・ 母と息子という身近なテーマを、独自なスタイルで描いたX・ドラエ。
前から気になっていたカナダの気鋭グザヴィエ・ドラン。映画好きを自認しながら5作目の本作が初見。噂通りの才能溢れる26歳だ。
シングルマザーとADHD(多動性障害)を抱える15歳の息子との深い愛情と葛藤の物語。
幼いころから俳優だったドラエが監督としてデビューしたのが19歳だったというから驚き。本作でカンヌの審査員特別賞をゴダールと並んで受賞したのも何かの縁で、これからの映画界を託されたような気もする。
本作が初見なので、知ったかぶりをしてもしょうがないが、若さからくるエネルギーを感じるが、それ以上に本人の多様な感性の素晴らしさと時代の中枢を往くファッション性を感じる。
まず1:1のアスペクト比に圧迫感を感じる。登場したのが中年なのに若作りのファッションで車を運転していたダイアン(アンヌ・ドルヴァル)。事故を起こした相手にタンカを切るさまはお世辞にも上品とはいえず好感は持てない。
出向いた先は障害児を預かる施設で、入所していた息子スチーヴ(アントワン=オリヴィエ・ピロン)を引き取るため。どうやら施設で揉め事があってのことらしい。
この親子が暮らす生活は楽しい安寧のひとときもあるが、何かの拍子に発作的に狂暴な振る舞いにでる息子に家は修羅場と化す。
そんなとき、現れたのが向かいに住むカイラ(スザンヌ・クレマン)。彼女も訳ありで精神を患う休職中の高校教師。吃音に悩みながらもダイアンに請われ家庭教師を買って出る。
3人の暮らしは、お互いをカバーし合い夫々の苦悩を乗り越えたように見えたが、本質的な解決はなされていないのが観客にはよく判る。
束の間の楽しい期間では、画面が16:9に広がり、ロック・バンド<オアシス>の「ワンダー・ウォール」が流れ解放感に浸れる。
殆ど3人しか出てこないような映画だが、夫々の心の内の変化を見て取れるような画面構成はドランの才能の魅せどころ。顔のアップや後ろ姿・衣装や美術に至るまで緻密な設定は、若くして国際映画祭で天才の名を轟かせたドラエならではのもの。
ときには陳腐と思われるスローモーションや写真のような決まった構図まで、彼の手に掛かると新鮮に映ってしまうから不思議。
架空の国の設定だが、名前はカナダ。政府が設定したS-14法案というのがあって、「発達障碍児の親が経済的理由や心身に危機的状況に陥った場合、養育放棄しサインだけで施設に入院させる」という法律だ。
この前提がないと、終盤のシーンは単なる元の木阿弥か?と思うが、どっちにしても息子への母の愛は永遠のもの。
夫に頼って生きることを選択し転居したカイラ。息子を施設に入れざるを得なかったダイアン。2人は孤独な生活に立ち戻るが、「私には希望がある」と手を震わせながら語るダイアンには、優しくて傷つきやすい思わず応援したくなるような好感度満載。
それにしてもドランが描く周りの大人には、世俗的で打算的な魅力のない男女ばかりが登場する。対して主人公たちは欠陥を抱えながら健気に生きる魅力的な人物ばかりだ。
ヴィヴァルディの「四季」やシューベルトの「野ばら」からロックバンドや退廃的なヴォーカルまで音楽のジャンルを超えたドランならではの選曲にもセンスを感じる。
次回作はハリウッド作品とのこと。当分この監督からは目が離せそうもない。ロードショウ公開は見逃したが、上映してくれた飯田橋ギンレイホールにも感謝。