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晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「コットンクラブ」(85・米) 80点

2015-01-30 08:07:27 | (米国) 1980~99 
 ・採点が甘くなる?好きなジャンルを堪能。

 

 ジム・ハスキンスの原作をフランシス・F・コッポラが脚色・監督している。1920年代・NYハーレム地区にある高級ナイトクラブを舞台に繰り広げられる抗争と2組のカップルの物語。実在の大物ギャングを登場させ、組織のなかで伸し上がって行く若きギャングとタップダンサーが主役のドラマ。

 コッポラを起用したのはプロデューサーのロバート・エヴァンス。「ゴッド・ファーザー」のコンビでもあるが、もともとエヴァンス監督、コッポラ脚本でスタートしたもの。殺人事件や確執もあって大モメに揉めた後遺症のせいか、散漫なストーリーで失敗作と云われている。このあたりはR・エヴァンスのドキュメンタリー映画「くたばれ!ハリウッド」(02)でも触れられていた。
 
 それでも厖大な製作費をもとに、セットや美術は凝りに凝って、クラブでのショータイムは往時を完璧に再現できたのでは?と思うほど感動もの。好きなジャンルだけにどうしても甘い採点となってしまう。

 主演のディキシーを演じたのはリチャード・ギア。コルネット奏者からクラブ経営者のオウニー(ボブ・ホプキンス)に雇われ部下となる。コルネットのソロを吹き替えなしで演奏するなど多彩なところも魅せるが、中盤以降は魅力発揮の部分もあまりなく尻つぼみ。愛人役のヴェラを演じたダイアン・レインは見惚れるほどの美しさだが、何と19歳だったというから驚きだ。2人のラブロマンスをもう少し丁寧に描いて欲しかったがコッポラの趣味ではなさそう。
 
 代わりにメインに登場したのはタップダンサーのサンドマン(グレゴリー・ハインズ)。兄とともにクラブ・オーディションに合格して憧れの舞台へ。ソロで踊ることで兄との確執があったり、混血歌手ライラ(ロネット・マッキー)とのロマンスが舞台裏として繰り広げられる。何より本物のタップは最大の見せ場となっている。

 アイルランド系のオウニー・マドゥンとユダヤ系のダッチ・シュルツの実在人物による抗争を背景に、2人の主人公が深く関わるという展開を予想していたがそれほどでもなかった。イタリア系のフレンチーが登場したりディキシーの弟・ヴィンセント(ニコラス・ケイジ)などの絡みもあまり生きてこなかったのは肩すかしの感あり。最近、エンターテインメント・ウィークリー誌に<原作小説に劣る映画化作品・26作>にリストアップされていたのも頷ける。

 それでも、メイン楽団デューク・エリントンやチャップリン、グロリア・スワンソンなどが実名で登場する禁酒法時代の社交場「コットン・クラブ」という高級クラブの雰囲気を臨場感をもって堪能できる、ある意味とても贅沢な作品である。

 
 

「わが街」(91・米) 70点

2015-01-27 08:00:03 | (米国) 1980~99 
・<人生とは映画のようなもの、映画とは人生のようなもの>を描いた群像劇。

  

 ’92ロス暴動の前年に映画化された人生の転換期を迎えた6人の男女を描いた群像劇。「白いドレスの女」(81)で監督デビューしたローレンス・カスダン監督・脚本でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞している。

 弁護士マック(ケヴィン・クライン)はサッカー観戦後、近道をしようとしたとき車がエンスト。黒人少年5人に囲まれてしまう。そこへと通りかかったのがレッカー車運転手のサイモン(ダニー・クローバー)。サイモンは、マックを救いグランド・キャニオン行きを勧める。こうして偶然出会った2人は不思議な運命を感じ始める。

 サスペンスタッチで始まるこのドラマは、幸せと不幸せは紙一重。それでも人間は誰かと関わりを持ちながら生きて行くんだということを語りかけている。マックは親切心でサイモンの妹一家の住まいの世話をしたり、サイモンに秘書の友人ジェーンをデートの相手として紹介したりする。単なるお節介にも見えるが見返りを期待しないで他人の世話をするのは、サイモンという一生出会うことのなかった黒人の友人を得たから。マックの妻クレア(メアリー・マクドネル)は息子の成長とともに生き甲斐を失いかけたところにジョギング中に赤ん坊を見つけ家に連れ帰る。マックの友人映画プロデューサー・デイヴィス(スティーヴ・マーティン)は白昼強盗に遭い太ももを刺され入院を余儀なくされ、バイオレス・アクションではない映画作りを思い立っている。マックの秘書ディー(メアリー=ルイーズ・パーカー)はマックに想いを寄せ1回だけ過ちを犯してしまう。

