ブログ 「ごまめの歯軋り」

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検察が民主党政権つぶしにかくも熱心なのは?

2010年02月17日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月17日7時14分
鳩山首相の偽装献金「不起訴は不当」 告発人が申立書
 鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載など)容疑で告発された首相を東京地検特捜部が不起訴処分(嫌疑不十分)としたのは不当だとして、複数の告発人のうち長崎市の右翼団体代表の男性が、「起訴相当」の議決を求める申立書を東京の検察審査会に提出し、東京第四検察審査会が16日までに受理した。

朝日新聞 2010年2月17日4時2分
小林陣営、北教組からの資金受領認める 違法性も認識
 民主党の小林千代美衆院議員=北海道5区=側が、北海道教職員組合(北教組)側から総額1600万円にのぼる違法な選挙費用の提供を受けたとされる事件で、小林氏陣営の会計担当者が朝日新聞の取材に、自ら資金を受け取っていたことを認め、「表に出せない金と分かっていたので、(事務所の帳簿に)意図的に記載しなかった」と証言した。資金提供の違法性を認識していた発言で、会計担当者は札幌地検に対しても同じ説明をしたという。

消えた火種を再燃さそうと自民と検察の執拗な民主党攻撃である。 これまで政治資金収支報告書に記載不備があっても脱税と同じく訂正すればいい話で起訴されることは無かったし、選挙運動で落選したほうに検察がやってくることがあっても、当選したほうに検察がやって来ることは無かった。小沢問題が終ったら、次は小林問題と、自民党は得意の検察ルートを使ってスキャンダルで民主党政権支持率を落とす戦略に終始している。その足元で参議院選挙を前に離党や出馬取り止めが起きている。これも反省がない末期症状だ。



読書ノート 矢野絢也著 「黒い手帳ー裁判全記録」 講談社

2010年02月17日 | 書評
創価学会と公明党による、元公明党委員長矢野絢也氏の日記奪取事件 第4回

1)手帖奪取事件 公明党と創価学会「政教分離」問題 (1)

 日記奪取事件は2005年5月15日の夕方に起きた。公明党OBの大川清幸、伏木和雄、黒柳明の元国会議員がアポイントもとらず不意に矢野氏宅を訪問したところから始まる。実はその前の4月20日に矢野氏は西田学会副会長と藤原副会長に呼ばれ、戸田記念国際会館で面談している。それは1993年から1994年に「文藝春秋」に掲載された矢野氏の手記に問題があるということであった。「世間から政教一致という批判を頂いているが、確かに状況を見ているとそういわれてても致し方ない面はある」という記述を問題として、学会を陥れるものだから謝罪文を書けという。謝罪文の原案は既に学会側で用意されており、「池田先生の名を辱めるような愚は決して冒しません」という謝罪文を書かされたのである。そして秋谷栄之助創価学会会長より電話で「ゴールデンウイークを利用してカサブランカへ出張するのは、都議選が近いから取りやめて欲しい」という要求である。予定通り海外出張へ出ると、長男を通じて帰国せよという指示があり、5月14日に帰国し、成田から戸田記念国際会館へ直行した。青年部の幹部5名が矢野氏を取り囲んで「文藝春秋」の記事について詰問してきた。矢野氏の評論活動をやめないと家族の命に関るという威しをかけながら謝罪文書」に署名を求めた。そして翌日、5月15日の事件が起きたのである。これらの事件は全て用意された一連の矢野氏攻撃の行動である。公明党OBの大川、伏木、黒柳3名は雑談から入って、前日の青年部の「政治評論家を辞めろ」と連動した言辞を吐く。そして文春記事にあった手記(極秘メモ、手帖のこと)の存在を気にして公明党OBの我々に預けてはどうだという。公明党議員OB会である「大光会」でも矢野批判が起きているを言って圧力をかけてきた。3氏との面談の途中に黒柳氏に携帯電話がかかり、近くにいた矢野氏の妻が断片的に聞いた内容は「今やっている最中で、・・・はい絶対にとります。打ち合わせどうりにやっております・・・・わかりました」というもので、誰かの指示に従って黒柳氏らは行動しているようだった。その後も手帳を預けろという要求がしつこく出され押し問答のあげく、公明党との関係をまだ大事にしていた矢野氏は押し切られる形で手帳を出すことを約束した。
(つづく)

