アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「再審の壁」が示す日本社会の構造的後進性

2023年09月16日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 最初の再審請求(1981年4月)から42年。袴田事件(1966年6月)で「自白」の強要と「証拠」の捏造で死刑判決を受けた袴田巌さん(87)の無罪はまだ確定していません。

 これまで「死刑」判決を受け再審で無罪を勝ち取った冤罪事件は4件ありますが、いずれもその間20~30年かかっています(免田事件32年、財田川事件27年、松山事件24年、島田事件29年―「アムネスティ・ニュースレター」2023年9・10月号より)。

 なぜこんなに時間がかかるのか。日本の再審制度には高い壁があるからです。
 その壁は、すべての日本人にとってけっしてひとごとではありません。
 壁とは何か。弁護士の鴨志田祐美氏(日弁連再審法改正実現本部本部長代行)が「再審に立ちはだかる100年前の法律 今こそ制度改革を」と題した「アムネスティ・ニュースレター」(同上、写真左)のインタビューで解説しています(以下、抜粋)。

< 実は、再審に関する今の法律は、大正時代の旧刑事訴訟法とほとんど変わっていないんです。…旧刑事訴訟法は悪者を捕まえて罰することを重視してきた必罰主義です。…今の憲法になったとき…全部の改正が間に合わなくて見切り発車してしまった。そのため再審含め上訴から後は、戦前の条文がほぼそのままなんです。…今、袴田さんの件を受けて制度改革の機運が再び高まっています。ここで改革しないと、また30年同じことが続いてしまうでしょう。

 (他の国の再審は?)日本の刑事訴訟法を基にしていた台湾では、2度も法が改正されました。韓国も日本の刑事訴訟法が下敷きになっていますが、再審制度改革の検討が進んでいます。
 英国では裁判所ではなく、政府から独立した強大な調査権限を持つ第三者機関が再審を扱うようになりました。
 ドイツでは、証拠の全面開示が制度化されていて、検察の抗告もずいぶん前にやめています。
 米国にはいわゆる再審という制度はありませんが、検察庁内に有罪判決を見直す組織をつくっているところが、どんどん増えています。

 (なぜ日本は制度改革されない?)日本はえん罪をヒューマンエラーに帰着させようとして、システムエラーとして検証しない。だから、原因を究明して再発防止に取り組むという当たり前のことが行われない。えん罪は多重構造が生み出すものです。

 (日弁連が今年7月再審法改正特設サイトを開設した意図は?)日本の市民の間には、警察や検察など、権力に対する漠然とした信頼感があるように感じます。権力を監視する意識が薄いというか。私たちがいくら訴えても、世論が盛り上がらない。

 えん罪事件は誰にでも起こり得ることです。他人事ではないのです。でも、今のままではえん罪を晴らすのには何十年もかかってしまいます。
 えん罪被害者の速やかな救済のためには、再審法(刑事訴訟法の再審規定)の改正が必要不可欠です。特に、再審開始決定に対する検察官の抗告を禁止することと、再審請求手続きにおける証拠開示を制度化することが必要です。

 日本のみなさんには、もっと怒ってほしい。怒るのはよくない、我慢は美徳だという教育を受けてきたせいかもしれませんが、合理的な怒り、正当な怒りがなければ、世の中は変えられない。その怒りを国民が共有した時に、変わるのだと思います。>

 鴨志田氏の指摘は、「えん罪は誰にでも起こり得る」という点だけでなく、普遍的な問題を含んでいます。
 日本の政治・社会は、一部の法律を含め、100年前と変わっていない。その根底には、「権力に対する漠然とした信頼感」「権力を監視する意識が薄い」「我慢は美徳」「怒るのはよくない」という国民性がある。

 その根源は、日本がいまだに天皇制を維持していることにあると考えます。明治憲法下では文字通り“お上”を批判することが力で抑えつけられた。新憲法では「象徴天皇制」という形で身分制度が残された。天皇(皇室)の存在が、怒らない、国家権力に従順な「国民」を作っているのではないでしょうか。

 再審法を改正して再審の壁を崩すことを、日本の社会構造全体を問い直し「変える」ことに繋げる必要があります。
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