 犯罪が突然身に降りかかったり地震が起きたり時代の閉塞感が漂う大都会ロス。6人の暮らしが転換期を迎えたとき、どのように行動したかをL・カスダンはパッチワークのように描いている。原題が「グランド・キャニオン」なのは、大自然の中で人間の日常の悩みはちっぽけなものと言いたかったのだろうか?

 「スターウォーズ」シリーズや「ボディ・ガード」など幅広いジャンルで活躍するなか、何故本作のような地味な作品を作ったのだろうか?プロデューサー・デイヴィスの台詞<人生とは映画のようなもの、映画とは人生のようなもの>を実践してみたのだろう。

「フィールド・オブ・ドリームス」(89・米) 80点

2015-01-25 08:09:39 | (米国) 1980~99 
 ・ 自分を投影できるか?で評価が違ってくるファンタジー。

      
 W・P・キンセラの原作「シューレス・ジョー」をフィル・アルデンが脚色・監督、ケヴィン・コスナーの本格的初主演作品でもある。

 米オハイオ州の農民レイ・キンセラ(K・コスナー)は、トウモロコシ畑で「君がそれを造れば、彼はやってくる」という声を聴く。彼は妻のアニー(エイミー・マディガン)の協力で畑を半分壊し野球場を造る。そこへ’19年ブラックソックス・スキャンダルで追放されたシューレス・ジョー・ジャクソン(レイ・リオッタ)が現れる。さらに「彼の痛みを癒せ」「最後までやり遂げよ」という声を忠実に果そうとする。

 男の夢の実現、家族・親子の絆をテーマに、夢を叶えようとするファンタジー。自分を投影できるか?で、好き嫌いがハッキリ分かれるストーリーだ。アメリカのベースボールは特別なスポーツであることを前提に見ると、まるで重みが違ってくる。我々世代にとって男の子を持つ父親が親子でのキャッチボールは、まさに憧れの存在・至福の喜びなのだ。残念ながら筆者は娘だったが、マネごとをした。

 テレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)のモデルはJ・D・サリンジャーで、「金はあるが心の平和がないのだ」などと意味深い台詞でアメリカの現状を嘆いている。夢に向かってやり遂げることが如何に大切かを暗示するかのようだ。

 当初主演はトム・ハンクスの予定だったが断られたという。代わりに演じたK・コスナーは本作を機にスター街道を歩んで行くが、その後の出演作にも多大な影響を与える作品となった。

 無名の大リーガー、ムーンライト・グラハム役のバート・ランカスターが、まるでK・コスナーへバトン・タッチするように最後の映画出演だったのも象徴的。
 

「グロリア」(80・米) 70点

2015-01-19 08:03:50 | (米国) 1980~99 
・「子連れ狼」をヒントに、「レオン」のお手本となったJ・カサヴェテスの娯楽アクション。



インディーズ映画の元祖ジョン・カサヴェテス監督・脚本による唯一の商業娯楽アクションで、ヴェネツィアの金獅子賞獲得作品。愛妻ジーナ・ローランスの好演も相まって、不本意ながら?彼の代表作のひとつとなった。

NYマフィア・ボスの元恋人グロリアが、組織の隠し口座をプエルトリコ人会計士がFBIに漏らそうとしたため一家の生き残りの少年を匿うハメになり、はからずも組織に追われるアクション。カサヴェテスは、幼い子供を守り闘うヒーロー「子連れ狼」をヒントにこのドラマを書き上げたという。本作がヒントで「レオン」が作られたのも納得がゆくストーリー。

アクション映画で中年女性がヒロインという設定がユニークだ。しかも正義の人ではなく叩けば誇りの出そうなマフィアのドンの元恋人で、子供が嫌い。親友の一家が仲間を裏切り殺され、託された子供をシブシブ引き受けた。6歳の男の子はマセタ口を利くが家に帰りたがる。頼りになるのがこの小母さんだけだと知ってまつわり付くことになる。

