抱いている自分に気付く。

 監督は、独りよがりな父をフェリーニの「道」・ザンパノとオーバーラップさせるように、娘・ジェルソミーナを扱う。そして父から娘へのプレゼントがラクダだった。

 幼い娘たちは大喜びだが、妻は離婚するといいジェルソミーナは父の無理解に戸惑う。

 非現代生活の村に訪れたTV撮影隊、なかでも司会のミリー(モニカ・ベルッチ)の神秘的な美しさは、ジェルソミーナに別世界を見せるエポックメイキングとなっていく。

 そしてマルティンとの淡い交流・・・。

 ヒロイン・ジェルソミーナを演じたマリア・アレクサンドラ・ルングは映画初出演で少女らしい微妙な心理をごく自然に演じている。次女の愛嬌ある表情や幼い娘たちもまるで本当の姉妹のよう。

 古代エトルリア人たちがそうであったように、一家も今の暮らしを未来永劫続けることができないのを薄々感じながら、必死に生きているのだ。
 
 

 

「マイ・ファニー・レディ」(14・米) 80点

2016-04-23 10:46:34 | (米国) 2010~15

 ・ 懐かしいスクリューボール・コメディで復活したボグダノヴィッチ。

                 

 ピーター・ボグダノヴィッチ監督といえば、70年代前半に大活躍した監督だが、久しく名前を聞くことはなかった。筆者にとっては「ペーパー・ムーン」(73)がお気に入りのお洒落な監督として印象深い。

 そのボグダニヴィッチが14年に来日して「東京国際映画祭」で公開されたのが本作で、原題は<シーズ・ファニー・ザット・ウェイ>。


 ハリウッドの新進女優イジーが、記者のインタビューで高級コールガールだった過去やブロードウェイ・デビューの経緯を天真爛漫に語り始める幕開け。

 妻デルタを主役に据えた「ギリシャ的な夜」の舞台演出家・アーノルド。娼婦役のオーディションに現れたのが、前夜共にしたコールガールの<イジー>ことグローだった。彼は不合格にしようとしたが、妻や共演の俳優セス・脚本家・ジョシュ全員が気に入って採用するはめに・・・。

 それは偶然が重なり合って複雑な人間模様を描いた、ユーモアたっぷりな男女7人の<グランド・ホテル形式>と呼ばれる群像劇へと展開して行く。

 ボグダノヴィッチは、失われつつあった善きハリウッドへのオマージュを散りばめている。

 それは「チーク・トゥー・チーク」で始まり、「ステッピン・アウト・ウィズ・マイ・ベイビー」で終わるフレッド・アステアへのリスペクトであり、イモージェン・プーツ扮するイジーは「ティファニーで朝食を」のオードリーやマリリン・モンローの女優誕生を想わせる。

 さらにオーウェン・ウィルソン演じるアーノルドの殺し文句「リスに胡桃をやるが、胡桃にリスをあげて幸せを感じてもいいじゃないか」は、エルストン・ルビッチ監督「小間使い」(46)でのシャルル・ボワイエのセリフからの引用。

 一見W・アレン風だが、シニカルさは皆無なハッピー・エンドに一役買ったのはカメオ出演のあの人。客席から驚きの声が上がるほど。

 筆者は「ペーパー・ムーン」でおしゃまな子役だったテイタム・オニールが、レストランのウェイトレスで出演していたのが懐かしかった。 
                   

              

「はじまりのみち」(13・日)65点

2016-04-17 13:11:56 | 日本映画 2010~15(平成23~27)

 ・ 木下恵介へのリスペクトと平和への願いを込めた記念映画。

                   

 木下恵介といえば、黒澤明、小津安二郎、溝口健二と並ぶ日本映画の代表的監督だが、その生真面目な作風から評価には恵まれていない印象がある。

 筆者も3人に比べると49作中観たのはほんの数本で、最も馴染みの薄いひと。本作は松竹が<木下恵介生誕100年プロジェクト>の一環で製作した。監督・脚本はアニメで有名な原恵一で実写初作品。

