アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

映画「マルモイ―ことばあつめ」と現代日本

2020年09月08日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    

 韓国映画「マルモイ」(2019年制作、オム・ユナ監督・脚本)を観ました。マルモイとは「ことばあつめ」。「辞書」という意味もあるそうです。テロップでは「史実にもとづいたフィクション」とされており、人名や団体名は架空のものですが、基本的にノンフィクションと言っていい作品だと思います(写真はチラシ・パンフレットから)。

 1940年代、日本帝国の植民地支配真っただ中の京城(現ソウル)。日本(朝鮮総督府)は「皇民化政策」として、名前を日本名に変えさせる(「創氏改名」1939年)とともに、4度にわたる朝鮮教育令によって朝鮮語(韓国語)の使用を禁じ、違反した者に激しい弾圧を加えました。

 それに対し、学者や教師ら有志が、日本の警察・憲兵の目を逃れ、全国(半島)の言葉・方言を集めて朝鮮語の辞書をつくろうとします。「マルモイ」はこの辞書作成の秘密作戦の名称でもあったそうです。「言葉は民族の生命」「言葉のあるところ人が集まり、人が集まるところの志が生まれ、志あるところ独立がある」。それが合言葉でした。日本はこれに過酷な弾圧を加えました。これが、1942年の「朝鮮語学会事件」です。

 「(1931年の満州事変で)大陸侵略への新たな一歩を踏み出した日本は、朝鮮半島を強固な「後方基地」「兵站基地」に変えながら…「内鮮一体」「一視同仁」を声高に叫び…朝鮮民族の「皇国臣民化」政策、すなわち民族抹殺政策を本格的に展開した」
 「「併合」(1910年)初期から朝鮮人民に日本語教育を強化し、日本語を「国語」と呼ばせ母国語を「朝鮮語」として教える政策は、ここにきてその「朝鮮語」すら事実上禁止するにいたった(「新朝鮮教育令」公布・1938)。…1942年に起きた「朝鮮語学会事件」(朝鮮語の辞書を作ろうとした29名の朝鮮人を治安維持法違反で逮捕、11名を2年から6年にわたる懲役刑に処した)は、朝鮮人の民族意識を抹殺するうえで、言葉と文字の抹殺にどれほど重きをおいていたかをうかがわせよう」(『加害と被害の論理―朝鮮と日本そして在日朝鮮人』金昌宣著、朝鮮青年社1992年)

 映画のテロップでは、この事件によって「2名が拷問死」したとありました。
 苦労の末に集めた方言集・原稿は弾圧下で奇跡的に生き延び、日本の敗戦=半島の解放(1945年)をへて、朝鮮語の辞書は13年かけて完成しました。

 映画は辞書作りをタテ糸に、同志愛、家族愛をヨコ糸に展開します。「1人の10歩より、10人の1歩」という言葉を、辞書作成者たちは何度も口にします。映画はたんに歴史的事実を描いただけでなく、「多くのごく普通の人々が歴史を作り上げる」(映画のチラシ)という歴史観に基づいて、市井の人々の魂とたたかいを描いた映画でもあります。

 映画のパンフレットに 韓国在住映画ライターの成川彩さんの映画評が載っています。成川さんは、「「マルモイ」を見ながら、思い浮かぶのは、詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)だ」(尹東柱については2月15日のブログ参照)とし、こう述べています。

 「朝鮮語を守り抜こうとした尹東柱や、朝鮮語学会のメンバーたちは、非暴力の独立運動を闘った人たちと言えるだろう。奪った側(日本―引用者)が、奪われた側を想像するのは容易ではない。「マルモイ」を見ることは日本の人たちにとって、その貴重な機会になると思う

 植民地支配当時の「朝鮮語禁止」「創氏改名」ははたして過去のことでしょうか。
 在日朝鮮人・韓国人が本名を自由に名乗れない、名乗ると差別の対象になる。何の罪もない朝鮮学校の生徒たちが無償化制度から排除される。それを多くの日本人は見て見ぬふりをする。それが現代日本の現実です。

 「数多くの犠牲のうえで母国語存続のための「マルモイ」は達成された。しかしこんにちの日本政府による朝鮮学校差別政策は、本質において言語抹殺であり、現在も続く民族抹殺政策の最たる表れだ」(7月30日付朝鮮新報)。この指摘を私たち日本人は真摯に受け止める必要があります。

 「奪った側」(加害者)が「奪われた側」(被害者)の苦難を想像するのは、たしかに容易ではありません。だからこそ、「奪った側」「奪っている側」の私たちは、歴史を学び直し、いまに生かさねばなりません、この映画は日本人こそ観るべき映画です。


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