晴れ、ときどき映画三昧

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「わが命つきるとも」(66・英) 80点

2015-07-12 11:24:44 | 外国映画 1960~79

 ・ テューダー朝時代、自己像を全うした男を描いたF・ジンネマンの力作。

                   

 16世紀イングランド国王ヘンリー8世の時代、国王至上法に反対し斬首されたトーマス・モアを描いたロバート・ボルトの戯曲を、フレッド・ジンネマン監督が映画化した。原題は「四季を通じて変わらぬ男」。

 国王ヘンリー8世(ロバート・ショウ)は、カテリーヌ王妃と離婚して女官のアンと結婚しようとしていた。

 ウルジー枢機卿(オーソン・ウエルズ)は、ローマ法王の信頼厚い下院議員で偉大な文学者でもあるトーマス・モア(ポール・スコフィールド)にとりなしを頼むが、キッパリと拒否され仲介は失敗に終わった。

 1年後モアは官僚のトップ大法官に就任、国王に忠誠を誓うが王妃との離婚には賛成しなかった。らちが明かないと悟った国王は、離婚に反対するローマカトリック教会から英国教会を独立させ、自身が英国教会の主であることを宣言。

 それを知ったモアは、家族やノーフォーク侯爵(ナイジェル・ダベンポート)の進言にも拘らず意志を貫き大法官を辞職、後任は策士・クロムウエル(レオ・マッカーン)が就任する。

 政治・経済・宗教において事実上の支配者とする国王至上法を成立させた国王は、アン(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)と結婚。国王の怒りを買ったモアを放置するわけにはいかないクロムウエルは、反逆罪の疑義でロンドン塔に幽閉し、査問委員会を開催する。

 かつてモアの弟子で野心家のリチャード・リッチ(ジョン・ハート)の偽証が決め手となって反逆罪が成立し、逮捕されたモアは壇上で斬首される。

 その際<私は王より、神のしもべとして死ぬ>と言い残して・・・。

 重厚な舞台劇を大画面で観るような壮大な史劇大作は、テューダー時代に興味関心ある歴史好きでないと、退屈な物語でしかない。反面歴史好きには、権力者に敢然と立ち向かい信念を曲げないトーマス・モアと時代の風俗・背景を忠実に描いた傑作と映ることだろう。

 主人公モアは「ユートピア」の人文学者として名高いが、このドラマのような人生観を持った信念の男との認識はなかった。現代では家族の犠牲も顧みない頑固オヤジの印象があって、あまり評価されない気もする。

 筆者には宗教と法の狭間に人生を送りながら信条は曲げない人格者で、自己像を全うした稀有な男であるとの印象が残った。P・スコフィールドはモアそのものの人物像で完璧な演技。この役を希望したというチャールトン・ヘストンでなくて良かった。

 妻・アリス役のウエンディ・ヒラーとの絡みは名優同士の舞台劇を観るような圧巻のシーンだった。

 今日のイングランドの基礎を築いたヘンリー8世役のR・ショウは、豪快さと親しみ易さを併せ持った魅力的な人物に映ったが、現実は生涯6人の后を持った我儘で飽きっぽい人物だったという。

 アンに扮したのはカメオ出演のヴァネッサ・レッドグレイヴだったが、本当はモアの娘マーガレットの予定だった。スケジュールの都合でスザンナ・ヨークに譲ったが、2人とも美しい気品が漂い甲乙つけがたい。

 敵役のクロムウエル役のL・マッカーン、リッチ役のJ・ハートは如何にもという類型的な感じもあったが、どちらかというと地味な展開のアクセントとしては変え難い役柄であった。

 この年のオスカー6部門(作品・監督・主演男優・脚色・撮影・衣装デザイン)を獲得したのは意外な気もする。アメリカ映画界が<赤狩り批判を受け止めた度量>の証明ということか?

 この時代は断然アン・ブーリンのドラマチックな人生がハイライトを浴びそうだが、敢えてトーマス・モアを採り上げたジンネマン。「真昼の決闘」(52)が大好きな筆者にとって、男の生き様を描いた共通項を見る思いだった。

  
  
                   


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