 ’44<大東亜戦争3周年記念>と銘うって陸軍省が戦意高揚・国威発揚のため松竹に依頼して作られた映画「陸軍」。木下恵介(加瀬亮)が起用されたが、その内容が軍部に不評だったため睨まれ次回作が決まらない。木下は所長城戸四郎(大杉漣)に辞表を出し、故郷の浜松へ戻ってくる。

 故郷には大好きな寝たきりの母・たま(田中裕子)が迎えてくれた。だが実家の気田も空襲の危険が迫り、山間の親戚へ疎開することとなった。母想いの恵介(本名・正吉)はリヤカーで山越えをすることを提案し、兄(ユースケ・サンタマリア)と便利屋(濱田岳)とともに出発した。

 軍部に睨まれた映画「陸軍」とリヤカーで母と山越えしたというエピソードをもとに、木下の人間性と作風を織り交ぜながら作られた本作には全作49本中15作が流れ、木下へのリスペクトに溢れた91分だ。

便利屋がシラスのかき揚げでビールを飲むエア食事は「破れ太鼓」(49)で阪妻がカレーライスを食べるシーンに、女の先生(宮あおい)が生徒を連れて歩くところは、「二十四の瞳」(54)で高峰秀子の先生に、正吉が母・たまを背負って歩いた記憶は、「楢山節考」(58)での息子が老いた母(田中絹代)を背負う名シーンに繋がっている。

 木下の映画は「また木下恵介の映画を観たい」とたどたどしい手紙を残した最大のファンである母であり、便利屋のような庶民の共感が支えている。

 大ヒット作「喜びも悲しみも幾年月」のリメイク「新・・・」のラストシーン、大原麗子が「戦争に行く船じゃなくて良かった」という言葉が、映画「陸軍」の田中絹代とオーバー・ラップしてくる。

 筆者が生まれた年に作られた「陸軍」は、戦意高揚・国威発揚には効果なかったかもしれない。しかし「お国のために立派に務めを果たしなさい」とは思っていなかった大多数の母親の気持ちを代弁していたのだ。

 

「シルバラード」(85・米) 65点

2016-04-14 18:09:57 | (米国) 1980~99 
 ・ L・カスダン監督・脚本による貴重な80年代・正統派西部劇。

               

 ローレンス・カスダンは脚本家として大ヒット作を手掛けているが、監督としてもデビュー作「白いドレスの女」(81)以降多数作品を残している。

 60年代、マカロニウェスタンに席巻され久しく途絶えていた痛快・西部劇を作ったのが本作。

 西部の街シルバラードに集結した4人のガンマンが、街を牛耳る悪徳保安官と土地の独占を狙う牧場主達と対決するという、セオリーを踏まえた展開だが内容は盛り沢山。

 出獄して故郷シルバラードへ向かうエメット(スコット・グレン)が途中の砂漠で身ぐるみを剥がされたペイドン(ケヴィン・クライン)と出会う。
 2人が立ち寄った街・ターリーで黒人ガンマン・マル(ダニー・グローバー)と知り合い、投獄されていたエメットの弟ジェイク(ケヴィン・コスナー)を脱獄逃亡させる。

 4人が向かったシルバラードは無法者の元リーダーだったコップ保安官(ブライアン・デネヒー)が君臨し、酒場経営も取り仕切っている。さらに悪徳牧場主・マッケンドリック(レイ・ベイカー)が土地の独占を狙ってエメット兄弟の姉一家は土地を追われ、マルの父がいた開拓地は占領されていた。

 4人が出会うエピソードがかなりの時間を割いて描かれ、登場人物も多いため単なる勧善懲悪ものではない作風を意識しているが、西部劇ファンでなければかなりまどろっこしく感じるかも。

 西部劇ファンには欠かせない風景・幌馬車隊・牛の暴走・馬の疾走などまんべんなく盛り込まれ、節目毎に撃ち合いがあって大満足。

 黒人ガンマンの登場と先住民が登場しないところが人権問題に敏感なこの時代背景を窺わせ、家族愛は描かれているがラブロマンスがほとんどないのも珍しい。

 主役の2人K・クライン、S・グレンはどちらかというと脇役で力を発揮するタイプだし、準主役のK・コスナー、D・クローバーはブレイクする前なので出番は少ない。

 敵役ではコップ保安官が悪代官風でいい味を出しているが、酒場の女主人ステラを巡るペイドンとの争いがいまひとつ。これはステラを演じたリンダ・ハンタのミス・キャストと言わざるを得ない。

