The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えよう

2015-07-24 04:50:44 | Weblog
安全保障の基本とは、国が国民を守るからではなく、国民が自らの生命や財産を守るためには国に何をするのか、という発想がなければ、民主主義は成立できない。自衛権とか、権利ばかりで議論するのだが、もっとも重要なのは民の生命と財産を外国の侵略から守るために、民は何をするのか。独裁政権なら、そりゃ政府に任せて、文句をいえばいいだけだ。楽だが、そこには自由がない。つまり、独裁政権の進む方向が民が望む方向と違うとなれば、フランスの市民革命のように庶民が武力を持って革命を実行する。つまり、戦争によって自由を勝ち取る。負ければ、どこかの国のように政府から武力を持って抹殺されるだけだ。

日本は戦争に負けて、反省した。戦前の日本が目指したのは大義としては平和で誰もが平等に生活できる社会だ。確かに身分階級はあったが、奴隷のような状況ではなく、働いたら賃金を貰えて、それぞれが家庭を作れる自由がある。制限といえば、身分ごとに職業が決められているぐらいだ。だから結婚だとかも身分差があれば認められず、日本文化の文楽という芸術を通じて心中物というのが流行した。この時代は世界のどこでも身分階級があり、奴隷もいた。八紘一宇のような思想は日本以外の国でもあった。だから侵略戦争を考え、実行しているのは人間の進化として当然の行動だと自分は感じる。現在のG7なんてみな元侵略国だ。英国の歴史こそ、まさに侵略し、帝国を拡大した。アフリカからの奴隷も英国やフランスによるアフリカ侵略の結果だ。太平洋の島々、ハワイでさえ侵略されているのだから日本といえば、たまたま侵略されなかった、という運が良かっただけだ。こんな日本でも他国と同様に国内では地域争奪戦、統一のための戦争を経た時代もある。中国だって始皇帝による統一まではそりゃもう戦争ばかりの日々だったはずだ。そして、文化としてはこういった戦争という時代でありながら、音楽、舞台や文学という作品がたくさん作らて、現在に至る。宗教もだ。日本はこの宗教でも戦争があった。平和な国と日本人は言うのだが、日本の歴史からすれば平和な時期は大きな戦争の間の期間だけで、しょっちゅう戦争をやっていた。江戸時代でさえ、後半は黒船到来とかで外国とドンパチ戦争をする。

戦前の日本はどうだったのか。民主主義としての選挙もないし、身分制度もある。だが、国民にとって不幸だったのかと言えば、そうではない。もっとも有名な芸術が生れたのも江戸時代。人々は日々を楽しみ、謳歌していた。たぶん、戦後の昭和という時代も同じ。だから学生運動とか、朝鮮人による暴動とかいろいろあったが、それでも平和だったと感じる。いろいろな技術で新しい製品やサービスが生れた。日本に戦争の危機はあった。だが、それは憲法9条によって回避された訳じゃない。日米安保に反対して抗議デモをやった世代の政治家もまだ元気だと思うので、聞いてみるといい。なぜ、日米安保に反対だったのかをだ。ついでに自衛隊が生れた事情と米軍との同盟を選択した背景も聞いた方がいい。その上で、日米安保の効果をもう一度検証してから、反対と文句を言って欲しい。それでも日本に帰化した人で「日本に憲法9条があるから。」と動機を表明した人もいた。だから憲法改正には大きな声で反対している。

ならば、日本国が他国から侵略されて、何もせずにぎりぎりまで待って本土決戦すればいいのか、と問いたい。そうなれば必ず一般民の犠牲は出る。専守防衛の意味を考えて頂きたい。相手が攻めてくると情報があって、それに対応すべく軍と戦術としてミサイル発射前に攻撃することも簡単にはできないのだ。攻撃前に「ミサイル発射しますよ。」と相手がが言うとは限らない。日本国内に有事発生時に、工作員として日本国民を殺傷するだけの人員と施設の破壊工作をする人員ぐらいはすでに準備している可能性すら否定できない。何故なら日本には他国のような情報機関がないからだ。すでに情報戦を仕掛けられているぐらいなのに、誰一人として危険性を警告しない。

