The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

言論の自由を戒める人は民主主義を戒める

2015-01-07 22:13:45 | Weblog
自由な声を上げることこそ、民主主義の土台だ。その内容はヘイトと呼ばれることもある。当然だろう。権力者だけではなく、侵略者に対して声を上げることをヘイトというのなら、奴隷となれ、と言っているようなものだ。相容れない思想や価値観を持つ集団が衝突した場合、話し合いで解決できるのは、双方で取り決めた約束事を守れる場合のみであって、約束も無視されるようなら決別しない限り、衝突はますます加熱し、状況次第で内乱という武力衝突にもつながる。こういった行動を望むのが、かつて日本に存在していた学生運動組織という左翼思想団体だ。彼らが残した傷跡は、まさに過去の日本軍を超えたテロ組織まで生み出したのだから良いわけではない。それでもこういった残党が存在するのは、日本国の治安維持政策が甘い証拠でもある。日本軍と違うのは、彼らは彼らのみの利益のために殺傷事件も当然という行動をすることだ。いくら日本軍が残虐だとかいったところで、所詮は戦争という人殺し行為を双方で認める異常な状況だ。また、日本軍以外にどこの軍隊でもにたような残虐行為はあった。

日本人が本当に望む平和とは何なのか。少なくても、強引な手段で領土を奪うような行為を認めるより話し合いと土台となる法的手段を取ることも必要だ。しかし、こういった手段を取らずに実行支配するような国とは、経済協業、民間交流も含めて制限するのが正常な国としての外交政策だと自分は感じる。必要なら経済政策も課さない。その上で法的処理に同意してもらうようにするのが最も平和的解決手法だろう。これと過去の日本が犯した罪への反省や賠償というのなら、存在する条約なりをどう解釈するのか、そこから話し合いをし、無効にするのならそれにそった日本への返済金も話し合い、結論が出るまでは、民間交流も制限する。これは当然の結果。

表現の自由による、メディアが公開した記事がある人たちを傷つけ、その人たちは暴力によっての復讐を選択した。言葉の暴力というが、過敏に反応するよりも無視していかないと、結果として相容れない思想や立場の集団が衝突する。 日本で朝鮮半島出身者のみヘイトの対象となる原因をメディアは記事にしない。過去何十年、朝鮮半島出身者による日本人差別を誰も指摘しない。ここに平等も人権も人道も何もない。あったのは朝鮮半島の国と日本国との外交問題だけだ。そもそも朝鮮半島の内乱に日本が関与しなければいいだけだし、核ミサイルが怖いというが、核ミサイルが爆発すれば影響は近隣諸国にも及ぶ。自らの首を絞めるとしても核ミサイルを使うのならそれは防ぎようもない。
専守防衛として、このミサイルを破壊することもできない。こんな状態で外交という話し合いで治まるという発想がおかしい。大国同士が核ミサイルを使わなかったのは、その破壊力がどれだけ復興するのに影響するのかを知っていたからだ。いい加減、過去の戦争で核ミサイルを使った国がどうとか、虐殺だとか言うのもやめたい。むしろ、現代の核兵器なら日本が受けた被害の何倍、否、何十倍なのか、そういった宣伝を世界にしていかにといけない。核は兵器ではなく平和利用としての防御手段の開発を進めるのが先だ。
被害者だから、加害者だからと立場を主張するのではなく、地球上の生き物として、人類すべてのためにどうするのか、そういった視点で核兵器廃絶を実行していかなければいけない。

