tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

三級浪高魚化龍は鯉のぼり

2014-05-05 17:50:54 | 禅語今昔
5月5日(日)立夏 端午
今日から立秋までが夏という事で、沖縄県では梅雨入りの宣言が出されております。

そして、端午の節句。
鯉のぼりの風習は、江戸時代からだそうで、滝を登って龍になるという、中国の逸話にちなんだもので、男の子の立身出世を願って、たくさんの鯉のぼりを家々で競ってあげたのが始まりだといわれております。

「三級浪高魚化龍」(さんきゅうなみたこうしてうおりゅうとかす)という禅語がありますが、この鯉のぼりの風習の元といえます。


   

   静かな茶室

初風炉のお茶事で使った道具もすっかり片付いたお茶室は、いつもの通り静かなお茶室に戻りました。
いつお稽古が始まっても良いように、準備万端です。

狭い庭ですが、木陰に植えてある「エビネ」が咲き始めました。
このエビネも、友人の持ち山から頂いてきたもので、もう何年前になる事やら・・・忘れておりますが、この時期になると綺麗な花を見せてくれます。

   

   エビネ

ラン科の多年草で雑木林などによく見られますが、自然交配で様々な色の変わった花が咲くことがあるそうです。
我が家のエビネも、その変化したものらしく、地エビネといわれる中では綺麗なピンクで他のものとは違っていたので頂いてきたものです。

こうして毎日のように次々と花が咲き始め楽しませてくれますが、梅雨から夏に代わる頃から、我が家でも花がなくなり寂しい庭になってしまいます。

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「洗心」は手も洗うが心も洗う

2013-08-12 18:35:50 | 禅語今昔
8月12日(月)
連日の暑さをどう表現すれば良いのでしょう。そして、その表現の行き着くとところは、「猛暑」という事になります。
高知では41度記録したそうで、今日も夕方のひと雨が欲しいところです。

このような暑さででは、散歩も出かける気にもなれず、ひたすら自宅にこもっている情けなさです。
あと1週間で合宿が始まります。
早く気持ちを切り替えて、何時ものお稽古をしている状態の戻さないと、2泊3日の合宿で参ってしまいます。

そんな訳で、今日はお軸の整理を行いました。
仕事柄軸の本数だけはありますが、余り整理をしておりませんので、使う軸は決まってしまいますので、整理を兼ねて分類をして見ました。



洗心 

この禅語も、お茶会などではよく掛けられている軸のひとつですが、一般的には、神社の拝殿前の前に必ず設置されております御手洗(みたらし)に「洗心」の二文字が刻み込まれているのをよく見ると思います。

「ここで口をすすぎ手を洗うのは、単に身を清めるだけではなく、心のけがれを洗い清める事だ」言われておりますのは誠に適切であると思います。

茶人が席入りに先立って、手水を使うのも同じ考え方からです。。





この洗心は中国では、紀元前にはすでに使われており、「易経」の中に「聖人は此を以って心を洗う」という句があり、「後漢書」には、「心を洗いおのずから新たなリ」という句もある。芳賀幸四郎著「一行物」より

こんな難しい言葉で解説しておりますが、最期に先生は、「日常で朝起きて顔を洗うのも、日に幾度となく手を洗うのも、同時にそれは洗心の行であるべきと・・・」

毎年初詣に行くと、神社の境内は御手洗で手を清めるためにもの凄い列になっております。
そして、不思議な事にここを素通りをして、拝殿に向って行く人がほとんどいないと言うことにいつも感心させられております。

よく言う、今時の若い人もちゃんと並んで順番を待っております。

まだまだ、日本も捨てたものではないな~・・・毎年のように思っております。
この猛暑の真っ只中で、足踏みをしたくなるほど寒い初詣の事を思い出しながら書いております。


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一笑百福の軸は・・

2013-02-18 17:57:12 | 禅語今昔
2月18日(月) 雨水

今日は雨水。降る雪が雨へと変わり、氷が解け出すので農作業の準備を始めるころとされております。

そして、今日は雨水の中でも初候といわれ、早春の暖かな雨が降り、大地が潤い目覚めるころに当たるそうです。
そんな日でしたが、暖かな雨どころか朝から時折白い物がちらほら・・・。やっぱり雨の一日になってしまいました。

今日はストレッチから始まりました。久振りのためか帰って来た今も筋肉が痛むような重さを感じております。でも、気持ちは爽やか・・といったところです。



一笑百福 

この軸は、総持寺貫主大道晃仙禅師様の揮毫されたものです。

「笑う門には福来る」と同じように、解釈すればよろしいのでしょうか。

 笑いは感動与える。
 笑いは気持ちを安らかにする。
 笑いは心を温める。
 笑いは人と人とを結びつける。
 笑いは頭を空っぽにしてくれる。

思いつくままに書いてみましたが、笑いの効果効用はたくさんあると思います。



どのお顔も幸せが満ち溢れているようです。

この墨蹟は、以前お茶会があるときに、お願いいたしました墨蹟の中に一緒に入っておりましたもので、禅師様のお気持ちをありがたく頂戴いたしました。

直ぐに軸に表装して茶会に使わせていただきましたことは云うまでもありません。





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禅語 円相

2012-11-26 17:59:17 | 禅語今昔
朝から雲が多く、昼前からポツポツと降り出しましたが、本格的な雨にはならず夕方には西の空がほんのりと優しい夕焼けになっておりました。

