アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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沖縄元副知事が証言した辺野古めぐる翁長県政の実態

2020年09月21日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊

    

 菅義偉首相は安倍政権官房長官時代、沖縄の辺野古新基地建設強行の先頭に立ってきました。翁長雄志知事(当時)の腹心副知事としてその菅氏と水面下で交渉を繰り返してきたのが安慶田光男氏です。
 (安慶田氏は2017年1月23日、教員採用口利き疑惑で辞職。写真左・中は菅・翁長会談=2016年10月8日、那覇市内=左から翁長氏、安慶田氏、菅氏。写真右は翁長氏と安慶田氏)

 その安慶田氏が琉球新報のインタビューに答え、菅氏との秘密交渉の内幕の一部を暴露しています(琉球新報9月18日付)。

 そこで明らかにされたことは、①安慶田氏が辺野古新基地を陸上に造る「陸上案」を水面下で菅氏に提示した②翁長知事は事前にその相談を受け反対しなかった③翁長氏と安慶田氏は「表」と「裏」を分担しながら安倍政権と密室交渉を重ねてきた―という事実です。

 翁長氏が新基地建設の「代替案」を検討していたことは当時から一部で報じられていましたが、それが事実であったことが今回当事者自身の証言で明らかになりました。「陸上案」(一部大浦湾の埋め立ても含む)は大規模な埋め立ては行わないものの、新基地を沖縄(辺野古)に造る点で、日米安保条約によって沖縄の米軍最前線基地としての機能を強化することに変わりありません。それを県政側から提案したことはきわめて重大です。

 翁長氏には辺野古新基地に体を張って反対したという通説がりますが、本ブログではそれは事実に反すると繰り返し指摘してきました。安慶田氏の証言はその指摘を裏付けるものです。

 安慶田氏は「陸上案」を菅氏に提案する際、翁長氏に事前に相談したときのもようをこう語っています。

 <安慶田氏によると、菅氏へ個人的に陸上案を打診するに先立ち、当時の翁長知事にその考えを伝えたところ、翁長氏は「今これ(陸上案)を言うと、与党が駄目になるんじゃないか」と懸念していたという。>(18日付琉球新報)

 「与党」とは「オール沖縄」陣営のことです。翁長氏は「陸上案」には反対せず、それを公言すると自身の支持基盤である「オール沖縄」に打撃になることを懸念したのです。

 翁長県政は2016年8月31日の安倍政権との協議(安慶田氏が出席)で、政権が要望していた辺野古(米軍キャンプ・シュワブ内)の陸上工事の再開を容認しました。「国側は安堵の表情を浮かべ、近く工事を再開する意向」(2016年9月1日付沖縄タイムス)と報じられました。この背景には翁長県政の方からの「陸上案」打診があったわけです。

 安慶田氏はまた、安倍政権との秘密交渉における翁長氏との任務分担について、こう語っています。

 「多い時は1週間に1回くらいひそかに(菅氏に―引用者)会った。…きれいごとでは物事は進まない。表向きの話し合いは望ましいが、表では言えないことも腹を割って密室でやることも必要だ。…翁長が政治家だったのはこういうところだ。けんかをするけどおまえ(安慶田氏)はパイプになれよと」(18日付琉球新報)

 翁長氏が表では「けんか」しているように見せながら、裏では安慶田氏が妥協案を交渉する。その役割分担が生々しく語られています。

 翁長県政の実態、辺野古・高江など基地問題で実際に行ったこと、果たした役割は、事実に基づいて正確に検証する必要があります。

 また、「陸上案」は決して過去の話ではありません。安慶田氏は「一部でも埋め立ては反対だったため当時は認められなかったが、今は一部の埋め立てが始まっている。…陸上案の二つの条件はクリアされた」(同琉球新報)と述べ、「陸上案」は現実的になっていると強調しています。
 「翁長県政の継承」を掲げる玉城デニー知事がこれをどう聞くか。予断を許しません。

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