カサヴェテスは人間描写が総てというほど2人の関係をカメラで追い続ける。子供が嫌いだったユニークなヒロイン・グロリアが、思ったより強かで徐々に母性愛に目覚めるさまをじっくりと描き、観客の目をくぎ付けにして行く。大都会NYの表の顔・摩天楼ではなく、荒んだブロンクスという裏の顔を舞台に繰り広げられる2人の逃避劇は、まるでドキュメントを観るような空気感が漂う。地下鉄・バス・タクシーでの移動や街の雑踏・安いモーテルなどその映像はオールロケながらシッカリとした固定カメラからのものなので撮影したフレッド・シュラーの苦労が目に浮かぶ。

シャローン・ストーンでリメイクされているのも観たが、人間描写で数段まさる本作はキャッチフレーズどおり「タフでリアルなヒロイン」である。





「エド・ウッド」(94・米) 80点

2015-01-18 07:48:18 | (米国) 1980~99 
・「史上最低の映画監督」は愛すべきキャッチフレーズ、エド・ウッドの半生記。



50年代ハリウッドで映画作りに情熱を捧げたエドワード・D・ジュニア(通称エド・ウッド)の半生を、愛情たっぷりに描いたティム・バートン監督。彼もエド・ウッドを愛して止まない監督のひとりであると自称している。
30歳を迎えるのに映画作りのチャンスがないエドにとって性転換の映画を作ると言う業界紙情報は願ってもない企画。彼は女の子を望んでいた母親の影響で女装趣味があって、恋人ドロレスにも内緒にしていたからだ。製作会社への説得材料として偶然出会った往年の怪奇スターベラ・ルゴシ出演を武器に「グレンとグレンダ」を3日間で書き上げ初監督する。

本作を皮切りに「怪物の花嫁」「プラン9 フロム・アウタースペース」の3作品はB級カルト映画として、「<早い、安い、面白くない>3拍子揃った映画のようなゴミ」とまで酷評されながら現存していたのは、ハリウッドに憧れる映画作りに情熱を賭ける大多数の映画人にとって、純粋なエド・ウッドへのリスペクトがあったから。「史上最低の映画監督」というのは愛すべきキャッチフレーズなのだ。

近年では「アーティスト」がそうであったように、本作もモノクロで50年代の雰囲気を再現していて、カラーにはない美しい深みと陰影のある映像が臨場感を醸し出している。主演したのはT・バートンと名コンビのジョニー・デップで、奇想天外な愛すべき映画青年を繊細かつ奔放に演じている。ベラ・ルゴシに扮したマーティン・ランドーは、往年の大スターの雰囲気を漂わせつつ、誰も振り返ってくれない晩年の哀れな姿を見事に演じてオスカー(助演男優賞)を獲得。エドとの年齢差を超えた父と子のような友情がジンと来るものがあった。エドが憧れのオーソン・ウェルズを始め、トー・ジョンソン、妖婦ヴァンパイラなどそっくりな人物が登場してメイクアップ賞も受賞しているのも見どころのひとつ。友人のオカマにビル・マーレイが扮しているのも見逃せない。

見所いっぱいの本作だが、これを機に本物を観てみたいと思うのは余程のマニア以外はお薦めできない。なにしろ才能より映画作りの情熱だけで3本作っただけでも奇跡的な出来事で、アマチュア映画より見劣りすること間違いない。エドの女装マニアぶりやルゴシによる巨大タコとの格闘シーン、宇宙人の存在を知らせるため死者をゾンビとして蘇らせる話に興味があれば、どうぞというレベル。
それでも愛すべき映画人・エドは口癖である「パーフェクト!」と言っていたことだろう。




「セブン」(95・米) 80点

2014-12-06 16:25:52 | (米国) 1980~99 

 ・スタイリッシュで衝撃的なエンディングのD・フィッチャー作品。

                    


 シナリオのアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーがNY在住経験を生かして描いたオリジナルを鬼才デヴィッド・フィンチャーが監督。

 スタイリッシュな映像と衝撃的なエンディングで評判となったサイコ・サスペンス。

 先ずタイトルからノイズの効いた音声のバックで斬新さが窺える。大都会デトロイト?で長年刑事を務め、定年まであと1週間のベテラン刑事(サマセット)と望んで転勤してきた若手刑事ミルズ(ブラッド・キッド)が追う連続殺人事件。キリスト教の「七つの大罪」を追うように、大食・強欲・怠惰・肉欲・高慢と事件は続き、残るは嫉妬と墳怒のみ。

