・ 小品ながら普遍的なテーマを丁寧に描いたD・アイアランド監督。
20世紀のジェイン・オースティンと呼ばれた英国の作家エリザベス・テイラーの原作を、ルース・サックスが脚色。ダン・アイアランド監督がローレンス・オリヴィエ夫人でもあるジョーン・プロウライトを迎え映画化した。
長期滞在するためにクレアモントホテルにやってきた老婦人サラ(J・プロウライト)。「誰かの娘、誰かの妻、誰かの母親だった人生から私として生きて行きたい」との想いだったが、料理が美味しいという触れ込みのホテルは期待外れ。
支配人・ボーイ・メイドもゆるい感じのなにやら老人ホームの趣きで、滞在している孤独な常連客たちの最大の関心事は訪問客と架かってきた電話。
最初に声を掛けてきたのは老婦人エルヴィラ(アンナ・マッセイ)で、ご臨終禁止のホテルだと冗談をいう。老紳士オズボーン(ロバート・ラング)は凛としたサラにどうやら好意をもっているらしい。
サラは外出先で転び、膝をすりむいてしまう。そこへ飛んできたのは孫のオズモンドと同じ年頃の青年ルードヴィク(ルパード・フレンド)だった。
いまどきこんな気の優しい若者はいないのでは?と思うのはサラも同じ。なにしろ孫に連絡しても何週間も音沙汰なしなのだから。L・フレンドの清々しい風貌がこの役にぴったりで、同年「プライドと偏見」で見せた青年将校とは両極の役柄だったのも興味深い。
サラは亡き夫との若い頃過ごした想い出とともに孫のような友人ルードヴィクとの交流を重ねて行く。どうやらサラの人生とは、亡き夫と過ごした幸せなときを回想することだったようだ。
J・プロウライトを始め、A・マッセイ、R・ラング、クレア・ヒギンス(ルードヴィクの母)などR・オリヴィエゆかりのベテラン俳優が出演しているのも懐かしい。A・マッセイはTVの英国ミステリーで顔馴染みだが、ヒッチコックの「フレンジー」(72)での印象が強烈だった。
原作は60年代のイギリスだが、本作の公開は05なので50年後の設定なのか?何れにしても現代先進国が抱えている高齢化社会を先取りした映画である。
サラには娘エリザベスがいて何かと心配してくれるが、かえって煩わしく老後を頼る気持ちはない。ホテルの仲間たちもそれぞれの生活から今の境遇にいるので似たような境遇は、程好い距離感出会って欲しいと願っている。
どうやらオズボーンのプロポーズは叶えられそうもなく、エルヴィラのホテルでのご臨終も・・・。
ところどころ、ユーモアも交えながら、往年の詩人や映画で夫との思い出に耽るサラにも程好いバランスの交流に変化が生まれてくる。
それは、けっして悲劇ではなく寧ろ人生のバトンタッチになっていた。孤独とは理解者が不在なことなのだと教えてくれる、小品ながらとても心温まる良作だった。
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