昨日がロングドライブでしたので、今日は予定をいれずのんびり出来ましたが、そうばかりいっておられませんので、先日の外国からのお客様の時に使用した茶道具や器などをよく拭き清めて箱にしまいました。

気持ちがゆったりしておりますので、今日は禅語の話を書いて見ようと思っております。



円相 円太虚 鷲見透玄老師

円相の解釈は難しく、とても私には説明が出来ませんので何冊かの本の中から抜粋してみました。

円相は禅語でもなく、禅画でもない。しかし、禅のきわめて禅的な表現。(一行物 芳賀幸四郎著)


絶対的な真理の一表現で、語句では説明し難い悟りの象徴。 (禅林句集 柴山全慶著)

お茶の道具は総じて丸みを帯びた円の形をしているものが多いように思います。
また、点前の動作、道具を扱うのにどのように扱うのが美しいか、それは円を画くようにすると点前の美しさが表現されると教えられます。

特に茶道で円相をことの外大事にするのは、自己を忘却して相手の気持ちになり得る心の豊かさを、点前とか道具に表しているからだと思います。
茶道を修ずる者は、この「円」の心を目標として精進努力いたしたいものです。( いっぷく拝見 千坂秀学著)

こんように書かれております。

実に難しい。それでも、茶室の床の間に掛けられるとピタリと収まり、どんな茶室でも落ち着いた雰囲気を作り出してくれます。

写真の円相は、20年?もっと前かも知れませんが、能登旅行に行った時に、総持寺祖院で精進料理を頂き、その折にお願いして揮毫していただいた軸ですので、時々はかけて見ております。

思い出がたくさんの軸ですが、掛けるたびに、あの時、お願いした勇気は失礼だったのかも知れない・・・。

ただ、執事をなさっておりました方が、偶然に同郷であったことからお願いできたのかも知れません。

大切な大切な一本です。
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祭囃子を遠くに聴きながら・・

2012-08-04 18:45:18 | 禅語今昔
暑い日が続いておりますが、各地では夏祭りが盛んなようで、我が町も今日からお祭りで大賑わいです。
大勢の人の集まるところが苦手な私は、時折風に乗って聴こえる祭囃子を聞いているだけで充分です。



室閑茶味清

今日はこんな軸を掛けてみました。
多分町なかは祭り一色の賑やかさが続いていると思いますが、静かな茶室で一服を頂くのもいいものです。

室閑茶味清は、「しつしずかにしてちゃみすがし」と読むそうで、この軸が、手元に来た時は、「ちゃみきよし」と読んでおりました。ところが、ある時「きよし」でも間違いではありませんが、と前置きをされて、お茶室で読む時は、「すがし」の方がしっくりいくでしょう。
こんなご指導を頂いたことを覚えております。

喧騒としている世の中ですが、お茶室の中は清浄な空気のみ、そんな中で頂く一服のお茶の何と清々としていることか・・・こんな意味でしょうか。
お祭りも夜になると花火大会が始まり、いっそうの盛り上がりを見せることでしょう。

そろそろ、花火が始まるようです。

雷様もまだタイコを拾えてないようですから夕立はないでしょう。綺麗な花火が見られることだと思います。

   木の末に 遠くの花火 開きけり  子規






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禅語 清流無間断

2012-05-25 18:43:15 | 禅語今昔
昨日から一転して今日は雨。天気予報が良く当たります。

今日の稽古場の床の間には、いまの時期らしいお軸と花を飾ってみました。



信楽の花入にシロバナシランとハコネウツギ

信楽の花入は、長年信楽焼を探求し続けている吉見窯の野口稔さんの作品で、焼締めで、かつ大胆に灰を被ったところが気に入って長年使い続けている花入れです。野の花には実に良く合います。

花は、我が家に咲いている2種をそっと生けて見ましたが、清楚な感じで、今の時期にピッタリと収まっていると自己満足しております。




さて、本題の軸「清流無間断」(せいりゅうかんだんなし)ですが、山奥で生まれた一滴の清らかな水が集まり、川となってサラサラと絶え間なく流れている。といった意味でしょうか。

初夏から夏にかけてお茶席では良く掛けられる軸です。

誰の作かは解りませんが、「禅林句集」には、清流無間断 碧樹不曽凋(せいりゅうかんだんなし へきじゅかってしぼまず)という対句が採録されている。
「清流は絶え間なく流れ、松や椿などの常盤木はいつも青々としていて凋むことが無い」(一行物 芳賀幸四郎著から)といった意味だそうです。