 作品には哲学的な深い意味があるらしいが、次から次へと起こる猟奇的な殺人事件を追う二人の刑事を観るだけでも充分楽しめる。

 M・フリーマンがとても好い味を出している。諦観的でありながら、最後の仕事として犯人を追う執念は長年務めてきた彼の生き方を滲ませている。

 B・ピットは血気盛んな若手刑事を熱演して彼の代表作のひとつで、作品選びの巧さに感心する。

 ミルズの妻トレイシーを演じたのが、トップスターのグウィネス・パルトローなのも見逃せない。単なる美男・美女の夫婦でないところが終盤で大きな意味を持ってくる。

 肝心の犯人は、なかなか姿を見せないが終盤思わぬ意外な登場の仕方をする。おまけに演じたのが演技派俳優のケヴィン・スペイシーに二度びっくり。

 最後でまた驚かせてくれた。エンディングではデヴィット・ボウイの主題歌とともにK・スペイシーがトップ・クレジットなのも頷ける。

 観方によっては大都会の汚点剥き出しの悪趣味な作品だが、D・フィンチャーらしいパワフルで戦闘的な作品だ。

 <世界は素晴らしい。闘う価値がある>というヘミングウェイの言葉を引用するように。

「羊たちの沈黙」(91・米) 80点

2014-11-23 12:46:00 | (米国) 1980~99 
 ・サイコ・サスペンスの傑作だが、初見では面白さが分からない?

                    

 この年の賞を総なめしたトマス・ハリスのサイコ小説シリーズ2作目の映画化。アカデミー作品、監督(ジョナサン・デミ)、主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)、主演女優賞(ジョデイ・フォスター)、脚本(テッド・タリー)の主要5部門を受賞している。

 公開時はA・ホプキンスの演じたレクター博士の特異なキャラクターが最大の話題となった。筆者も早速映画館に駈けつけたが、想像していた恐怖映画ではなく寧ろ30歳前にしてJ・フォスターの可憐さが印象的だった記憶がある。

 その後何度か見直してみると、A・ホプキンスの猟奇殺人犯容疑者で元精神科医という複雑な役柄を見事にこなした演技が際立って見え、女性FBI訓練生クラリスに興味を持った奇妙な交流が物語の核となって行く展開に納得している自分がいた。

 J・フォスターは女性蔑視の世界で頑張っている頭脳明晰な野心家を好演、「告発の行方」(88)以来2度目のオスカーを獲得した。想えばこの頃が彼女の全盛期だった。その後は作品を選びながらコンスタントに出演しているが、童顔がネックとなって?ヒット作には恵まれていない。近作「おとなのけんか」(11)で健在ぶりを魅せてくれたが、これからも顔を見せて欲しい女優だ。

 クラリスのトラウマに興味を持ったレクター博士が、連続殺人事件解決のヒントと交換条件に自らの自由を得る手並みが、あまりにも鮮やかで圧倒される。

 太った女性を殺し皮をはぎ、女装癖とメンガタスズメを育てる連続殺人犯<バッファロービル>。名だたるFBI捜査官を迷わせる犯人でありながら余りにも、あっけなく犯人逮捕の経緯に辿りつくのが、不自然な気がするが・・・。

 ここは天才的洞察力のレクター博士に敬意を表して、流れに乗ってクラリスの奮闘ぶりを楽しみたい。

 古い友達とは? 夕食に行くとは? 続編の期待が込められる見事なエンディングに拍手を送りたい。
 

「ジェロニモ」(93・米) 80点

2014-11-13 11:30:16 | (米国) 1980~99 

 ・米国先住民最後の英雄を、騎兵隊からの視点で描いた西部劇。

                    

 「ジェロニモ」といえば、アメリカ建国にとって欠かせない最後の先住民アパッチの英雄。西部劇では略奪や殺戮を重ね、白人たちを脅かす悪の象徴。

 だが、もともと侵略をしたのは移住してきた白人たちで、どちらが正義だと言えばむしろ逆の立場。映画界もジョン・フォードが描いた西部劇は通用しないと、さまざまな西部劇が製作されてきたが本作もそのひとつ。