信頼関係をどう築けるのか。模索する間ぐらい、国交を断つことも必要だろう。日本は過去の拉致にこだわりすぎる。もちろん、国として国民が拉致されたのだから、諦めるという訳はいかないだろう。しかし、現状でも拉致された日本人を取り戻すための武力は使えない。ならば、今後、拉致された日本人を救助できるような防衛力を実行するための法律改革が先だ。残留孤児対策もひどかった。日本人だから日本国に帰る。その支援を国がするのなら、最低限の日本語、日本国内で生活しえる常識の教育が先だろう。これをやらないから彼らは自立できない。また、家族にしても本人以外を認めるというのなら、家族全員に日本語と日本で生活しえるだけの知識の教育を必須とする。日本人の血統であっても言語や習慣が違えば、そこで生活するのは相当難しい。犯罪者で繰り返す場合のみ日本国籍取り消しで、強制退去という方法もある。死刑もだめ、強制退去もダメとなれば、どこかに隔離して生活させるしかないのだろ。アルカトラスなみの施設を作ればいいのか。二重国籍を認めるメリットして、強制送還ができる点がある。だから年金、納税を含めて、すべての相互主義による条約が何十年単位で見直しつつ、締結することで防衛としても価値を見出していきたい。経済協業はある種の経済という武器による同盟だ。だからここも相互同じ条件と利益が見出せなければ、締結する意味はない。人件費が安いからだけでは消費者から見捨てられると製造業は学ぶことだ。ビジネスも経済も政治的目的で海外と取引するのなら、そこには利益以上のリスクが伴う。そのリスク分を原価に反映させれば、結果として高くなる。

生理的に嫌悪という状況は、無理に我慢してもいつかは我慢できなくなる。それが世界で移民排除への行動となった。日本が行動しないのは日本に滞在する朝鮮半島出身者、大陸出身者の反撃が怖いからだ。過去に彼らが日本国内で犯した事件を隠蔽するのではなく、はっきりと公表しないから、朝鮮半島出身者が生理的嫌悪される理由を理解することができない。また、こういった現象をヘイトとという言葉を作り、封じ込めようとする人たちは、また日本人に我慢して犠牲になれと強要するようなものだ。

訪ねたい。祖国の文化、習慣が大切で継承したいのなら、何故、祖国に帰らないのか。日本に生まれ、育ったのなら、国籍は別としても日本人に近いはずだが、それでも悩むのは何故なのか。自分は日本の文化、習慣は好きだ。だが、国籍に拘って日本人でいたい、と外国に長い期間居住するのなら考えない。せいぜい、外国人になると今までかけた日本での年金が無駄になるから悩むぐらいだ。先祖の墓の管理とかは永住許可があればいいので、国籍に拘る必要はない。もし、日本国と戦争になれば、もちろん、国籍取得の国側に立つ。この覚悟がなければ移民などできない。ヘイトも同じで、世界のどこでも日本人というだけでヘイトされる。反面、歓迎もされる。これがまともな世界の反応だ。
最近は国というよりはアジア人というようなヘイトが増えてきた。そのうち肌の色や髪の色となっていくのは、国だけではヘイトする対象の人を選別するのが難しいからだ。
法律で人の心は変わらない。これを実感したのが戦後の日本政府だろう。だから海外への貢献を重視し、外交も経済支援を含めて発展途上国へ貢献してきた。平和維持として自衛隊が残した成果は、イランやアフガニスタンでどうだったのか。難民の中には覚えている人も多い。だが、日本国は難民を迎えない。自然災害は戦争より安全だといった人も多い。何事も障害はあって簡単にはいかないだろう。しかし、国を捨ててまで他国のそれも宗教の違う国へ逃げなければ生きていけない人をどう考えるのか。移民政策で農業、漁業、手工芸従事者といくらでも人材はいるのに無視するのか。多民族国家が成功するためには、多民族の言語や習慣の違い、共に生きるためには相互協力と理解が必要だ。そこで日本が古来が実行してきた「お互い様」という習慣が重要になる。民事仲裁でお互い様という概念を法的に処理できるのか、という疑問もある。だから教育だ。日本が嫌いで日本の習慣を受け入れられないというのは、帰国してもらうしかない。だが、宗教上、民族の習慣上、受け入れできないのなら話し合い、サポートできるような設備も必要だ。少なくても公立の学校では日本語、日本の教育をする。それぞれの国の言語や教育は各国に予算や設備を用意してもらえばいい。ただし、学業支援は日本国はしない。
現実としては、集まった人たちが言語や習慣、歴史を教えているようだ。この方式だとどの国の人でも平等に日本国で基礎教育は受けられる。もし、日本国で長期滞在をしないから日本の教育はいらない、というのなら確実に永住許可、帰化は不可とすればいいだけだ。つまり選択するのは当人たちなのだから、そこまで日本国政府が保護する義理はない。生活保護も同じで外国人の生活を保護する義理はない。一定期間の言語や従事する仕事のスキル、常識教育を受け、試験に合格した場合のみ永住許可、または帰化を認める。年齢は制限しない。外国人労働者すべてに収入保障保険の加入を義務付ける。これだけで社会報償費の負担は減る。同時に外国人が移民者として日本に長期滞在するための選択もできる。永住許可があっても年金、健康保険は過去の支払った金額分のみ適用し、生活保護は収入保障保険で賄う。帰化については、過去の納税歴、犯罪歴、政治的活動、軍事的活動、各加入保険の支払い状況、日本語能力試験として、日本語による基礎学力試験を経て、認めればよい。