 西部劇に欠かせない拳銃さばきは4人とも素晴らしく、まだ細身で2丁拳銃を携えたK・コスナーの若者らしくイキイキとしたアクションが拾い物をしたようで得した気分にさせてくれる。

 
 

 
 

「あん」(15・日) 75点

2016-04-13 16:15:05 | 日本映画 2010~15(平成23~27)
 ・ 一皮むけた、カンヌの常連・河瀬直美監督のヒューマン・ドラマ。

                   

 「萌の朱雀」(97)で新人監督賞、「殯(もがり)の森」(07)でグランプリを獲得するなどカンヌ映画祭常連で高評価の河直美監督の最新作は、初の原作もので一皮むけた作風となった。

 原作者・ドリアン助川が樹木希林を想定した主人公で、映画化するなら河瀬監督をとの念願が実現した。

 桜が満開の東京郊外にある小さなどら焼きの店。雇われ店長・千太郎(永瀬正敏)のもとへ、求人の貼り紙を見て働きたいといって現れたのが70代後半の徳江(樹木希林)。

 一目で無理だと思った千太郎は断ったが、翌日お手製の粒あんをもって現れた。その味に驚いた千太郎は、手伝ってもらうことに。

 日に日に客が増え大繁盛するが、ぱったりと客が途絶える日がくる。
 そんな時オーナー(浅田美代子)が現れ、徳江にはライ病だという噂がありすぐ辞めさせるよう忠告してくる。

 元ハンセン病患者の徳江と、訳あり店長・千太郎による親子のような交流によって「働くことの大切さ」「人間としての生き方」という人間の根源的なテーマに触れていく。

 ハンセン病に対する偏見は、無理解・誤解による長年による国家の過ちとして度々ニュースやドキュメントで見ることがあっても映画にはなりにくいテーマ。
 筆者が知っている限り「愛する」(97・熊井啓監督、酒井美紀主演)くらいしかない。

 河瀬はプロデューサーとしても優秀で、スポンサーが集まりにくいアート映画で力量を発揮していた監督。見事に樹木希林を口説き落とし、永瀬・浅田をはじめ市原悦子・水野美紀というキャスティングで映画化に漕ぎつけた。

 いつもどおり役作りは徹底して四季折々の風景を取り入れ、撮影中は役柄に没頭させるという手法を守り通した。

 リアリティの追及に妥協は一切なく、グツグツ煮える小豆・遠くから聞こえる朝の電車・桜や木々の風音など「音を大切にした高いクオリティ」は、カメラの穐山茂樹の映像も呼応して際立っている。

 おそらく初主演?の樹木希林無くしてはあり得ないほど主人公に馴染んいる。彼女以外で演じられるのは故・北林谷栄以外思い出せない。今の映画界には欠かせない貴重な女優である。
常連客で母親と2人暮らしの中学生・ワカナ役で素直な演技を見せた孫の内田伽羅が気がかりだったのでは?

 予想外の好演は永瀬正敏。従来なら高倉健がピッタリな役柄を体全体で演じ、樹木希林に食われなかったのに感心させられた。

 終盤、少し観念的なシーンが少し残念だったが、原作とは違うラストシーンに救われた。
 

「恋人たち」(15・日)80点

2016-04-11 15:40:36 | 日本映画 2010~15(平成23~27)

 ・ひたむきな3人の生き様をリアルに切り取った橋口監督の秀作。

                   

 婚姻届けを出したときの思い出を訥々と語る青年は、橋梁点検の仕事では職場で認められているらしい。
 夫と姑と同居して無味乾燥な日々を過ごす平凡な主婦は、毎日自転車で弁当屋のパートに出掛ける。
 クイック・レスポンスが自慢のエリート弁護士は女子アナの離婚相談をビジネス・ライクに受けている。

 題名から連想する「恋愛もの」とは趣が違うこのドラマは、ある日理不尽な仕打ちにあったり、夢見るような出会いがあったり、長年心に秘めていたことがあっけなく崩れていったりする。