 ジョン・ミリアスの原案・共同脚本でウォーター・ヒルが監督、ライ・クーダーの音楽、ロイド・エイハーンの撮影と豪華スタッフが新しい視点の西部劇に挑んでいる。

 アパッチを保留地区に閉じ込めた史実をもとに、それに抵抗したジェロニモ(ウェス・ステューディ)に関わった主要人物が登場し、彼の人物像を明らかにして行く。物語は若き将校・デイヴィス中尉の回想で進み、前年「青春の輝き」でデビューしたマット・デイモンがナレーションも務めている。

 その上司でジェロニモへの理解・友情に篤いゲイウッド中尉(ジェイソン・パトリック)がメインだが、主役陣のひとりという感じ。騎兵隊隊長のジョージ・クルック准将にジーン・ハックマン、アル・シーバー隊長にロバート・デュヴァルのベテランが扮し、このドラマに存在感を増している。

 滅亡して行く民族の哀しみが全体で伝わってくる物語は、全体に派手さはないものの所々でメリハリの利いた戦闘シーンも描かれている。特に馬に跨っての一騎討ちは見所のひとつで前半J・パトリックが魅せた馬の扱いは目の肥えた西部劇ファンも唸るシーンだ。

 このドラマでもっとも象徴的な存在は、騎兵隊に従いアパッチ追討に加担したチャト(スティーヴ・リーヴス)の存在。終息後はジェロニモたちと一緒に刑務所入りするハメになる。彼がテキサスのならず者達に捕らえられるのを救って落命したシーバーが生きていたら、どう思うだろうか?

 アメリカ建国の歴史に汚点を残した先住民対策で理解と友情を示した人物たちはそれぞれの想いでその後を過ごしたことを余韻にこの西部劇はエピローグとなる。西部劇ファンには物足りないかもしれないが、筆者にはハリウッドの良心を感じる作りに好感を抱きながら観た。

「セブンイヤーズ・イン・チベット」(97・米) 75点

2014-11-04 17:42:23 | (米国) 1980~99 

 ・中国とチベットの関係に一歩踏み込んだハリウッド映画の限界。

                    

 オーストリアの登山家ハイリッヒ・ハラーの自伝をもとにジャン=ジャック・アノー監督、ブラッド・ピット主演で映画化。

 '39年ナンガ・バルパット登頂隊に参加したハラーは雪崩で断念して下山する。折りしも大戦が勃発したためインドで英国軍の捕虜となり、何度も脱走を重ね5回目に成功。再会した隊長ペーターととともに悲惨な2年間の逃亡劇の挙句、チベットのラサに潜入する。外国人居住が許されなかったチベットだったが、ツァロン高官に救われ生活した7年間を描いている。

 高慢で独り善がりだったハラーが、妻やまだ見ぬ息子への想い、男同士の友情、自然への畏敬、幼いダライ・ラマ14世との交流によって徐々に心境が変化するさまを織り込んだドラマチックなストーリー。

 公開当時の記憶は定かではないが、ジョン・ローン主演の「ラスト・エンペラー」(87)に似た印象があった。ブラピを観るために足を運んだ女性も多いと聞くが、今見直すと中国とチベットの関係が象徴的に描かれ、短絡的な表現ながらハリウッドとしては思い切って踏み込んだ作品となっている。

 終盤で登場する中国共産党・中国人民解放軍全権大使の無礼で傲慢な描かれ方や、チベット人を大虐殺した映像は、中国では上映禁止はいうまでもなく、ジャン=ジャック・アノー監督、ブラッド・ピットの中国入国禁止措置は未だに解けていない。

 撮影はチベットでは許可が下りず、アルゼンチンでポタラ宮殿を再現し100人のチベット僧を動員したという大掛かりなものとなった。さらにネパールでのロケでヒマラヤの絶景が描かれ、無許可でチベット撮影もされたという。このあたりは当時のハリウッドの対中国に対する自信の現れでもあった。

 主演したB・ピットは、出ずっぱりの奮闘ぶりで彼の代表作のひとつ。ジョン・ウィリアムズの音楽・ヨーヨーマのチェロ演奏をバックに、頂上を極めることが至上主義の西欧思想のハラーが自我を捨てるチベット仏教精神に触れ、癒されて行く。フィクションでアレンジされた妻や子供との物語も、彼の孤独なイメージにはぴったりだが、焦点がボヤケテしまった感もある。

 オーディションで100人の中から選ばれたという幼いラマに扮した少年が、聡明で好奇心旺盛な雰囲気が出ていてもうひとりの主役といえる。金髪が珍しいラマがハラーの頭を撫でるシーンが印象に残る。