読書ノート 五十嵐敬喜・小川昭雄著 「道路をどうするか」 岩波新書

2010年02月17日 | 書評
道路利権集団による日本国食いつぶしを阻止する 第6回

1) 道路建設と道路特定財源

 「アクアライン」の通行料が走行距離15Kmでバカに高い事(4900円)は有名である。これでも実は大変な赤字に陥っているのである。1987年中曽根首相の民活利用で「夢の架け橋」と謳われた道路であるが、1997年の開通と同時に「悪夢の架け橋」となった。推定交通量は1972年の計画時に7万台/日、事業費は4800億円と考え通行料金は2100円を設定していた。ところが、開通後の1999年の通行台数は1万1900台/日と机上の計算は脆くも崩れ去った。計画の1/6に過ぎなかった。事業費は1兆4800億円に膨れ上がっていた。料金収入が144億円、管理費54億円、金利返済が404億円、収支はマイナス314億円となった。そのため料金を値上げしたが追いつく数値ではない。道路公団、自治体、民間企業の作る東京湾横断道路会社の赤字では倒産は間違いないが、官僚は京葉道路を含む「千葉プール」という大きな有料道路集団のなかに赤字を隠すという姑息な手で隠蔽している。

 「道路法」3条によると、路線の指定・認定・建設・管理・費用が規定され、高速自動車堂、一般国道、都道府県道、市町村道に区分される。一般国道にも地元のの自治体に負担金の支払いを義務付けており、逆に都道府県道や市町村道に国の補助金が交付されるなど、道路は中央集権支配になっている。日本の道路財政は2006年度で13兆9082億円である。道路特定財源は5兆7782億円であり、国が3兆5561億円、地方は2兆2321億円である。国の特定財源3兆5561億円のうち、補助金として6000億円、交付金として7000億円合計1兆3000億円が地方へ廻される。道路特定財源とは戦後の「新道路法」が1952年に田中角栄氏らの議員立法で成立したことに遡る。新法は国による補助金制度という、中央集権主義と政官業利権集団という日本の政治の運命を決めた大変重要な法律である。おなじ年に成立した「道路整備特別措置法」によって、通行料金を取って道路整備に当てることが決められた。道路特定財源と道路建設計画を一本にした法律「道路整備費の財源に関する臨時措置法」が1953年に定められ、戦後の道路行政の基本形を定めた。第二条に道路整備5ヵ年計画は閣議で定めることになった。国会の承認を必要としないことで、時の政府が任意に計画を推進できることになった。官僚に道路計画権が委嘱され、かつ国会の承認を必要としないことから、官僚裁量の土建国家が形成されたのである。第3条に道路特別財源の記述があり、「揮発油税法」による収入を国の財源に当てなければならないとされた。第4条は補助金を決めている。財政上特定財源制度は出来るだけ避けることが求められてきたのも関らず、目的税をもうけることで道路建設が制約を受けずに暴走できることになった悪法である。最初は揮発油税だけであったが、1955年に地方道路税、1956年には軽油取引税、1965年から石油ガス税、1967年からは自動車取得税も、1970年からは自動車重量税も特定財源化された。そして1974年から「租税特別措置法改正」によって、2年間だけ揮発油税、地方道路税、自動車重量税、自動車取得税を本則の定める税率の約2倍にする暫定税率を導入し、今日まで法律を毎回延長してきた。
(つづく)


月次 自作漢詩 「残雪融」

2010年02月17日 | 漢詩・自由詩
鶯出新陽緑向東     鶯出でて新陽 緑は東に向い

梅凌残雪待春融     梅凌いで残雪 春を待って融く

氷花含雨山難白     氷花雨を含んで 山白なり難く
  
炉閣成灰火失紅     炉閣灰と成って 火紅を失う

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(韻:一東 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)