アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記54・墓参りも男尊女卑の皇室・日米安保を嘆く自衛官・「終末期医療」とは?

2019年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

☆墓参りも男尊女卑の皇室

  明仁上皇、美智子上皇后は12日、京都市内の孝明天皇陵、明治天皇陵を参拝した。一連の「退位に伴う儀式」の最後だ。メディアはいつものように、二人が手を振り沿道の「市民」が「日の丸」の小旗で歓迎する光景を映し出した。
  ところが、映像をよく見ると奇妙なことに気付く。一緒に京都に行った上皇と上皇后が別々に参拝しているのだ。もちろん上皇が先で、それが終わってから上皇后。伊勢神宮参拝の時もそうだった。なぜ一緒に参拝しないのか。各地の「慰霊碑」などはもちろん並んで訪れているのに。

 詳しい理由は分からないが、これが皇室神道による皇室流のやり方であることは確かだ。先祖の墓を参るときも、天皇・上皇(男性)は皇后・上皇后(女性)を陪席させず従わせる。天皇制はジェンダー(性差別)の”象徴“だが、それが墓参りにも表れている。

 皇室神道がどんな流儀をもとうと、それが私的な宗教活動の範囲ならただの時代遅れの宗教という話だが、それが憲法の「象徴天皇制」となっている以上、黙って見過ごすことはできない。現に一連の「退位に伴う儀式」は政府が承認した「公的行為」として行われている。

 「日本国民」は男尊女卑・女性差別のかたまりである天皇(皇室)を「国民統合の象徴」とあがめているのだ。これが憲法の「象徴天皇制」だ。主権者である「国民」はそのことを自覚する必要がある。

 ☆日米安保を嘆く自衛官

 防衛省は10日、太平洋上に墜落(4月9日)した航空自衛隊の最新鋭ステルス戦闘機F35A(アメリカ製)について、機体に異常はなく、操縦士に原因がある(空間識失調)と結論付けた「中間報告」を発表し、F35A=105機、同B=42機をアメリカから購入する計画を予定通り実行すると発表した。フライトレコーダーもなく原因が不明なまま責任を操縦士に転嫁し、なにがなんでもアメリカからの巨額兵器購入は行うというわけだ。
 トランプとの度重なる会談で兵器購入を約束した安倍の対米従属ぶりが如実に表れている。

 注目されるのは、その批判が自衛隊内部からも漏れていることだ。11日付の地方各紙(共同電)はこう報じている。

 「空自内では『記録が残っていない以上、機体の欠陥を指摘するのは難しい。最初から人的要因と結論付けるための調査だ』との批判も広がる。ある戦闘機パイロットは『米政府の顔色をうかがって、仲間が危険にさらされるのは耐えられない』と話し、現状での飛行再開に反対している」

 安保条約による日米軍事同盟は、自衛官の生命を危険にさらすまでに至った。「戦争法」によって米軍と自衛隊の一体化がさらにすすめば、その危険性がいろんな面でいっそう増すのは確実だ。日米安保条約廃棄(軍事同盟解消)は自衛官とその家族にとっても喫緊の課題だ。

☆「終末期医療」とは?

  母が先月20日急きょ入院した。ホウカシキエンという初めて聞く名の感染症だ。13日やっと退院できた。入院は3週間余に及んだ。
 母はもうすぐ93歳になる。認知症も進行し意味のある言葉はほとんど発することができない。最期は病院のベッドの上ではなく自宅で、と常々思っている。

 しかし、今回のように急な発熱の感染症となると、施設(グループホーム)の専属医師は入院を勧め、それに応じることになる。入院はさせないつもりだったのに。
 退院はしたが、再発の可能性がある。そうなるとまた入院か。どれほどの長さになるかわからない。それとも自宅に連れ帰って訪問医療・訪問介護を受けるか…。結論は出せていない。

 「終末期医療」とは何だろう。どこまでを言うのだろう。自宅で苦しみの少ない最期を迎えることは、どうすれば実現できるのだろうか?


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「朝米会談」1周年と日本人

2019年06月15日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)とアメリカの初の首脳会談(シンガポール)から12日で1年が経過しました。その後、第2回会談(2月、ハノイ)が物別れに終わり、膠着状態ですが、私たち日本人は現状を傍観者的に眺めているわけにはいきません。なぜなら、朝米会談の合意内容は私たちときわめて密接に関係しているからです。

 第1回朝米会談の合意(「シンガポール共同声明」)は4点ありました。その中で特に重要なのは、「2018年4月27日の『板門店宣言』を再確認」すると明記したことです。
 「板門店宣言」は韓国と朝鮮が「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のため」の具体的な指針を示したきわめて重要な宣言ですが、なかでも私たちに直接かかわるのは次の項目でした。

 「南と北は、休戦協定締結65年となる今年、終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制を構築するため、南北米3者、または南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした」(共同通信訳)
 朝鮮戦争(1950年6月25日~53年7月27日休戦協定)の「終戦宣言」「平和協定締結」が明記されたのです。

 朝米会談がこれを確認した意味はきわめて重大です。トランプ大統領は会談後の記者会見で、「朝鮮戦争は間もなく終結するとの期待を持っている」(共同電)とも明言しました。
 朝米関係といえば「非核化」が焦点といわれますが、それと密接に関連している「朝鮮戦争の終戦・平和協定締結」の課題があることにもっと目を向ける必要があります。

 とりわけ日本では、安倍政権が政治戦略上「拉致問題」を強調し、メディアがそれに迎合していますが、実は日本と朝鮮半島の関係では「朝鮮戦争の終結・平和協定締結」こそ最も重要な問題であると言っても過言ではありません。
 なぜなら、朝鮮戦争は日本の朝鮮植民地支配の帰結であると同時に、日本が直接・間接に大きくかかわり、さらに今日の日米軍事同盟とも密接に関係しているからです。

 「問題は…朝鮮戦争に日本人民はどのようにかかわっていたかということです。…アメリカは朝鮮戦線で莫大な物量の消耗戦を平気でやる、その武器の生産ないし修理はもっぱら日本が引受けている。日本の重工業資本は、戦後の復活のきっかけをここではじめてつかむ。特需が全体として日本の国際収支を支え、後の『高度成長』政策を可能にしていく。朝鮮戦争の犠牲の上に日本の資本主義体制、六〇年代以降につらなるその体制は築かれたのです」(梶村秀樹著『排外主義克服のための朝鮮史』平凡社ライブラリー)

 「(朝鮮)戦争がはじまると、マッカーサーは警察予備隊(やがて自衛隊となる)をつくって日本の再武装を進め、企業から共産党員を追放するレッドパージがおこなわれました。一方、かつての日本の侵略戦争にかかわり、戦後、公職から追放されていた軍人や政治家などが追放を解除されました(安倍晋三の祖父・岸信介もその1人―引用者)。
 朝鮮戦争がはじまると…アメリカは、日本をソ連、中国に対抗する前進基地として確保するため、1951年9月、日本との間に、ソ連、中国などを排除した講和条約を結び、同時に日米安保条約で日本をひきつづきアメリカの軍事基地として使用することにしたのです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研)

 「朝鮮戦争の終結・平和協定締結」を実現することは、日本の植民地支配責任を確認し、朝鮮との国交正常化、友好関係を樹立するとともに、非同盟・中立の日本を実現するための、日本人自身の歴史的課題であり、責任です。


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安倍首相は何をしにイランへ行ったのか

2019年06月13日 | 日米安保体制と平和・民主主義

     

 安倍首相は12日イランへ行き、ロウハニ大統領と会談した後、13日未明(日本時間)共同記者発表しました(写真)。
 きわめて奇妙で不可解な記者発表でした。安倍氏はいったい何をしにイランへ行ったのでしょうか。

 今日の中東情勢の緊張激化の発端は、トランプ大統領による「イラン核合意」からの突然の離脱(2018年5月)であることは周知の事実です。
 その後アメリカは、イラン産原油の禁輸などの制裁(同11月)、イランの革命防衛隊を「テロ組織」に指定(19年4月)、さらに空母の中東派遣(5月)と次々にイランへの圧力を強めてきました。イランとアメリカの関係悪化の原因がアメリカ・トランプ政権にあることは明白な事実です。

 共同記者発表で、ロウハニ大統領は「現在の地域の緊張の原因はアメリカの経済戦争であり、それが終われば安定は確保される」と述べましたが、その通りです。

 一方、日本は「イラン核合意」を支持する立場です。だからロウハニ大統領も「日本がこれからも核合意を支持することを期待する。この分野では日本と協力できる」と述べたのです。

 ところが安倍首相は共同記者発表で、「緊張緩和に向けて役割を果たしたい」と言いながら、「イランが核合意を遵守することを期待したい」「忍耐がいる努力が必要だ」「日本はあきらめない」などと述べました。方向違いも甚だしいと言わねばなりません。

 安倍氏に言われるまでもなく、イランは核合意を遵守しています。遵守していない(どころか離脱した)のはアメリカの方です。安倍氏が「核合意を遵守することを期待したい」というべき相手は、イランではなくアメリカではありませんか。安倍氏はいったいイランにどんな「忍耐がいる努力」を求めるというのでしょうか。

 重ねて言いますが、安倍氏が向かうべき相手はイランではなくアメリカです。トランプ大統領に対し、「核合意を遵守するように」と進言すべきなのです。

 にもかかわらず、トランプ氏との会談を受け、「仲介役」を気取ってイランへ行き、お門違いのことを言う。これでは、日本がアメリカの手先、使い走りと見られても当然です。事実そうですから。日本がこの姿勢を改めない限り、やがてイランの批判は日本へも向けられることになるでしょう。

 ここに日米同盟(日米安保条約による軍事同盟)の実態・本質がはっきり表れています。

 アメリカに追随する安倍氏の醜態は、もちろん安倍氏個人の問題ではありません。世界から見れば、それが日本という国だということです。その責任は主権者である「日本国民」にあることを銘記する必要があります。


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「天皇の制度と日本共産党の立場」6つの言行不一致とその根源<下>

2019年06月11日 | 天皇・天皇制

     

④ 憲法の「全条項を守る」と言いながら、第2条に反する「生前退位」に賛成

 「天皇の制度と日本共産党の立場」(6月4日付しんぶん赤旗)で志位和夫委員長が強調した共産党の「立場」は、「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもる」ということです。

 では今回の明仁天皇の「生前退位」は、憲法の条項に照らしてどうだったでしょうか。

 憲法第2条は「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定しています。そしてその皇室典範は第4条で、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と明記しています。つまり、皇位継承は天皇が死去した時に行われる。これが皇室典範を介した憲法の規定です。志位氏自身、「天皇の退位は、現『皇室典範』が認めていないのです」と述べている通りです。

 「生前退位」は明白な憲法違反です。「憲法の全条項を守る」と言いながら、憲法違反の「生前退位」の「特例法」には賛成。これはいったいどういうことでしょうか。

⑤ 天皇が行えるのは「国事行為のみ」と言いながら、憲法にない「公的行為」を容認

 志位氏は憲法第4条について、「天皇は『国事に関する行為』のみを行い…その国事行為は憲法第4条・第6条・第7条で13項目にわたって限定的に列挙」されていると述べています。その通りです。

 ところが一方で志位氏は、いわゆる天皇の「公的行為」(俗にいう「天皇としての行為」)についてこう述べています。
 「天皇の『公的行為』として行われているもの一つひとつについて、不当な政治利用はないか、憲法の条項から逸脱はないか、さらに憲法の精神にてらして問題点はないかなどを、きちんと吟味することが必要だと思います」

 「憲法にてらして…吟味する」のは当然ですが、重大なのは、この発言は天皇の「公的行為」自体は基本的に容認していることです。容認したうえで吟味するというわけです。例えば①で述べた国会開会式に照らせば、開会式での天皇発言(公的行為)は「吟味」した結果問題ない、ということになります。

 しかし問題は「公的行為」自体にあります。

 「広汎にわたる天皇の公的な行為は…国民に天皇を意識させる場として機能しており…憲法の枠を大幅に拡げ(る)」(横田耕一氏『憲法と天皇制』岩波新書)ものです。

 明快に言えば、「天皇の『お言葉』や『お出まし』(公的行為―引用者)は違憲の疑いが強い」(渡辺治一橋大名誉教授、4月19日付中国新聞=共同配信)のです。したがって今必要なのは、「天皇の公的活動は厳格に国事行為に制限する方向で見直すこと」(渡辺氏、同)です。
 天皇の「公的行為」を容認する共産党の「立場」はこれに逆行するものと言わねばなりません。

 ③ 「思想・信条の自由」と言いながら、天皇制支持を事実上強要する「受動的統合」論

  憲法第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という規定について、志位氏はこう述べています。
 「『日本国民統合の象徴』とは、天皇が積極的・能動的に国民を『統合する』ということではありません。…『日本国民統合の象徴』という憲法の規定は、さまざまな性、さまざまな思想、さまざまな民族など、多様な人々によって、まとまりをなしている日本国民(この認識自体問題ですが、別の機会にします―引用者)を、天皇があくまでも受動的に象徴すると理解されるべきだと考えます」

  天皇の「政治的権能」を否定しようとして述べたことですが、逆にきわめて重大なことを意味しています。「天皇が受動的に象徴する」とはどういうことか。それは、「日本国民」が天皇に対して「統合の象徴」としての役割を望む・期待するということにほかなりません。そうでなければ天皇は「受動的」になりようがありません。

 つまり志位氏の発言は、「さまざまな性、さまざまな思想、さまざまな民族など、多様な人々」に、天皇制支持、それどころか天皇が「統合の象徴」であることを望むことを事実上強要していることにほかなりません。
 これが憲法の「思想・信条の自由」の蹂躙であることは言うまでもありません。とりわけ「さまざまな民族」の人々に、天皇による「統合」支持を強要することはきわめて重大な問題です。

  以上、6点にわたって共産党の言行不一致・矛盾をみてきましたが、それはなぜ生まれるのでしょうか。根源は1つです。
 それは、「憲法の中に天皇と国民主権が同居したことは大きな矛盾」(渡辺治氏、前掲)だからです。憲法第1章(1条~8条)の天皇制は、国民主権、さらに「基本的人権の尊重」(第11、12条)、「法の下の平等」(第14条)、「思想・良心の自由」(第19条)、「政教分離」(第20条)などの「憲法の精神」(志位氏)と根本的に矛盾するのです。

 それは志位氏の発言自身がしばしば認めるところとなっています。たとえば、「天皇の制度は、『世襲』の制度であるという点で、憲法が定める平等原則と相いれない制度であり、それにともなって、天皇の人権が一定程度制約されることは、避けることはできません。同時に、天皇もまた人間であることに変わりはなく、当然に保障されるべき権利があると考えます」。いったいどっちなのか、いかにも苦しい発言です。

 共産党の言行不一致・矛盾の根源は、「憲法の全条項を守る」との綱領方針によって、そもそも相いれない天皇制(「天皇の制度」でもいいのですが)と国民主権、平等、人権などの憲法原則の両方を、すなわち「矛」と「盾」の両方を「守ろう」とすることにあります。それは無理です。

 国民主権、平等、人権という「憲法の精神」(志位氏)を守ろうとするなら、それとは相いれない天皇制は否定し、廃止しなければなりません。

 「将来、情勢が熟したときに」などと言うのではなく、1日でも早く、天皇制を廃止して「民主共和制」(共産党綱領)を実現するためにさまざまな活動を行うこと。それが政党(「前衛党」)の責務ではないでしょうか。


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「天皇の制度と日本共産党の立場」6つの言行不一致とその根源<上>

2019年06月10日 | 天皇・天皇制

      

 日本共産党が天皇制に関してどのように綱領・政策を変えようと、それは同党の内部問題であり、その評価は有権者と歴史が下すでしょう。しかし、その公表にあたって事実が歪曲あるいは隠ぺいされ、結果、天皇制に関して現在進行している重大な事態の過小評価を招くとすれば、それは同党だけの問題にとどまりません。

 共産党の志位和夫委員長のインタビューとして6月4日の「しんぶん赤旗」に9ページにわたって掲載された「天皇の制度と日本共産党の立場」(以下「立場」)には見過ごせない言行不一致(矛盾)が少なくありません。ここでは最小限6点指摘し、その根源を考えます(以下、「」の引用はすべて同「赤旗」より。太字は引用者=私)

 ①   「戦前」から「なんら改善されていない」と言いながら天皇臨席の国会開会式に出席

  志位氏が主張する「立場」の基本的スタンスは、「現行憲法の『全条項をまもる』」ということです。

 その立場を強調しながら、同党が結党以来初めて天皇臨席の国会開会式(2016年1月4日)に出席した(写真右は本会議場で明仁天皇に頭を下げる志位氏)ことについて、志位氏はこう述べています。

 「国会の開会式についていうと…国民主権の日本国憲法のもとで、国権の最高機関とされている国会の開会式が、戦前の『開院式』の形式をそのまま踏襲するものとなっていることは、大きな問題です」

  ではなぜ出席に舵を切ったのか。

 「開会式での天皇の発言に変化が見られ、この三十数年来は、儀礼的・形式的なものとなっています。天皇の発言の内容には憲法からの逸脱は見られなくなり、儀礼的・形式的な発言が慣例として定着したと判断し、開会式に出席することにしました」

 これで出席に方針転換した理由の説明になっているでしょうか。同党が問題にしてきたのは「戦前の『開院式』」を「そのまま踏襲」した開会式の「形式」であり、それを「大きな問題」としたのです。にもかかわらず天皇の発言内容に問題がない(その評価も問題ですがここでは触れません)からといって、それが方針転換の理由になるでしょうか。

  現に志位氏は続けてこう言っています。
 「開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は、現在にいたるもなんら改善されておらず、引き続き抜本的改革を求めていくことに変わりはありません」

 「国民主権」に反する点で「なんら改善されておらず、引き続き抜本的改革を求めていく」と言いながら、その国会開会式に主席する。これが言行不一致でなくて何でしょうか。

 ②   「御代」は「国民主権の原則になじまない」と言いながら、それが明記された「賀詞」に賛成

  徳仁天皇の即位に対して衆議院が全会一致で採択した「賀詞」(5月9日)について、志位氏は、同日の自身の記者会見=「(賀詞の)文言のなかで、『令和の御代』という言葉が使われています。『御代』には『天皇の治世』という意味もありますから、日本国憲法の国民主権の原則になじまないという態度を、(賀詞)起草委員会でわが党として表明しました」=を引用したうえで、こう述べています。

 「ここでのべているように、わが党議員団は、憲法の国民主権の原則にてらして問題点を指摘しつつ、祝意を示すという点で賛成しうるという態度をとりました」

 きわめて不可解な弁明です。「御代」の文言を盛り込むことは「憲法の国民主権の原則にてらして問題」だと指摘した。それで「御代」の文言が削除されたのならともかく、「御代」は原案通り残ったのです。それでなぜ賛成できるのですか?「国民主権の原則になじまない」と指摘・批判しながら、その文言が明記された国会の決議に賛成する。言行不一致の極みではないでしょうか。

 ③   天皇の政治関与禁止の「厳格な実施」を言いながら、明仁天皇の政治発言である「ビデオメッセージ」は不問・黙認

 志位氏は再三にわたって、「現憲法の『制限規定の厳格な実施』」すなわち第4条「天皇は…国政に関する権能を有しない」の「厳格な実施」を主張しています。
 一方、今回の明仁天皇の生前退位について、志位氏が「天皇の退位を認める法改定を行うことに賛成するという態度をとりました」と述べている通り、同党は自民党などとともにこれに賛成しました。

  これも明らかな言行不一致です。なぜなら、今回の生前退位は明仁天皇が自らその意思(要求)を直接表明した「ビデオメッセージ」(2016年8月8日)が発端であり、それは天皇の明白な政治発言・政治関与だからです。

 「(ビデオメッセージは)実質上『皇室典範を変えろ』という要求になっていることにも驚きました。これは明らかに政治的な発言ですね」(吉田裕一橋大教授、『平成の天皇制とは何か』岩波書店)

  同党が「退位特例法」に賛成したことも問題ですが(後述)、驚いたのは「立場」の中で志位氏が明仁天皇の「ビデオメッセージ」について一言も触れていないことです。

 天皇の政治関与を禁じた「制限規定」の「厳格な実施」を再三口にしながら、天皇の明白な政治発言・政治関与である「ビデオメッセージ」には一言も触れず不問にして黙認する。これが言行不一致でなくて何でしょうか。

(明日に続く)


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日曜日記53・朝鮮敵視の誤報とNHK・「選挙が終わって…」・「支援」と「同化」

2019年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム

☆朝鮮敵視の誤報を訂正しないNHK

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が朝米会談の責任者らを粛清したという韓国・朝鮮日報の「報道」を、NHKなどがそのまま垂れ流した偏向報道についてはすでに書いたが(6月1日のブログ)、その後、「粛清」されたといわれた金英哲、金与正両氏の写真が公開され、金革哲氏の健在も伝えられた。案の定、朝鮮日報の「報道」はでたらめな誤報だったわけだ。