 その後チベットは自治区として中国の一部となり、ラマ14世はインドに亡命。現在も独立運動が耐えることはないのはご存知のとおり。

 ハリウッドと中国との関係はニューズ・ウィークによると人気冒険小説「チベット・コード」を共同製作し友好関係にあるという。9世紀のチベットを舞台にチベット犬の専門家が仏教の秘宝探しをするという物語で、同誌によると<チベットを裏切るハリウッド>とある。

 歴史は当時の権力者で塗り替えられるのが世の常。この作品は香港返還の年に完成しただけに複雑な思惑が絡むのも事実。この映画の評価に個人差があるのは当然だが、筆者にはハリウッドの勇気を称えるとともにその限界を感じざるを得ない。

 

 

「プライベート・ライアン」(98・米) 85点

2014-11-01 14:37:29 | (米国) 1980~99 

 ・ 家族愛をもとに愛国心を滲ませた戦争ドラマの秀作。

                  

 ’44年6月に連合国軍が決行したノルマンディ上陸作戦を舞台に、米国軍兵士8人がひとりの2等兵を救出に向かったヒューマン・ドラマで従来の正義をかざした戦争アクションでも反戦批判映画でもない。

 S・スピルバーグが2度目のオスカー監督賞を受賞、冒頭の20分ほどのリアルな戦闘場面が映画史に残るシーンとして名高い。主演したトム・ハンクスと前年注目を浴びたマット・デイモン以外は、地味な配役がドラマの真実味を増す効果を醸し出している。

 確かにすざましい音響の中、兵士たちが炎に包まれ爆死、内臓が剥き出しになったり腕を失った兵士が自分の腕を持って彷徨したりする残酷なシーンが、次から次へと繰り広げられる。血の海が生々しくこれからの展開がどうなるのか?観ていて不安になる。

 そんな上陸作戦が展開されたオマハ・ビーチで中隊長ジョン・H・ミラー大尉(T・ハンクス)が受けたのは、101空挺師団のジェームス・ライアン2等兵(M・デイモン)を戦地から探し帰国させることだった。

 その価値の是非論に疑問を抱かせないよう、事前に兄たちが戦死して独り帰国を待つ母の姿が抒情たっぷりと映像に映る。国民が愛国心を失わせないための軍幹部による特命事項であることを、隊長のみが知ることとなる。

 6人はもともとミラー隊長から選ばれるが、ひとりティモシー・E・アパム伍長は別部隊の地図作成・情報処理のスペシャリスト。実戦経験のない彼が選ばれたのはドイツ・フランス語が堪能なこと。死の恐怖と戦友の命を救うための闘いに葛藤するシークエンスが痛々しい。唯一非常時に普通の神経を備えている役割を果たし、観客との橋渡しをする役目となっている。

 スピルバーグは敬愛する黒澤明の「七人の侍」に倣って、ドラマの進行とともに部下7人のキャラクターを描いている。リーダー・ミラー大尉は、着任前の経歴が謎の冷静沈着で部下想い。トム・サイズモア扮するマイク軍曹は、隊長の右腕だが肥満体で足は遅い。エドワード・バーンズ扮するリチャード1等兵は、ブルックリン出身の短気で思った事は口に出して言う。バリー・ペッパー扮するダニエル2等兵は、左利き狙撃の名手で信心深く、ヴィン・ディーゼル扮するカパーゾ2等兵は、人情味溢れる子供好き、アーウィン・ウェイド扮するリビシ衛生兵は、とても人あたりがいい。

 冒頭悲惨なシーンで死ぬことのあり様をリアルに描くことで、正義とか愛国心の矛盾が浮き彫りにされて行く。死ぬ間際の兵士が叫んだのは「ママ~!」だった。日本では「天皇陛下万歳!」が建前で、実際は「おかあ~さ~ん!」なのと同じで世界共通。

 ミラー大尉もこの命令を早く終わらせ家族のもとに帰るために頑張ってると本音を吐いている。ライアンが仲間を置いて帰国できないと言い張ったために、さらに犠牲者が増えることに。犠牲者にはもちろんドイツ兵にも帰国を待つ愛する家族がいる。星条旗がはためくエピローグは、矛盾と皮肉を込めたスピルバーグらしい幕切れだ。