・ 赤狩り後、精一杯頑張ったE・ドミトリク監督。
ハーマン・ウォークのピューリッツア受賞小説をスタンリー・ロバーツが脚色、豪華キャストで映画化した。監督はエドワード・ドミトリク。
ドミトリク監督は’49の赤狩りで、「ハリウッド・テン」のひとりとして服役した人物。不本意ながら米国で映画を撮るため誓約書を書いて復帰している。その監視下で監督した作品なので、多少の歯切れの悪さは止むを得なかったことだろう。
冒頭「海軍で叛乱が起きたことはない。この映画は人のありようを描いている」、エンディングで「この映画をアメリカ海軍に捧ぐ」という2つのクレジットが入るのがその証。海軍協力なしでこの映画は成立しないので、製作サイド精一杯の譲歩だろう。
プリンストン大学を卒業し短期海軍士官として入隊したキース少尉の派遣先は掃海駆逐艦のケイン号。
デヴリース艦長始め乗組員は服装もだらしなく、キースは理想と現実の違いを知らされる。
3ヶ月後艦長の交代があって着任したクィーグ艦長は規律に厳しくベテラン幹部や古参水兵からは段々無視されるようになる。なかでもキーファー通信長はマリク副長へ「艦長は精神障害ではないか?海軍規定184条には緊急時に解任できるとある。」と知恵を授ける。
おりしも台風のため艦隊からはぐれてしまったケイン号。訓練中ミスを犯しながら自ら責任を取らない艦長の指示が混乱して錯乱状態なため副長は艦長を解任、無事寄港した結果待っていたのは、<艦長解任の是非を巡っての軍事裁判>だった。
物語の主役は狂言廻し的役割ながらキースを演じたロバート・フランシス。マザコン・エリートだが、ナイトクラブ歌手メイ・ウィンという恋人との恋物語が随所に絡むほど出番が多い。残念ながら若くして飛行機事故で亡くなってその後の活躍は見られず仕舞い。
クィーグ艦長役は大スター、ハンフリー・ボガート。自ら買って出ただけあって、枝葉末節にこだわる偏執狂を想わせる表情態度はオスカー主演賞候補になっただけある名演だった。
台風遭遇までの動から一転して軍事裁判での静の緊迫感は、原作もさることながらシナリオの良さが充分発揮されていた部分。
終盤登場したグリーンウォルド弁護人を演じたホセ・フェラーと、無学ながら叩き上げのマリク副長役のヴァン・ジョンソンは役得だったが、H・ボガートとキーファー通信長に扮したフレッド・マクレイは損な役回り。それでもただの勧善懲悪ではなく、<人のありようを描いた映画>の所以として欠かせない役柄だったことは間違いない。
監視下にない状況の本作を、ドミトリク監督作品で観て見たかった。