アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「丸山議員糾弾決議」と天皇キャンペーン

2019年06月08日 | 天皇制と差別・人権・民主主義

     

 丸山穂高衆院議員に対する「糾弾決議」が6日、衆院本会議で全会一致で可決されました。これは「事実上の辞職勧告決議」(日本共産党・志位和夫委員長、6日の記者会見=7日付しんぶん赤旗)で、きわめて重大な危険性を持つものです。その危険性は2点あります。

  第1に、丸山氏の「戦争でこの島を取り返すことに賛成か」などのいわゆる「戦争発言」と、「過剰な飲酒」「禁じられた外出の試み」「卑猥な発言」などを一緒(一体)にして、「本院の権威と品位を著しく失墜させた」とし、「国会議員としての資格はない」と断じていることです。

 つまりこの決議は、丸山氏の「戦争発言」を「議員の資格はない」理由(の1つ)にしているのです。これは重大です。

 丸山氏の「戦争発言」が憲法9条などの平和・民主主義に反する暴言であることは言うまでもありません。しかし、それはあくまでも思想・信条・言論の問題です。その是非で「議員資格はない」と断じて事実上の辞職勧告を決議することは許されません(5月18日のブログ参照)。

 毎日新聞の社説(7日付)は、「特定の言論を理由に数の力で辞職を強いてはならないことは、『反軍演説』で知られる斎藤隆夫を除名した戦前のあしき前例が教えている」と述べています。その通りです。

 ところが同社説は続けて、「しかしこれは言論の名に値するものではない」としています。なぜ「言論の名に値しない」と言えるのか、その線引きはだれがどのような基準で行うのか。そこをあいまいにしたまま(論及せず)「言論の名に値しない」と断じて多数による議員辞職勧告を肯定することはきわめて危険です。

  第2に、決議が「わが国の国益を大きく損ない」「わが国の国益を大きく損なう」と短い文章の中で2度も「国益」を強調していることです。

 では「国益」とは何か?この点も決議に明確な説明はありません。「北方領土返還」のことを言っているのだろうとは推察されますが明確ではありません。

 そもそも「国益」とは明確に定義できるものではありません。「国益」すなわち「国家の利益」とは時の権力が都合よく定義し、それに「反する」者を「非国民」として弾圧するときの常とう句です。それが戦前・戦中の日本の歴史が教えるところです。

 敗戦から74年たった今日、衆議院が院の決議で「国益」を繰り返し、それを全会一致で可決し、そのことに異論を唱えるメディア・識者が皆無であるという事実に、戦慄をおぼえます。

 ある議員が街頭や集会で、「天皇の政治関与、政権による天皇の政治利用は目に余る。象徴天皇制は国民主権と相いれない。直ちに廃止すべきだ」と主張したらどうでしょう。

 これは明らかに「憲法(第1条~8条)の象徴天皇制に反する」発言です。では「憲法に反する」天皇制批判・廃止論を主張する議員は「国会議員としての資格はない」のですか?

 天皇を「日本国の象徴」と規定している憲法第1条に基づけば、天皇を批判し天皇制廃止を主張する者は「国の象徴」を攻撃する者で、「国益を大きく損ねる」、それは「言論の名に値しない」と国家権力が決めつけ、弾圧を図ることはありえないと言い切れるでしょうか。

 やがてそれは国会の外へ広がり、「天皇制反対」の市民の言論・集会への弾圧(攻撃する右翼の野放しも含め)が強まる危険性がないと断言できるでしょうか。

 国家権力による思想・言論統制、弾圧は、はじめは誰からも異論がでない者から先鞭をつけていくものです。

 今回の糾弾決議が、「天皇退位・即位」、「新元号」の大キャンペーンの中で行われた(しかも全会一致で)という意味をけっして軽視することはできません。


<お礼>

 拙著『象徴天皇制を考えるⅡ』に多くのご予約をいただきまして、誠にありがとうございます。7月中旬の発送になる予定です。しばらくお持ちください。
 なお、多少多めに印刷しますので、ご希望がありましたら、引き続きメールでお申し込みください。先着順で在庫のある限り送らせていただきます。メールが送れない場合は、次の番号にショートメールかお電話ください。電話090-2900-9967
 また、前著『象徴天皇制を考える』についても多くの方からお申し込みをいただき感謝にたえません。残念ながら在庫はなく、増刷は費用の点で難しい状況です。何卒ご了承をお願いいたします。
 誠にありがとうございました。


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