 ところが、NHKは誤報が明らかになった6月4日、夜7時のニュース(朝鮮日報を大々的に報じた時間帯のニュース)でこれを一言も報じなかった(昼のニュースでは少し触れたが)。
 誤報の垂れ流しは誤報と同じだ。それが誤報と分かれば同じくらいの扱いで訂正するのは、報道機関の最低限の責任だ。しかしNHKはそれをしなかった

 その結果、視聴者(日本国民)の多くは、大きく報じられた「粛清」の誤報のみが記憶に残ることだろう。朝鮮に対する誤った認識・マイナスイメージはこうして醸成されていくのだ。「日本国民」はそのことを知る必要がある。NHKはじめ日本のメディアの責任・罪は大きい。

☆「選挙が終わって…」が通用する異常

  8日の報道によれば、安倍政権は通常5~6月に発表している年金の将来試算を今年は8月以降にするという。「参院選挙で争点化するのを避けるため」という。
 先の訪日の際、トランプ大統領が日米貿易についての「素晴らしい成果」の発表を8月にすると言ったのも、「参院選挙で争点化するのをさけるため」(各社報道)だ。

 開いた口がふさがらない。年金問題(安倍政権の年金政策の破たん)、日米貿易問題(日本の農業を犠牲にして自動車産業を守り、巨額の兵器を購入する問題)などの重要問題こそ、国政選挙の争点にして有権者の選択にゆだねるべきだ。それが国民主権、議会制民主主義の基本であることは小学生でもわかる。

 ところが、政権に都合が悪い問題はあえて選挙の後に回すという。有権者をなめきっている安倍政権の横暴の極みだ。そして、それを平然と報じるメディアの無責任・体制迎合。さらにそれを批判もせずに黙認する「日本国民」。この国は、やはり病んでいる。

 ☆「支援」と「同化」は違う

 先週の「日曜日記」で、「引きこもり」の人と家族への「社会的支援」が必要だと書いた。書いてすぐに、誤解を生まねばいいがと思った。「社会的支援」というと、行政関係者などが訪問し、なんとか「引きこもり」を家の外に出して社会参加させようと働きかけることだと誤解されがちだからだ。
 それは「支援」ではない。社会への「同化」圧力だ。「支援」と「同化」は真逆だ。

 そう危惧するのは、子どもの「不登校」に際して同じような体験をしたからだ。小学3年から「不登校」になった子どもに対し、学校(担任教師)は頻繁にクラスメートをわが家によこし、「早く学校へきてね」などと書いた(書かせた)手紙を渡そうとした。良かれと思ってやったことだろうが、これは「登校圧力」でしかない。

 「引きこもり」も「不登校」も、様々な事情、背景をもつその人なりの選択・生き方だ。この異常な日本の社会・学校制度に”適応“できず(せず)、引きこもる、登校しないのは、むしろ健全な選択と言える。それを無理やり「社会参加」「登校」させようとするのは、社会や学校への「同化」圧力である。

  「引きこもり」や「不登校」に対して必要な社会的支援とは、それらをいずれも本人の選択・生き方として尊重し、蔑視したり差別したりしないことだ。そして、本人や家族が本当に協力・支援を求めたときに(そのときのみ)、必要な手を差し延べることだ。

 <お礼>

 拙著『象徴天皇制を考えるⅡ』に多くのご予約をいただきまして、誠にありがとうございます。7月中旬の発送になる予定です。しばらくお持ちください。
 なお、多少多めに印刷しますので、ご希望がありましたら、引き続きメールでお申し込みください。先着順で在庫のある限り送らせていただきます。メールが送れない場合は、次の番号にショートメールかお電話ください。 Eメールアドレス:satoru-kihara@alto.ocn.ne.jp    電話090-2900-9967  
 誠にありがとうございました。


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「丸山議員糾弾決議」と天皇キャンペーン

2019年06月08日 | 天皇制と差別・人権・民主主義

     

 丸山穂高衆院議員に対する「糾弾決議」が6日、衆院本会議で全会一致で可決されました。これは「事実上の辞職勧告決議」(日本共産党・志位和夫委員長、6日の記者会見=7日付しんぶん赤旗)で、きわめて重大な危険性を持つものです。その危険性は2点あります。

  第1に、丸山氏の「戦争でこの島を取り返すことに賛成か」などのいわゆる「戦争発言」と、「過剰な飲酒」「禁じられた外出の試み」「卑猥な発言」などを一緒(一体)にして、「本院の権威と品位を著しく失墜させた」とし、「国会議員としての資格はない」と断じていることです。

 つまりこの決議は、丸山氏の「戦争発言」を「議員の資格はない」理由(の1つ)にしているのです。これは重大です。

 丸山氏の「戦争発言」が憲法9条などの平和・民主主義に反する暴言であることは言うまでもありません。しかし、それはあくまでも思想・信条・言論の問題です。その是非で「議員資格はない」と断じて事実上の辞職勧告を決議することは許されません(5月18日のブログ参照)。

 毎日新聞の社説(7日付)は、「特定の言論を理由に数の力で辞職を強いてはならないことは、『反軍演説』で知られる斎藤隆夫を除名した戦前のあしき前例が教えている」と述べています。その通りです。

 ところが同社説は続けて、「しかしこれは言論の名に値するものではない」としています。なぜ「言論の名に値しない」と言えるのか、その線引きはだれがどのような基準で行うのか。そこをあいまいにしたまま(論及せず)「言論の名に値しない」と断じて多数による議員辞職勧告を肯定することはきわめて危険です。

