tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

御油宿から赤坂宿まで歩く・・・

2019-04-04 17:00:04 | 東海道五十三次の旅

4月4日(木)

昨日から一転して暖かな春の陽気になりました。

今日も東海道五十三次散歩の備忘録です。

       

   莬足神社(うたりじんじゃ)

 この日は、今回の東海道五十三次散歩最終日です。

昨日のゴール地点から少し歩いたところに鎮座しておりました。

延喜式内社で8世紀の終わり頃には神の社として祭られていたといいます。

4月に行われる、風祭での手筒花火は有名です。

また、この神社には、始皇帝が不老長寿の妙薬を探させたという、「徐福伝説」が残されております。

    

   伊奈一里塚

 ここの一里塚もポツンと碑だけが建っておりました。

日本橋から75番目の一里塚です。

    

   日本橋から

 ここは珍しく旧東海道が国道1号線になっておりました。

日本橋からおよそ305k地点です。よく歩いたものでともいます。

    

   大社神社

 かってこの付近に三河国の国府が置かれていたそうです。平安中期にこの地を支配していた大江定基によって、大国主命と三河国中の神々を祀り、三河国府の総鎮守としていたのが始まりだそうです。

ここでも、手筒花火が上がるので、狛犬まで色が変わっておりました。

    

   御油一里塚

 日本橋から76番目の一里塚です。

ここも石碑が建っているがけでした。

    

   御油姫街道追分

道が分かれておりまして、東海道と姫街道との追分になっております。

どうしても東海道を通るのに抵抗のある人が通った道だと聞いております。それでも関所はあったそうですから、そちらはあまり厳しくなかったのでしょう。

    

   椿

 御油という地名になった由来ある椿です。

持統天皇が近くの宮路山の行幸された時に、村人が椿から採取した油を灯火用に献上しとの言い伝えから「御油」と呼ばれるようになったそうです。

    

   御油の松並木

 松並木の入り口に建っておりました。

この松並木を見たいために、東海道を歩き出したという方もおりました。

    

   松並木

 ただ通り過ぎてしまうは勿体ないような松並木です。

御油と赤坂の間に600m続く松並木は、亀の甲羅のような樹皮が特徴的な三河黒松が植えられております。

昔のまま、土を盛り上げた土手の上に並ぶ松はいくら見ていても飽きません。

    

   松並木の終わりに

 この松並木は、国の天然記念物に指定され、現存する東海道随一の松並木だといわれております。

樹齢100年以上の古木が約90本あるといいます。

    

   マンホール

 赤坂宿に入りました。

最初に出会ったマンホールです。

    

   見附跡

 赤坂宿見附跡だそうで、空き地になっておりますが、かっては宿の入り口の番所が建っていたそうです。

 今回は、ここがゴールです。

次回は、ここから歩き始めます。

    

   豊川稲荷へ

 東海道五十三次散歩は終わりましたが、せっかく豊川稲荷近くまで来ておりますので、昼食を兼ねてお参りをさせてくれました。

    

   豊川稲荷山門

 初めてお参りいたましたが、正面に立った時に山門があるのに驚き、神社に山門??と思いながら境内の中に入って行きました。

       

   本殿

 鳥居をくぐって本殿前に進みます。

どう見ても神社です。

正式には、円福山妙厳寺という曹洞宗のお寺さんだそうです。

秘仏として祀られている仏さまが、稲穂を担いでいる姿から、お稲荷さんと呼ばれるようになったそうです。

 

今回の東海道五十三次散歩も終わりました。

3月22日、14.3k 3月23日22.9k 3月24日14、3kで、合計すると、51.5k歩いたことになります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする