ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

北朝鮮 再び在米コリアンの釈放を対米会話の条件に

2010年02月05日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月5日10時58分
北朝鮮、拘束米国人の釈放を決定 朝鮮中央通信
 【ソウル=箱田哲也】北朝鮮の朝鮮中央通信は5日、昨年12月に不法入国したとして拘束した米国人ロバート・パクさんの釈放を決定したと伝えた。北朝鮮は米国との本格的な対話再開を望んでおり、パクさんの釈放決定も米国に向けた政治的なメッセージである可能性が大きい。
 パクさんは在米コリアンの人権活動家とみられ、同通信によると、昨年12月24日に中朝国境から北朝鮮側に入った。拘束された際、北朝鮮の人権改善を訴える金正日(キム・ジョンイル)総書記あての手紙を携えていたと

いやしむべき人質外交 こんな国かキムジョンイル軍事独裁国家は!

トヨタ10年3月期黒字化も リコール問題で暗雲 

2010年02月05日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月4日23時49分
トヨタ、リコール影響1800億円 3月期黒字化は困難
 トヨタ自動車は4日、欧米などでの大規模リコールにより、2010年3月期の営業損益に1800億円規模の影響が出る見通しだと明らかにした。4日発表した同期の連結業績見通しでは、営業赤字は昨年11月に予想した3500億円から200億円に大幅縮小。だが、リコール問題が響き、黒字転換は厳しい情勢だ。新型プリウスのブレーキ問題の影響は見積もっておらず、先行きには不透明感が漂う。 純損益は、従来の2千億円の赤字予想から800億円の黒字に転換する見込み。前期は4370億円の赤字で、黒字化すれば2期ぶり。

トヨタの回復は日本の景気の牽引車 マット問題からアクセルペダル問題そしてプリウスブレーキ問題と相継ぐリコールというリスクは読めなかったようだ。

小沢問題検察記者会見 質問に答えず

2010年02月05日 | 時事問題
朝日新聞 2010年2月5日7時1分
検察の説明責任、どこまで果たすべきか 小沢氏不起訴
 小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件をめぐっては、二つの説明責任が問題になった。ひとつは小沢氏。そしてもう一つは東京地検特捜部だ。特捜部は4日、約1時間20分という異例の長さにわたって記者会見を開いた。ただ起訴内容の詳細については、「公判で明らかにする」などと明言を避けた。検察はどこまで説明責任を果たすべきなのか。

官は民に説明する義務を負わないという、この思いっきり不透明な闇の権力機構「検察・警察」をどうかしないと、民主主義の敵対者に変身しかねない。

読書ノート 佐々木毅著 「政治の精神」 岩波新書

2010年02月05日 | 書評
政治を支える精神を、政治家、国民、政党の軸から読み解く 第13回

第3章 政治に関与する精神 (1)

 丸山真男氏は「政治的判断」(1958年)において、「政治的思考とは徹頭徹尾結果責任である事を認識し・・」という。先ず現実を「可能性の束」とみて、「理想はそうだとして、現実は・・・」と固定した二元論に陥らない事であると云う。現実の認識とはつまり「方向性の認識」と不可分である。再軍備の問題や安全保障理事会の拒否権問題について「現実の壁」を「一般命題」と決めつけない態度が重要であろう。政治はお上がやってくれるものだという考えは、「政治とはベストの選択だ」という誤解を生みやすい。福沢諭吉がいうような「悪さ加減の選択」(最悪のものは避けよう、できるだけましな政策をえらぶ)という考え方が必要で、過剰な期待は極端な落胆を生みやすいのだ。丸山氏の視点は厳正中立を標榜する新聞報道、保守と革新という一般命題の誤解を説き、「あえて反対党に投票することで政権与党の政治的緊張意識を高める」とか、「戦後の政治制度のよいところを守る革新勢力の保守感覚」も必要であると云う。それくらいでないと保守勢力の「改革」に太刀打ちできないことになるという。丸山氏亡き後、世界金融経済の崩壊と、雇用崩壊にどう対処するかが我々の課題である。
(つづく)

読書ノート 山口二郎著 「政権交代論」  岩波新書

2010年02月05日 | 書評
健全な民主政治には、政権交代が常に必要だ 第15回

自民党政権はなぜかくも長続きしたのか (2)

 自民党の長期政権の間に官僚機構は自民党の人材供給源となり、自民党が官僚機構に政策と人材を依存してきたことは、自民党から政策立案能力を奪ってきた。自民党にとって権力こそ唯一の組織統合の接着剤になったことで自民党に理念不在という欠陥をもたらした。しかし政権維持のためには野党の政策も無節操に取り入れる柔軟性は自民党のお家芸でもある。岸、池田、佐藤、田中、三木、大平、福田までは激しい派閥抗争を繰り返したが、竹下、阿部晋太郎、宮沢あたりからそのようなバイタリティはなくなった。小沢が「キングメーカー」といわれて首相を次々指名するようになって、首相の小粒化、無力化は露になった。1990年代になって冷戦構造が終焉すると、「反共」という対立軸がなくなった。そして政治の自由度がうんと増加した。竹下派(経世会)のなかに改革推進派が現れ、自民党の基盤から日本新党、新党さきがけ、新生党が雨後の筍のようぬ発生した。1993年6月自民党の分裂で宮沢内閣が倒れた後、日本新党の羽田、新生党の小沢、さきがけの竹村、田中秀征が躍進し、社会党は激減した。非自民勢力で過半数を制した結果、細川連立内閣が誕生した。ここで初めて自民党は下野した。そこで自民党は政治改革・組織改革を行うだけの度量はなく、細川内閣、羽田内閣が短命で終わったのを機会に、1994年権力を維持するためだけの自民党、社会党、さきがけの三党連立内閣ができた。自民党がハト派に変身したのではなく、この偽装を見抜けなかった社会党の馬鹿さ加減が思いやられた。
(つづく)