  第2に、決議が「わが国の国益を大きく損ない」「わが国の国益を大きく損なう」と短い文章の中で2度も「国益」を強調していることです。

 では「国益」とは何か?この点も決議に明確な説明はありません。「北方領土返還」のことを言っているのだろうとは推察されますが明確ではありません。

 そもそも「国益」とは明確に定義できるものではありません。「国益」すなわち「国家の利益」とは時の権力が都合よく定義し、それに「反する」者を「非国民」として弾圧するときの常とう句です。それが戦前・戦中の日本の歴史が教えるところです。

 敗戦から74年たった今日、衆議院が院の決議で「国益」を繰り返し、それを全会一致で可決し、そのことに異論を唱えるメディア・識者が皆無であるという事実に、戦慄をおぼえます。

 ある議員が街頭や集会で、「天皇の政治関与、政権による天皇の政治利用は目に余る。象徴天皇制は国民主権と相いれない。直ちに廃止すべきだ」と主張したらどうでしょう。

 これは明らかに「憲法(第1条~8条)の象徴天皇制に反する」発言です。では「憲法に反する」天皇制批判・廃止論を主張する議員は「国会議員としての資格はない」のですか?

 天皇を「日本国の象徴」と規定している憲法第1条に基づけば、天皇を批判し天皇制廃止を主張する者は「国の象徴」を攻撃する者で、「国益を大きく損ねる」、それは「言論の名に値しない」と国家権力が決めつけ、弾圧を図ることはありえないと言い切れるでしょうか。

 やがてそれは国会の外へ広がり、「天皇制反対」の市民の言論・集会への弾圧(攻撃する右翼の野放しも含め)が強まる危険性がないと断言できるでしょうか。

 国家権力による思想・言論統制、弾圧は、はじめは誰からも異論がでない者から先鞭をつけていくものです。

 今回の糾弾決議が、「天皇退位・即位」、「新元号」の大キャンペーンの中で行われた(しかも全会一致で)という意味をけっして軽視することはできません。


<お礼>

 拙著『象徴天皇制を考えるⅡ』に多くのご予約をいただきまして、誠にありがとうございます。7月中旬の発送になる予定です。しばらくお持ちください。
 なお、多少多めに印刷しますので、ご希望がありましたら、引き続きメールでお申し込みください。先着順で在庫のある限り送らせていただきます。メールが送れない場合は、次の番号にショートメールかお電話ください。電話090-2900-9967
 また、前著『象徴天皇制を考える』についても多くの方からお申し込みをいただき感謝にたえません。残念ながら在庫はなく、増刷は費用の点で難しい状況です。何卒ご了承をお願いいたします。
 誠にありがとうございました。


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非体験世代がどう継承するか―『沖縄戦を知る事典』の試みと課題

2019年06月06日 | 沖縄と戦争

         

 沖縄戦を知り、継承するうえで画期的な本が出ました。『沖縄戦を知る事典』(吉浜忍、林博史、吉川由紀編、吉川弘文館)です(以下『事典』)。 

 『事典』は体験者からの聞き取りを基調にした47の項目と20のコラムで様々な方向から沖縄戦の実相を掘り起こすとともに、読書ガイド、博物館ガイド、歩いて学べる戦跡コースなどの「付録」があり、興味深い読み物と実用的ガイドの合体といえます。最適な入門書であると同時に、新たな発見ができる本です。

 「朝鮮人軍夫」「秘密戦」「家族にとっての沖縄戦」「障がい者」「歌で継ぐ沖縄戦」など新たな視点が随所にあります。私には「四人に一人が犠牲になったといわれる沖縄戦だが、残りの三人はどのように生き延びたのだろうか」(吉川由紀氏「命を救った人たち」の項)という問題提起が新鮮でした。そこには、「移民体験」と「皇民化教育」の鮮明な対照があります。
 全体を通して、「軍隊は住民を守らない」が沖縄戦の教訓だと言われますが、むしろ「軍隊(皇軍)は住民を殺す」と言うべきではないか、との思いを強くしました。

 『事典』の最大の特徴は、執筆者28人中、20代2人、30代11人(合わせて約半数、ほかに40代6人、50代5人、60代4人)ときわめて若い世代の手によるものだということです。職業も市町村史編集者、資料館学芸員。教員など多彩です。

 ここには、「沖縄戦体験者が減少し、体験を聞くという継承の仕方がいよいよ難しくなっている現在、非体験世代による継承が求められている。非体験者が沖縄戦を真剣に継承しなければ沖縄戦は確実に風化するだろう」(吉浜忍氏、5月29日付沖縄タイムス)という危機感があります。

 また、「自治体史の現場では、優れた学識を身に付けた編纂スタッフが数年で使い捨てされるという深刻な問題…さらに大きな問題は沖縄の大学に沖縄戦研究者が皆無になってしまったこと」(林博史氏、5月28日付琉球新報)という信じがたい実態があります。

  非体験者が沖縄戦を継承する意味を、編者の吉川由紀氏はこう述べています。
 「体験者が1人もいなくなる時代は来る。それは自然なことだが、では、いつまで沖縄戦を伝えるのか。なぜ伝え、何を伝えるかは常に問われていると考えている。…過去の過ちを繰り返さないように歴史を学び、歴史に学ぶが、その前にいま自分がどう生きるか、自分を取り巻く人たちとどんな社会を築くのか、ということを沖縄戦の継承活動を通して考える必要がある」(1日のシンポ=写真右=での基調報告、5日付沖縄タイムス)

