ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

JAL株 紙くずに 

2010年02月09日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月9日3時1分
JAL株「紙切れになっちゃった」 保有6議員、嘆き節
 8日に公開された衆院議員の資産公開では、民主党4人、自民党2人の計6人が日本航空株を持っていた。日航株は同社の会社更生法の適用申請を受け、無価値になる予定で、議員らの口からは嘆き節が漏れた。

鳩山兄弟はいいな 超優良会社ブリジストンの株を譲ってもらって

自民党田村参議院議員 民主党へ鞍替え

2010年02月09日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月8日22時0分
参院民主系、社民抜きでも過半数 自民離党の田村氏入党
 自民党を離党した田村耕太郎参院議員が8日、民主党の小沢幹事長と党本部で会い、民主党入党の考えを伝えた。これによって民主系会派「民主党・新緑風会・国民新・日本」は参院の242議席のうち、121議席になり、原則として採決に加わらない議長を除いて参院の過半数に達する。鳩山政権は連立与党の社民党が離脱しても、参院での主導権を維持することが可能になる。

自民党今年夏の参議院選挙を前に、総崩れ 不出馬・離党相継ぎ止まるところを知らず

検察は正義の味方か関東軍か? 

2010年02月09日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月9日7時14分
小沢幹事長、検察との対決続く 旧田中派で3度経験
 田中角栄元首相、竹下登元首相、金丸信元党副総裁……。小沢一郎・民主党幹事長が自民党時代に同じ派閥に属し、「政治のボス」と慕った政治家はいずれも東京地検特捜部の捜査で追い込まれ、一線を退いた。自らの資金管理団体の事件で、初めて「宿敵」特捜検事と対峙(たいじ)した小沢氏。嫌疑不十分で不起訴となり、政治生命を保ったが、元秘書らの裁判や検察審査会で「対決」は続く。
 党大会で小沢氏は言った。「我が党の党大会に合わせたかのように逮捕が行われる。これがまかり通るならば、日本の民主主義は暗澹(あんたん)たるものになってしまう。非常に憂慮している」
 小沢氏は191回にわたったロッキード裁判をすべて傍聴した。政治評論家の鈴木棟一さんは「傍聴する中で、捜査の矛盾を確信したのだろう。それが検察への対抗心につながっている」と話す。
 竹下内閣が退陣に追い込まれた89年のリクルート事件で、小沢氏は「東京地検は関東軍になったのか」と批判。
小沢氏に関する著作のある作家大下英治さんは「真の政権交代を成し遂げようという仕上げの時期に、またも特捜部が立ちはだかった」と小沢氏の立場を推し量る。
 これに対し、特捜部経験の長い検事は反論する。「捜査対象に旧田中派の政治家が多いのは、それだけ権勢を誇ったことの裏返し。狙い撃ちしたわけではない」

検察は内閣を潰す力を持っている。総理大臣を逮捕すればいい。政変やクーデタ並の力で、後進国の検察と同じく一大政治勢力である。歴代実力派総理の逮捕理由にくらべて、今回の小沢氏への容疑はなんか規模が小さすぎる。検察の力みすぎに終わりそうだ。

読書ノート 佐々木毅著 「政治の精神」 岩波新書

2010年02月09日 | 書評
政治を支える精神を、政治家、国民、政党の軸から読み解く 第17回

第4章 政党政治の精神  (1)

 阿部・福田政権の相次ぐ崩壊によって、国民は日本の政治(自民党政治)のエネルギーの弱体化とその明らかな変質を感じ取った。これは二世・三世の政治家の個人的資質の問題よりも自民党という政党の教育や支えかたに大きな問題があった。人気者に依存する姿勢が顕著で、継続的な権力闘争という教育がなかったためである。麻生政権も弱体で「なぜ首相にふさわしい人材がいないのか」と、党内で麻生おろしが吹く今日この頃である。自民党は高度経済成長と冷戦というエネルギーを注入されて1990年まで隆盛を誇ったが、反共を叫んでも意味がなく、自らの金の出所であった道路や公共事業が削減されて支持を失った。小泉政権がこれに止めを刺したというべきであろう。自民党を空洞化、無気力、無力感が蝕んだ。まさに55体制(アンシャンレジーム)の崩壊であった。
(つづく)

読書ノート 山口二郎著 「政権交代論」  岩波新書

2010年02月09日 | 書評
健全な民主政治には、政権交代が常に必要だ 第19回

民主党は政権交代で何を変えたいのか (3)

 著者山口二郎氏は小沢一郎氏の政治手法である裏工作(独断専行)と安全保障タカ派の懸念を述べている。小沢は憲法や安全保障問題で党なの亀裂を防ぐため今は議論を凍結しているが、将来政権をとった時どう出るかに不安が隠し切れないという。前原代表の「自民党と改革競争をしよう」という同じ土俵式の馬鹿な発言につづいて、2006年武部自民党幹事長のいわゆる「偽メール事件」で更に民主党は混迷を続け、2005年より小泉改革の規制緩和の弊害があちこちで出始め、「ワーキングプアー」の格差拡大問題を政治的に放置できないところまで来た。政治的に未熟な前原退陣を受けて民主党内の政治勢力が様変わりし政経塾出身や新自由主義議員が発言力をなくした。そして小沢民主党は「生活第1」をスローガンにかかげ、小泉式新自由主義構造改革に対決する路線を走ることになった。阿部内閣の復古調の右傾化によって2007年参議院選挙では民主党は大勝した。直接の勝因は年金不明問題の追及にあった。そして小沢は社会民主主義的政策と親和性を持ち、構造改革路線の歪是正に動いたことである。ここで新自由主義と再分配という対決の構図が出来上がった。自民党福田首相の時に小沢の悪い癖である独断専行の「大連立」騒動で小沢路線はピンチにたたされ、2009年西松建設の政治献金問題で秘書が逮捕されて小沢は代表を退いたが、鳩山代表の下民主党の追い上げは麻生首相を追い詰めた。
(つづく)