ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

私学で奨学給付金 教職員の給料を削って

2010年02月06日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月6日8時15分
教職員ボーナス削り奨学金工面 上智大、年10万円支給
 上智大などを運営する学校法人上智学院(東京都千代田区)は2010年度、教職員のボーナス予算の一部を財源に、経済的に困っている学生を支援する独自の奨学金制度を創設する。  支給対象は、法人の大学、短大、専門学校に在学し、経済的に困窮する学部生や大学院生ら。1人あたり年10万円を毎年100人に支給する。返済の必要はなく、他の奨学金制度との併用もできる。期間は3年

学生が少なくなれば私学の経営は悪化 教職員の多少の犠牲もやむをえないということ。これも助け合いのひとつ

今年も就職内定取り消し

2010年02月06日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月6日3時3分
内定取り消し、今季も 百万円渡し「かかわらないで」
 今春就職予定だった大学生の内定を取り消す企業が今シーズンも出ている。企業の「内定切り」が2008年度相次いだため、厚生労働省は、採用計画が不適切な企業を公表するなどの対策に乗り出している。しかし、今季も業績悪化を理由に内定辞退を迫り、中には、学生に「この件にはかかわらない」と、多額の現金を渡して約束させた企業もあった。

第2就職氷河期到来 厳冬で地球温暖化の効果なし デフレは続く 嫌なご時勢ですな

読書ノート 佐々木毅著 「政治の精神」 岩波新書

2010年02月06日 | 書評
政治を支える精神を、政治家、国民、政党の軸から読み解く 第14回

第3章 政治に関与する精神 (2)

 19世紀は政治への参加についてばら色の未来が論議された。しかし20世紀前半はそれに対して懐疑的な見方と全体主義が広まったのである。すべての権力の源泉が人民にあると云う「人民主権」は間違いはないとしても、人民自らが統治することははたしてできるのだろうかという懐疑論が、大衆社会の出現と世界大戦と革命の勃発を前に提議された。アメリカのジャーナリスト、ウオルター・リップマンは「幻の公衆」(1923年)を提出した。公衆による自己統治という原則は極めて大きな負担を市民に課するもので、到底できる相談ではないという。世論は虚構であり、ステレオタイプである、つまり作られたものであって、自然に沸き起こったものではない。リーダーシップを発揮する政治的指導者とは内容的に多義性を帯びる象徴を用いて、相分裂するグループをとりあえず同調させられることだ。つまり権威ある人が使用する象徴を通じて見しらぬ世間との関係が成立することになる。合意や世論は作り出されるもので一種の「操作」である。こうして権威ある指導者による大衆の操作という構図が民主主義を突き破って顔を出した。少数の人間が政治的決定の担い手になって、広範な人々の関心を実現するという。リップマンは「政治専門家(官僚も政策者集団に入る)と公衆は分裂し、多数者が自治を行うことは永遠にない。そこには指導者の支配があるのだ。」と結論した。そしてヒットラーが宣伝によって大衆を操作し戦争という政治闘争に誘導したのであった。
(つづく)

読書ノート 山口二郎著 「政権交代論」  岩波新書

2010年02月06日 | 書評
健全な民主政治には、政権交代が常に必要だ 第16回

自民党政権はなぜかくも長続きしたのか (3)

 1990年代後半自民党が勢力を回復し、1996年橋本内閣、2001年小泉内閣は改革政党を自任したが、これも偽装に過ぎなかった。構造改革で省庁再編製を行った橋本内閣の後を継いだ、小渕、森内閣は短命に終った。新党結成で自民党の良質な人材が流失したため、自民党は無節操、機会主義、右傾化を一層加速した。そのあと自民党を破壊したのが小泉首相である。変人小泉首相とは何だったのだろうか。自民党中興の祖かはたまた破壊者だったのか。小泉首相は自民党長期政権の権力構造を否定し、「自民党をぶっ潰す」と高らかに吠えて未曾有の人気を獲得してから、強引な改革をこなった。「官から民へ」という題目で規制緩和をおこない、「小さな政府」の題目で経費節減で福祉を含めて切り捨て、労働派遣法の改悪などセーフティネットを破壊したが、道路公団民営化と郵政民営化をスローガンとして2005年の郵政選挙で大勝した。小泉政権の下日本社会は格差拡大が進行し、ホリエモンという時代の寵児を生んだが、若年労働者は派遣で貧困化した。ここで民社党は曲折を経て、自民党との対決路線、構造改革に対決する「生活第一」を確立した。小泉の反面教師を利用したのである。小泉政権は官僚を敵に回して、族議員の政策形成を阻止し首相官邸の機能強化を図った。トップダウン型の政治手法は族議員の周辺化・無力化に繋がった。首相のもとに権力を集中し、首相主導の統治モデルである。小泉首相の功罪については、内山融著 「小泉政権」中公新書を参照してください。
(つづく)

環境書評 佐和隆光著 「グリーン資本主義」 岩波新書

2010年02月06日 | 書評
グローバル危機克服の条件 第17回

3)経済成長のパラダイムシフト (2)

 ところがエコ製品の世帯普及率は目下いずれも1%以下に過ぎない。太陽光発電の出力は住宅の屋根に取り付ける場合3-3.5KW程度である。標準的家庭で使用する電力量の6分の1である。設置費用は225万ぐらいで、補助金は21万円(kW7あたり7万円)であるため、当然投資額に対する電力節約で見ると償却は不可能である。一戸建て住宅での設置率は1.7%である。余剰電力の買取リ制度(もしあまればの話)は日本では、電力料金の2倍で設置後10年間であるので強力なインセンティブにはならない。一般電力料金にその買取額を上乗せするというのは、設置していない人からすると許せない制度であろう。定置型燃料電池の価格は346万円で光熱費節約額は年間五万円程度で採算の取れる次元の話ではない。120万円ほどの補助金がでるが。電気自動車EVアミーブ(三菱自動車)の価格は438万円、補助金が139万円つくとしても、非力な車にして高級車なみの価格では普及しない。未だ普及を云々できる技術段階でない製品に膨大な補助金をつけるというのはこれをインセンティブ誘導というのだろうか。このように期待されるエコ製品は今のところ取るに足らない段階であるが、将来への投資にはなるだろう。ただ石油ショック以来自然エネルギーの技術開発は40年ほど続いてきたが、自然エネルギーの利用率は全エネルギー消費量の数%に過ぎず、はたして前途を期待できるものなのか心配である。
(つづく)