 この指摘はもちろん「沖縄戦」だけに該当するものではありません。吉川さんの発言の「沖縄戦」はそっくり「日本の侵略戦争・植民地支配の歴史」とおきかえ、すべての「日本人」の課題をとらえるべきではないでしょうか。

  たいへん重要な意味を持つ非体験者の手による『事典』ですが、今後への課題も少なくないでしょう。その1つとして痛感したのは、「沖縄戦と天皇制」のさらなる研究です。
 「戦時下の教員たち」の項目で「皇民化教育」について触れられていますが、けっして十分とは言えないでしょう。教育だけでなく、政治・行政はもちろん、文化・思想・庶民生活の各分野にわたって、天皇制と沖縄戦の関係、天皇制が沖縄に何をもたらしたか、それは今日にどうつながっているか、その調査・研究がいっそう進められることを期待します。
 もちろん、それは沖縄の研究者だけの課題でないことは言うまでもありません。

 <お知らせ 『象徴天皇制を考えるⅡ』ご予約案内>

 『「象徴天皇制」を考えるⅡ その過去、現在、そして未来』を自費出版します。  前回(2017年11月)出版したものの続編で、17年6月から今年5月7日までの「アリの一言」の中から天皇制に関するものを拾いました(前書きと資料1点=明仁天皇の生前退位ビデオメッセージ)。印刷部数の目安のため、以下の要項で予約を募集します。
  〇本の体裁=B6判、モノクロ、ソフトカバー、233ページ(1テーマ見開き、計110テーマ)
  〇価格=1冊1000円(送料込み)
  〇本の発送=7月上~中旬予定
  〇代金のお支払い=振込先を本に同封しますので、お手元に届いた後にお振込みください(2冊以上の場合は1000円×冊数)
  〇予約締切=ご予約は6月6日で締め切ります。予約数以上に印刷しますので、後日のご購読お申し込みも可能です(部数のある限り)
  〇予約お申込み=件名に「本予約」とお書きのうえ、お名前、ご住所(お送り先)郵便番号、部数を以下のEメールアドレスにご送信ください。
 Eメールアドレス:satoru-kihara@alto.ocn.ne.jp
 全くつたない内容ですが、何かの参考になれば幸いです。よろしくお願いいたします。

 


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天皇はなぜ樹を植える(植樹祭出席)のか

2019年06月04日 | 天皇・天皇制

     

 徳仁天皇・雅子皇后は1日、就任後初の「地方訪問」として、「全国植樹祭」に出席するため愛知県を訪れました。NHKをはじめテレビメディアは、「日の丸」の小旗を振って感激する「一般市民」(動員されたものも含め)の姿・声を取り上げ、「歓迎」ぶりを大きく報じました。

 天皇・皇后はなぜ植樹祭に出席するのでしょうか。緑化問題に関心があるからではありません。それは裕仁天皇(写真右)から始まり、明仁天皇へ引き継がれた「天皇の公的行為」(憲法の規定にはない行為)であり、天皇の権威を高め、それを政治利用しようとする国家権力の政治的思惑の歴史に貫かれています。

  敗戦後、天皇の地方訪問(行幸)が復活するのは1947年夏からですが、その動機は、戦争責任の追及を避け、「権威」の復活を図ろうとする天皇(保守派)と、占領下の国民の不満・批判を天皇を利用して抑えようとするGHQの利害が一致したものでした。

 「GHQ民間情報教育局の非公式顧問を務めるレジナルド・ブライスという人物が、侍従長に書簡を送った。食糧配給制度が間もなく機能しなくなるとの認識のもとに、彼は天皇にこの深刻な問題に対処することを求めた。…天皇は危機に瀕した現状を行幸で改善しようと、マッカーサーとGHQの広報担当顧問の積極的な支持のもとに旅行を開始した」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇下』講談社学術文庫)

 1950年代に入って、天皇の行幸は本格的・計画的に行われます。それは日米安保条約(51年調印、52年発効)、自衛隊発足(54年、前身の保安隊発足は52年)と深く関係していました。

 「日本再軍備以降の天皇(制)利用は、1953年のイギリスのエリザベス女王の戴冠式に皇太子(明仁―引用者)を送ることから始まった。…いっぽう天皇は、まず国内で、非政治的な装いのもとで、きわめて政治的に、国民体育大会(51年10月)や全国植樹祭(52年4月)、全国戦没者追悼式(52年5月)に出席し、象徴的権威を示威し、53年11月からは、天皇主催の園遊会が開始され(た)」(牛島秀彦著『昭和天皇と日本人』河出文庫)

 「全国植樹祭」への出席は、地方への行幸によって天皇(制)の「権威」を高め、庶民の権力批判を抑え、日米軍事同盟、再軍備(自衛隊発足)を強行することに利用する政治的思惑から始まったものだったのです。

 さらに、天皇の行幸がそうした政治的効果を持つと国家権力が考えた背景には、「市民」の天皇崇拝とメディアの報道があったことに留意する必要があります。

 「(1947年)6月初旬に天皇が大阪に着いたとき、戦災地の視察を主目的とするはずの巡幸は、まるで壮麗な凱旋パレードのような様相を呈した。禁じられている日の丸の旗が屋根屋根にはためき、万歳を叫ぶ数千人の歓迎の市民によって打ち振られた。事情を知らない人が見たら、最終的に勝利を収めた天皇を全国民が祝福していると思っただろう」(ハーバート・ビックス前掲書)

