tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

国府津宿から小田原宿まで・・・

2016-02-29 18:08:15 | 東海道五十三次の旅
2月29日(月)
寒さの緩みを感じさせるような穏やかな一日でした。
昨日の疲れもありますが、月曜日ですのでストレッチ教室に行って良い汗を流して来ました。

今日は昨日の備忘録的ブログになります。

   
   国府津駅

前回解散をしました、この駅から小田原宿を目指して歩き出しました。
今回の距離は短くおよそ8キロの行程です。

   
   東海道線の記念碑

ここ国府津駅は、丹那トンネルが開通するまでは、ここから御殿場方面が東海道線だった駅ですので、鉄道ファンにとってはたまらなく懐かしい駅でもあります。

   
   御勧堂の碑

親鸞聖人が七年間過ごしたという建物が残っており、今でも訪れる人が多いそうです。
この場所の向い側に真楽寺があり、親鸞聖人ゆかりの逸話や宝物などが残っているそうですが、残念ながら非公開という事で拝観は出来ませんでした。

   
   菅原神社

関東では名高い「国府津の天神様」だそうで、受験のシーズンになりますと大勢の人達でにぎわうそうです。

   
   通りゃんせの歌碑

通りゃんせの歌はこの天神様がモデルだそうですが、その他の詳しい事は全く分からないとのことで、「言ったもん勝ち」と、ガイドさんは小さな声で言っておりました。

そう云えば、どこかの神社で聞いたことがあるような気がしております。

   
   撫で牛

菅原神社には必ず牛がおります。
この神社も例外ではなく石でできた牛がありましたが、大勢の皆さんに撫ぜられたようで大分摩耗しておりました。

境内には樹齢800年と伝えられるムクノキが、この社に歴史を物語っております。

   
   国道1号

この辺りは、旧東海道と国道が交わったり離れたりしておりますので、1号線沿いを歩くことが多く、歩いていると車の速さに驚いてしまうようです。

   
   川辺陣屋の門

今は門だけが残されております。
ガイドさんの説明によると、酒匂川の水が川越人足の首通り(133㎝)まで増水すると川留となったそうです。

旅人は、小田原宿まで引き返すか、大磯宿に戻るしかなかったそうですが、そんな時に、この近辺の宿や民家で川留が解除されるのを待ったそうです。
その権限を持っていたのが、ここ川辺本陣だったそうです。

   
   酒匂川

広重の「東海道五十三次 小田原」では、ここ酒匂川の「歩渡し」の様子が描かれております。
ガイドさんが、広重の絵をかざして、あれこれ説明をしてくれますが、余りにも変わり過ぎていて、絵と風景を重ね合わせる能力が私にはありませんでした。

   
   新田神社

南北朝の動乱の最中に、越前藤島の戦いで敗れて戦死した新田義貞の首を家臣の宇都宮奏藤は、義貞の晒し首を奪い取り義貞の本国上野の国の葬るためにここまで来ましたが、病にかかり再起不能になってしまい、主君の首をこの地に葬り自分も殉じたと伝えられております。

   
   新田義貞の首塚

戦後荒廃いておりましたが、地元の人たちの尽力によって整備されております。

   
   小田原宿江戸方見附

新田義貞の首塚から街道に出ると、「小田原宿江戸方見附」があります。
ここも手書きの標識が建っているだけでしたが、一本の巨大な松が往時をしのばせます。

   
   かまぼこ通り

1号線から少し入りますが、かまぼこ通りと云われている通りがあります。
道の両側にたくさんのかまぼこのお店がありました。

一軒の店に寄って、味見をしたりおみやげに買ったりと大賑わいでした。
私は持ち歩くのが重いですから、買う事しませんでした。

   
   明治天皇行在所

明治天皇が宿泊した場所で、片岡本陣だったところですので、小田原市が記念事業として土地の一部を整備して石碑を建てたそうです。

      
   徳常院の大仏

銅製の大仏地蔵で、正徳3年(1713)に増上寺の僧が世の中の平穏を願って鋳物師に作らせて、箱根芦ノ湖畔の賽の河原に安置されておりましたが、明治の廃仏毀釈で売りに出されたそうです。

東京の業者が買って馬車でここまで運んで来ましたが、ここでどうしても動けなくなってしまい、この寺の世話人や町衆が65両で買い取り、徳常院に安置したそうです。
アメリカ人が、この大仏をスケッチしたものが偶然新聞に載り、外国人ばかりが訪れていたそうですが、近年ようやく日本人が来るようになったと御住職はニッコリされておりました。

   
   小田原宿

ようやく小田原宿に入りました。
江戸時代の東海道は城下町から外れていたそうで、街なかに宿の名残りが無いのは当然なのかも知れません。

   
   お城

ひとつの角を曲がるとお濠が見え始め、歩くごとにお城が大きく見え始めました。
お城のある町に住んでいる人がこれほど羨ましく感じた事はありません。お濠があり松が並び、その向こうに天守閣がそびえております。
いつ見ても素敵な風景です。

   
   北条氏政・氏照の墓

天正の小田原攻めにより敗れた北条一族の内、当主氏真は高野山に追放され、父である氏政とその弟氏照は切腹して果てたと云われております。
その兄弟の墓もずいぶん荒れ果てていたそうですが、近年整備をされ、繁華街のど真ん中というところに安置されております。

当主氏真が切腹を免れたのは、妻が家康の子供であったためのご赦免だそうです。

   
   小田原城

駅のコンコースデッキからのお城です。
駅を降りれば誰でもが見る事が出来る小田原城です。

今回の東海道五十三次散歩の旅は、ここ小田原で終りました。
およそ8キロの行程を18.000歩でした。
コメント (8)
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