さて、盆というのが旧盆とかもあって、いつが夏休みとして墓参りに帰省するのが正解なのか未だによくわからない。それでもほとんどが8月12日から15日の終戦記念日までが田舎での習慣だ。盆を宗教上の理由で拒否する日本人もいるんだが、先祖を敬う日って宗教に依存すること自体が日本じゃないと感じる。昔から盆と正月は帰省し、墓参りというのはまさに日本の文化だからだ。この時期に盆踊りというイベントもあって、昔はこういったイベントで自分が住んでいる地域外からの若い男女が知り合う機会でもあった。また、地域の神社などでは、この後に祭りなどのイベントもある。そこでは豊作祈願やら過去の災害があった場合は災害への慰霊や安全祈願も行う。そして忘れてはいけない「怪談」だ。死んだら怨霊になるって宗教上の話かと言えば、違うように思えるのだが。殺されたなど、生前の恨みを持った霊と定義される何かが復讐に出てくるとか、盆の時期には地獄の窯の蓋があるから、この地上に死んだ人が帰ってくるという話とかだ。盆にはナスやきゅうりで馬を作り、迎え火や送り火を焚く。有名な京都の大文字も送り火だ。迎え日は帰る家はここですよ、と子孫が火や盆提灯で示すのだ。自分の先祖を敬うことが’宗教でできないとか、何か違う。まあ、霊とか信じない人もいるのだが、ほとんどが宗教だと否定するよりも、家族のコミュニケーションとして捉えているのが日本の文化であり、風習なのだ。そして、盆踊り、祭りや花火という地域外から人が集まる風習も、地域同士のコミニュケーションなのだ。日本は山が多く、それぞれの地域が区切られていて、かつ村などで村以外からの来訪者を歓迎してないところもある。これはある意味、歴史的理由で、他者を歓迎しないのだ。こういった習慣を題材にしているミステリーが横溝正史作品だ。海外でも翻訳されて売れている。日本のミステリーは、実際にあった事件を題材にしているのが結構ある。怪談といい、まさに人間ドラマだ。こういった幽霊物はシェークスピアのハムレットやマクベス、リチャード3世にジュリアスシーザという作品にも登場する。英国人は幽霊話が好きらしく、他にも有名な作品は多いのだが、日本と違うのは夏場の幽霊話ではなく、冬場にするそうだ。そういえば、クリスマスキャロルも幽霊が出てくるなあ。これらをみな、宗教上の理由と拒否するのであれば、名作から学ぶ人間ドラマを味わうことすらできないのだ。
日本は自然災害が多い国で、火山や地震ですら神が管理するという神話があるぐらいだ。こういった話は歴史が古い国では結構ある。英国だけではなく、中国やアラブ地域、米国も原住民たちが語る話などがある。そして、そこにはちゃんと人間ドラマがあるのだ。信じることが宗教というのなら、みんなが大好きな愛だって宗教じゃないのかと感じる。確かにキリスト教は愛がメインだし、仏教の愛は欲望だし、イスラム教やユダヤ教などそれぞれの愛が違う定義なのだ。つまり人間ドラマじゃないのだ。ほとんどが神への愛や神からの愛であり、人間同士の愛は仏教のように欲望という感じが強く感じる。漫画で有名な七つの大罪とは、キリスト教の原罪で、仏教の煩悩だ。だからどうしても人間ドラマになるのだが、土台にあるのは神への愛や神からの愛いなのだ。ところが幽霊とはまさに人間同士の問題であり、そこには恨みなどネガティブな感情以外に、家族や人への愛で幽霊になった話もある。日本だと能でこの幽玄と呼ばれる話を演じている。隅田川は自分も好きな演目で、母親は息子を探すのだが見つからないため狂気となる話だ。確かに念仏という宗教的な儀式が出てくるのだが、これは古来の日本では幽霊をどうにかするのに僧侶だとか陰陽師だとか祓いやという人たちがいたからだ。呪いは今でもあるし、オカルトや迷信と無視する人も多いが、大きな建物を新たな土地で建てるための地鎮祭や神社などの取り壊しのための儀式があるのも事実。東北大震災後にも新たに家を建てる時に、地鎮祭だけではなく慰霊祭もやっていた地域も多いのだ。これは、災害でこの世に恨みや後悔を残して死んだ人が多く、実際に幽霊話も多かった。こういった霊や祟り神と呼ばれる何かを祀るの習慣も古来から日本にはある。つまり西洋でいう、悪霊だとか悪魔だとか怪物などを祀って、治める習慣だ。もっとも有名な祟神として祀られている東京都大手町にある将門塚だ。この場所を開発しようとしても、事故が多発し中断するので、今ではパワースポットとして有名になっている。なにせ日本の三大怨霊で、昇進、ビジネスの成功などビジネスがらみの勝負事が御利益だそうだ。残りの怨霊として祀られている菅原道真は学問の神なので、受験シーズンにはお守りが飛ぶように売れているし、残るのは崇徳天皇だ。あの天皇が怨霊という話があるのだ。その上、京都をはじめ、いくつかの神社で祀られ、御利益は縁切りだ。文学といえば、あの小泉八雲作の耳なし芳一に出てくる平家の幽霊話もある。作者はアイルランド人で日本に帰化した人だ。代表作は怪談で、妖怪で有名なろくろ首などもこの中の話だ。そういえば、約束を守るために幽霊になって出てくる話もあった。彼の作品は英語でも読めるので、英語がわかる外国人には薦めている。こういった作品を宗教という言葉で無視するのは、あまりに軽薄だと感じるのだが。
幽霊話が人間ドラマというのは、まさに恨みのために殺されて復讐する話だからだ。昨今、春日大社の鹿への暴力行為といい、罰当たりが行動が増えてきている。迷信と笑っているのもいいが、何故、迷信が守られるのかと考えるとなかなか意味深いのだ。多くは戒めるために、こういった伝承が残ったという説があるからだ。
日本には自然災害そのものを受け入れる文化があり、それが神道を生み出した。警告は祖先からあるのに伝承が迷信と否定されたために、災害が起きやすい土地に住むはめにもなっている。活断層の上に住宅密集地があるのだから、これも日本政府の危機管理能力のなささを表しているのだ。今回、珍しく注意を出したのは、何らかの理由があったはずだ。経済損失とかで文句をいう日本人たちは、実際に災害が来て、被害を受ければ、それでも経済損失云々と文句をいうのだ。自ら災害にどう対応するかすら実行してないのにだ。例えば、旅館やホテル、レジャー施設がどれだけ大地震や津波という災害に対応しているのか、自分たちは知らない。まして海辺の近くであれば、避難所までの距離なども公開してないような地域に、レジャーで行きたいなんて思わない。コロナの時も同じで、なんでも政府のせいにしているレジャー業界は反省するべきは、自分たちと認識しないかぎり、誰もレジャーを楽しもうなんて考えないだろう。だって、日本政府が大丈夫とお墨付きを与えても、災害はやってくるし、隣国からはミサイルも飛んでくるのだよ。