地方行政が言論の自由を制限するような行動をするののなら、やがてそれは自らに降りかかる災いになる。直接、言葉で人は死なないし、血も流さない。だが、集団化すると暴力行為を迷わず実行する。これは反する側も同じ。過激になれば内乱になる。法律があっても犯罪はなくならない。またイジメもなくならない。同じだ。ならばどうすればいいのか。住み分けと無視する鈍感力だ。誇りがあっても友人はできないが、鈍感で無視することで誇りよりも輝く友人を手に入れることはできる。日本人が古来から継承したこのスキルこそが、島国日本が近隣諸国とうまく渡り合えた原因かもしれない。個人じゃく組織や集団なら、それぞれの利益と失い何かを計りにかけて判断すればいい。

朝鮮半島出身や大陸の友人とは、揉めるような話題は避けようと決めている。自分たちで揉めたところで解決できないのだから無駄はやめようという懸命な手段だ。代わりに双方は好き料理、芸術作品の情報など提供しあっているし、困ったときには助け合う。どちらも外国では外国人だから共通するトラブルは多いので、協力は必須だからだ。しかし、どちらも自国の文化、重視をする自国籍の人からあれこれ強要されるような内容も多い。日本人はそういったことはないが、他国は協力しない場合は、村八分もあるらしい。最悪、村十部。これぞ本当の差別と自分たちは笑っているだけだ。今、生きる、未来へ向かうことが最優先だし、そのためには問題は山積みだ。日本は好きだが、嫌いなところもたくさんある。これはどの国の人も同じ。まして、生まれて育った国ならば、身についた習慣も簡単には変えられない。これは反日思想も含まれる。不快だが、これがあるから交わらない、という結果より、無視して付き合った結果の方がずっと価値はある。言い合いはしないで、そこから立ち去る(逃げる)という知恵も日本人にはある。

差別を体感してもらうためにも、言論統制には反対だ。擬似でも体験することで、相手がどういった状況になるのか、思考することしか、異文化間をマイルドにする策はない。
教育ではなく、できるのなら小説、映画などを通じてが好ましい。日本アニメは暴力的だというが、戦争を賛美せず、否定していると論じた人がいた。戦争好きは大抵悪役だ。
だが、時には戦争を人殺しを実行せざる得ない場合もある。競争を否定しても、すべての生き物が日々生き残りをかけて競争している事実がある。人間だけが物を使っているだけだ。多種多様な思考による成果が文化を作り上げる。同じく、多種多様な思考が人をより大きな集団としてまとめる。異文化による共存は、いかに固有の価値観に拘らず、共に利益になる部分を見つめていけるのか、というのが必須だろう。それでも衝突する。こうやって新しい何かを生み出していく。本当の意味での人権、人道を目指す人が増えてきてほしいものだ。




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