 こうした状況に対し、作家の坂口安吾は48年1月に発表した「天皇陛下にささぐる言葉」でこう述べました。
 「天皇が現在の如き在り方で旅行されるということは、日本がバカになりつつあるということ…かくては、日本は救われぬ」(原武史『昭和天皇』岩波新書より)
 この坂口の嘆きを、71年後の今日、はたして過去の話と一蹴できるでしょうか。

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 『「象徴天皇制」を考えるⅡ その過去、現在、そして未来』を自費出版します。  前回(2017年11月)出版したものの続編で、17年6月から今年5月7日までの「アリの一言」の中から天皇制に関するものを拾いました(前書きと資料1点=明仁天皇の生前退位ビデオメッセージ)。印刷部数の目安のため、以下の要項で予約を募集します。  
 〇本の体裁=B6判、モノクロ、ソフトカバー、233ページ(1テーマ見開き、計110テーマ)
   〇価格=1冊1000円(送料込み)  
 〇本の発送=7月上~中旬予定
  〇代金のお支払い=振込先を本に同封しますので、お手元に届いた後にお振込みください(2冊以上の場合は1000円×冊数)
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「聖火リレー」に隠された3つの意図

2019年06月03日 | 五輪とメディア・政治...

     

 1日コースの概要が発表された東京オリンピック・パラリンピック(以後、東京五輪)の「聖火リレー」について、各都道府県からは「平和の火」(琉球新報)などと一斉に歓迎の声があがっています。しかし、はたしてそれは喜んで評価できるものでしょうか。

 今回の「聖火リレー」は、「原則100日以内」とするIOCの内規に反し、121日間という長期にわたり、費用は「100億円」(2日付朝日新聞)という異例・異常な計画です。そこには重大な政治的思惑が隠されています。

  第1に、東京五輪と自衛隊の結合です(4月16日のブログ参照)。

  組織委員会が発表した「聖火リレー」は3月26日の福島県・Jビレッジを出発点としていますが、事実上の出発点は、航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)です。
 なぜなら、ギリシャで採火された聖火が空路日本に到着するのが自衛隊松島基地だからです。民間の仙台空港ではなく自衛隊基地にしたのは、組織委員会の森喜朗会長(元首相、写真中)が「一番理想的」といって決めたものです。
 松島基地に到着した「聖火」は、宮城、岩手、福島の順で東北被災3県を回った後に、3月26日福島で改めて「出発式」が行われるのです。

 第2に、コースに伊勢神宮を組み入れ、東京五輪と天皇制が直接結合されることです。

 今回のリレーコースが異例・異常なのは、日数や費用だけではありません。「組織委関係者によると普段、火気厳禁な歴史的建造物の中に聖火ランナーが入ることも検討されている。…美しい日本の風景を聖火とマッチングさせ世界に配信する、前代未聞の試み」(2日付日刊スポーツ)だということです。その「歴史的建造物」とは「寺社仏閣など」(同)で、眼目は伊勢神宮(4月8日)です。

 ただしその狙いは「美しい日本の風景」の発信ではなく、国家神道の”聖地”であり、先の天皇の退位でもあらためてクルーズアップされた伊勢神宮を通して、皇室・天皇制を世界に発信することにあります。

 第3に、沖縄の首里城(5月2日)と北海道(白老町)のアイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(6月14日)がコースに含まれたことです。

 首里城は明治天皇制政府が武力で琉球を併合(1879年)したまさにその現場です。また、明治政府はそれより早く、維新の翌年(1869年)にアイヌ民族の土地を侵略し、「開拓使」を置いて「蝦夷地」を「北海道」と改称しました。
 今回の「聖火コース」には、南の琉球民族、北のアイヌ民族という日本が侵略・併合した2つの民族の象徴的な場所を通るのです。

 かつて明治政府は小学唱歌・「蛍の光」の4番の歌詞で、「千島のおくも、おきなわも、やしまのうちの、まもりなり…」と歌わせ、アイヌ、琉球の侵略を既成事実化しようとしましたが、今回の「聖火リレー」はそれを想起させます。

 結局、東京五輪の「聖火リレー」は、「復興五輪」の名で福島・東電原発事故の被害・影響の隠ぺいを図るだけでなく、「日本の領土」=国家を強く意識させ、その「統合」の「象徴」としての天皇(制)を世界にアピールするものである、と言えるのではないでしょうか。

<お知らせ 『象徴天皇制を考えるⅡ』ご予約案内>

 『「象徴天皇制」を考えるⅡ その過去、現在、そして未来』を自費出版します。  前回(2017年11月)出版したものの続編で、17年6月から今年5月7日までの「アリの一言」の中から天皇制に関するものを拾いました(前書きと資料1点=明仁天皇の生前退位ビデオメッセージ)。印刷部数の目安のため、以下の要項で予約を募集します。  
 〇本の体裁=B6判、モノクロ、ソフトカバー、233ページ(1テーマ見開き、計110テーマ)
  〇価格=1冊1000円(送料込み)
  〇本の発送=7月上~中旬予定
  〇代金のお支払い=振込先を本に同封しますので、お手元に届いた後にお振込みください(2冊以上の場合は1000円×冊数)
  〇予約締切=ご予約は6月6日で締め切ります。予約数以上に印刷しますので、後日のご購読お申し込みも可能です(部数のある限り)
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 全くつたない内容ですが、何かの参考になれば幸いです。よろしくお願いいたします。

 


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