日本国内に不安がまんえいし、混乱が生じればいいのだ。特に近隣諸国との摩擦によって近隣諸国出身の外国人が犯罪率も多いとなれば、日本国民はどう判断するのか、考えて欲しい。武器がないから暴力によって外国人排除はしないだろうが、逆に彼らの人数が多ければ、過去に朝鮮人による暴動があったように日本人が殺される対象になりうる。
彼らの人数は100万人という数だ。これだけの人数があれば、東京を制圧することは可能だ。武器は大使館や領事館などの治外法権施設に隠せる。これはアニメでも小説でもなく、他国の革命やら暴動では当然として行われていることだ。
違うとすれば、使う武器の規模。日本は銃刀法という法律で武器を制限しているので、一般民側が防御するための武器を各自が持つことができない。よく考えて頂きたい。米国で何故、急激に人種問題が出てきたのか。多少のいざこざがあったとしても、あれほど大騒ぎになることはなかった。治安維持がどれかえ重要なのか。人は不安がいっぱになれば、どんな小さな刺激を与えてもパニックになる。こうなると正常な判断ができなくなり、集団ヒステリーとも言えるような現象も起こる。爆弾とか使わないでもこういった方法でも人々に恐怖を与え、暴動を起こして、社会を破壊することもテロができるのだ。

冷静になることがいかに重要か。日本いいる外国人の人たちも同じで、騒いだところで、良いことはない。むしろ、治安維持法違反となれば、即刻、強制退去だ。場合によっては極刑もある。昔は人命尊重とかで、銃を持って人質をとって立て篭りとかで、射殺というのは避難された。だが、今は違う。人質の命を優先とするため、射殺も当然と受け止められる。また、日本の国籍法による帰化取り消しもあり得る。実際にきちんとした手続きが完了してない、虚偽の申請のため取り消しされた人はいる。永住許可も同じで取り消しできる。日本以外もにたようなものだ。自由な意見を表明することはできるが、法的に違法行為となるようなら逮捕されるのと同じ。このあたりも過去のように警察が厳しく騒音、デモや集団が集まり行動する場合の規制も取り締まればいいだけだ。デモや集会は必ず警察へ届けなければいけない。この理由もよく考えてみればわかる。テロ、つまり暴動への発展を警戒しているためだ。過去にはたくさん、暴動があったから、当然の対応でしょう。これは日本国だけではない。

選挙以外でも個人の意見を伝える方法はある。一つには署名を集めて、賛同者の数を示し、意見を訴える。次に手紙を書いて、管轄所に出す。別に総理大臣にだって手紙はかけるのだから、書けばいい。ただし、罵倒とかばかりだと読む法だって馬鹿らしいからまじめに読んではくれない。きちんと意見を礼を持ってまとめて書けばいい。もしかしたら返事がくる場合もある。民衆の声を伝える方法はデモとかよりは、きちんと内容をまとめて訴える方が効果がある。ただし、見た目には派手ではないので組織とか団体で抗議する場合はやらない。よく団体とかで抗議する場合、抗議対象の代表者に書いた手紙などをわざわざ手渡ししてメディアに写真撮らせているのは、アピール。

さて、一昨日に発表された東シナ海のガス田開発での中国側による一方的な施設建設。平和運動というのなら、軍事基地への転用が可能な施設建設に対して、抗議しないでいいのだろうか。南シナ海のように軍事基地として建設し、そこに爆撃機やら重火器を設置されたら、あとは阻止するためには武力しかなくなるよ。そうならないために、話し合いは必要なのだから、日本国民や日本に住んでいる外国人は自分たちの生命を守るためにはまずは中国へ抗議しないといけないだろう。抗議が盛り上がれば、話し合いとしても「自国民や日本に居住している外国人も戦争になることを恐れている。」と伝えられる。つまり、懸念されるような施設や物は設置しないでね、と言いやすい。戦争が嫌なら、本来抗議するべき内容は、まさに日中共同開発のガス田における軍事転用可能な施設の撤去だろう。それとも攻撃されたら、即刻日本から出国して逃げるのか。日本国民だからって逃げてはいけないとは思わない。ただし、民主主義における主権としての国民であれば、逃げることはできないと思う。自分だけが助かればいいという思考なら、民主主義による社会なんて成立しないのだ。お互いを助け、支えある社会を訴えるのに、有事になれば逃げるのか。人道的とは御身第一で、余裕がないのなら他人は見捨てて当然というスタンスなんだろうか。こういった人たちを愚衆と呼ぶようだ。

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