 いくつかのエピソードをもとに繰り広げられる群像劇はとっても辛く哀しいのに、何処かに微かな光を見出しながら生きていく人間を温かく見守って行く。

 橋口亮輔監督は「ぐるりのこと」(08)などで邦画ファンにはお馴染みらしい。7年ぶりの本作が筆者にとって初見で、そのユニークな才能を実感・堪能した。

 キッカケは彼のワークショップで3人のキャスティングが決まっていて、そこから夫々のキャラクターを活かしたストーリー展開を組み立てて行く手法で製作されている。

 <才能ある監督が、今撮りたいというテーマを新人俳優を起用して自由に作る>という松竹の企画により陽の目を見た。

 したがって主要な3人<篠原篤・成嶋瞳子・池田良>は殆ど無名の俳優だが、それぞれがはまり役。3人を取り囲む人たちに、光石研、安藤玉恵、木野花、リリー・フランキーという個性派俳優を配して見事に溶け込ませている。

 なかでも成嶋の何処にでもいそうな平凡な主婦と、安藤の逞しい水商売女に妙な感動を覚えた。

 無差別殺人、東京オリンピック、皇室関連、医療費問題、詐欺事件など時事テーマを織り込みながら、ときには深刻に、ときにはコミカルに、ときにはほのぼのと<不器用ながらひたむきに生きる人々>が描かれる。

 140分の長さを感じさせない物語は「人間なんとかなるよ。腹いっぱい食べて笑っていたら」という青年の上司・黒田(黒田大輔)のセリフに妙な説得力があった。
 

 

「晩春」(49・日)80点

2016-04-09 14:47:27 | 日本映画 1946~59(昭和21~34)

 ・ 小津作品に原節子が初出演した<記念碑的なホームドラマ>。

                    

 戦前から巨匠と呼ばれた世界の小津にも苦難のときがあった。前作「私の中の牝鶏」が、自他ともに認める失敗作だったため起死回生作だった。広津和郎の原作「父と娘」を13年ぶりに組んだ野田高梧とともに、1年掛けて脚本を練り上げた。

 北鎌倉に住む学者の父・周吉(笠智衆)と適齢期を過ぎた一人娘・紀子(原節子)。父は娘の結婚を気にし、娘は父との暮らしをこのまま続けることを願っていた。
 叔母・まさ(杉村春子)は周吉の再婚と紀子の結婚を纏めようと、何かと世話を焼いている。

 まだ占領下だった頃で、鎌倉や古都・京都など日本の風景やお茶・能舞台などの日本文化をドラマに織り込んだこのホームドラマは、初老の父親が娘を嫁に出すという悲哀を描いてその後の小津スタイルの原点ともなった。

 大学教授という教養ある堅実な家庭で育った紀子は、妻を早く亡くした男ヤモメの父を慕っていて、父の再婚話しには複雑な感情を持ちながらもナイーブな心情を隠し切れないでいる。

 原節子は必ずしも演技が上手いとは言えない女優だが、そのキャラクターを活かした役柄は観客の想像力を掻き立てる演技で当たり役となった。

 この年「青い山脈」「お嬢さん乾杯!」などに出演したが小津作品には初出演。以後「麦秋」(51)、「東京物語」(53)と続き役名が何れも<紀子>だったことから、<紀子三部作>とも言われる。計6回出演して小津作品にはかけがえのないミューズとなっていく。

 リアルタイムで原の映画を観たのは、小学校の授業の一環で観た「ノンちゃん雲に乗る」(55)。鰐淵春子演じるノンちゃんの母親役で、こんな美しい母と娘がいるのか!と驚いた記憶がある。

 一見不器用な父に笠智衆、世話好きな叔母に杉村春子を配し、絶妙なトライアングルの映画でもある。

 ローアングルと正対の会話、アップや背中越しの映像カットなど、小津スタイルは今観てもその緻密な計算で映画の醍醐味を味わせてくれる。古風な時代遅れのホームドラマを懐かしむ懐古趣味とは違った映画の楽しみでもある。

 京都の旅館での壺のカットやラスト・シーンに諸説紛々あるが、筆者は前者は時の経過を、後者は孤独感を表現したと、素直に受け取っている。