この対句の「清流・・・」が、季節感があるため多くの茶人に喜ばれ、揮毫する識者が多くなったといわれております。



この軸には思い出がありまして、教室を始めたころに、やっと手に入れた軸ですので、今でもこの軸を掛けるとあの頃のことが思い出されます。

軸の高い安いを言ってはいけないのですが、高価な一本より数が欲しかった、あの頃です。そんな思いで我が家に来た軸ですから、季節ごと順番に掛けて楽しんでおります。


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禅語 鳥啼山更幽

2012-05-02 18:46:36 | 禅語今昔
今日は朝から雨模様。
予報では夜から明け方にかけて大雨だそうで、お出かけ予定の方は気が気ではないでしょう。

連休が始まり、いつもと違い街の中も静な毎日です。賑やかなのはテレビだけ・・・。



この軸は、画賛の横物といわれるもので、禅語の一行物と違い、ちっと気楽に掛けられるお軸かも知れません。

森のたたずまいの画に「鳥啼山更幽」(鳥啼いて山更に幽なり)と賛が書かれており、初夏によく掛けられる軸のひとつです。

静か過ぎるほどの野山の道をのんびり歩いていても、その静かさは気が付かない。そんな時に鳴く鳥のけたたましい一声が静寂を破った時に本当の静さが解る。

人間も苦しみや辛い事、そしてストレスなどの重圧を乗り越えた時に初めて、今までの自分の平穏さに気が付き感謝の気持ちが生まれるといった意味でしょうか。

また、芭蕉の有名な句の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」や「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」などは、同じ意味として解釈されるそうです。
「芳賀幸四郎著 禅語辞典 短交社刊」から要約。



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禅語 柳緑花紅

2012-04-15 18:13:59 | 禅語今昔
昨日の雨も上がり暖かな春めいた一日となりました。

昨日は、お稽古のあと隣町に出かけ、小雨降る中を川のせせらぎをBGMに素敵な散歩を楽しんできました。その光景は、正に「柳緑花紅」で、心和むひと時を過ごす事が出来ました。


柳緑花紅 谷耕月老師筆

禅語「柳緑花紅」は難しい解釈は抜きにして、見たまま、あるがままに「柳は緑 花は紅」そんな風に感じていただけたら結構かと思います。
柳が芽吹く頃、丁度桜も開きます。昨日はそんな光景に出会い正にこの語句そのものでした。


川を挟んで柳と桜

そして、昨日のお稽古でのお菓子は「春がすみ」という銘でした。何時ものお菓子屋さんから届いたお菓子ですが、週を追うごとに
春が本物になって来るように、お菓子も季節感いっぱいです。


銘 春がすみ

このお菓子は、お饅頭に焼きこてで霞を捺したものですが、食べて見ると、こし餡を包む生地に柚子が煉りこんであるのか、口に入れるとほのかな柚子の香りがして、噛むごとに柚子の香りと味が口いっぱいに広がり、爽やかな甘さとなります。

美味しいお菓子でした。
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禅語 一花天下春

2012-04-06 18:36:18 | 禅語今昔
今日も朝から風の強い春とは思えない寒い一日となりました。

朝からお稽古の準備で大忙しで始まり、やっと一心地ついたところです。
お茶室の床の間は、春そのもの、春爛漫です。


一花天下春 天竜寺主 平田精耕老大師筆

この軸は、一目で春を連想させてくれる墨蹟です。

「芳賀幸四郎著 一行物 」によると、元は「一花開天下の春」(いっかひらいててんかのはるなり)で、「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」という句を思い出すのと同じで、長かった冬から開放された春到来の歓喜を良く表現した圭句である。

しかし、この句の背後にはもっと深い禅意が込められている。ここでいう「一花開」とは、単に梅や桜の花が咲くことではなく、心の花が開くこと、悟りの開けることの意味合いである。

長い忍苦精進の果てに到来した転迷開悟の喜びをうたったものである。と著者芳賀幸四郎さんは記述しております。そう云われても、尚、春の風景以外の深い意味など考えられないな~・・・。(ああ未熟)


唐銅の鶴首に「鶯神楽 窪田」

こうした軸が飾られた茶室は、道具を始めお菓子など総てが春の喜びに満ち満ちているといった、そんなお稽古でありました。


床飾り

軸ひとつや、小さな一本の花から、人それぞれの気持ちの中に違った春を思い描かせることの素晴らしさを、充分に味わえる一日でもありました。

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禅語 白珪尚可磨

2012-03-23 18:19:59 | 禅語今昔
午前中からの雨模様。一雨ごとの暖かさ・・・になりますか。

禅語今昔も暫く書いていないようでしたので、今日は「禅語」です。



白圭珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)ですが、珪とは貴重な玉(ぎょく)の事で、元の「詩経」では、「白珪が瑕(きず)ついたとしても、磨けば元に戻るが、言葉を言い損なうと取り返しがきかない」という意味であった。

これを誰かが「完全無欠の玉でも更に磨くべきである」と作り変えたのであろう。(禅語百科 淡交社刊)

その誰かが未だに分からないそうで、今では、その誰かの変えた方が一般的になっている面白い例かも知れません。

総てのものに完成「これでよし」という事は有り得ない、一生懸命精進しましょうといった意味でしょうか。


コメント (2)
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