アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日本の恥辱・天皇の「沖縄メッセージ」から73年

2020年09月19日 | 天皇制と日米安保・自衛隊

    

 沖縄の平和・民主勢力は4月28日を「屈辱の日」といいます。1952年のこの日、日米安保条約とともに締結された「サンフランシスコ講和条約」が発効し、沖縄が「本土」から切り離されてアメリカの統治下におかれることになったからです。歴代自民党政府がこの日を「主権回復の日」として式典を行うのと対照的で、沖縄の苦難の歴史を示すものです。

 しかし、敗戦後の歴史で、沖縄にとって真の「屈辱の日」は別にあるのではないでしょうか。それは今日、9月19日です。なぜならこの日は、アメリカの軍事占領、基地被害の元凶であるサ条約・日米安保条約へ軌道を敷いた、天皇裕仁(当時)の「沖縄メッセージ」が発せられた日だからです。(写真左=マッカーサー・裕仁第1回会談―1945・9・27、写真中=「主権回復」式典で明仁天皇に万歳する安倍首相―2014・4・28、写真右=「即位礼」で徳仁天皇に万歳する安倍首相―2019・10・22)

 『昭和天皇実録』(宮内庁、2014年9月公表)の「一九四七年九月一九日付」にはこう記されています。

 「この日午後、寺崎(英成)は対日理事会議長兼連合国最高司令部外国局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問する。シーボルトは、この時寺崎から聞いた内容を連合国最高司令官(二十日付覚書)及び米国国務長官(二十二日付書簡)に報告する。

 この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものである旨などが記されている。」(豊下楢彦著『昭和天皇の戦後日本』岩波書店2015年より)

 上記「長期貸与」の「長期」は、「メッセージ」原文では「二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上」となっていました(豊下氏、前掲書)。

 当時米国内では沖縄の統治方式について意見が分かれていましたが、この裕仁の「メッセージ」によって方針が決まり、それがサ条約第3条「(米国が沖縄の)行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」という規定につながりました。

 裕仁の「メッセージ」は、自らの保身と「本土保護」のため、そして「米国の利益」のために沖縄を生贄にしたものです。

 それは沖縄にとって屈辱的だっただけではありません。日本(日本人)にとっても極めて重大な意味をもっていました。

 「天皇の『沖縄メッセージ』は、憲法の制約から儀礼的役割以外何もできないはずの彼が、秘密で外交・内政上の役割を演じ続けていたことを証明するものだった。…彼も外務省も、平和条約の締結後、なおアメリカ軍が日本の内外に留まることを望んだ。同時に彼は、東京裁判の継続中は、保身のためアメリカを引きつけておく必要も感じていただろう。
 だが何よりも天皇のメッセージは、象徴天皇制と、憲法九条と、アメリカによる沖縄の軍事化との強い関連性を物語っていた」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇 下』講談社学術文庫2005年)

 裕仁の「沖縄メッセージ」が発せられた「9・19」は、沖縄にとって真に「屈辱の日」であるだけでなく、日本(日本人)にとって、対米従属の軍事同盟=日米安保体制と憲法9条、沖縄、そして天皇制の関係を象徴的に示す、今につながる「恥辱の日」にほかなりません。

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