アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄「慰霊の日」に元号は似合わない

2019年06月24日 | 沖縄と天皇・天皇制

     
 23日は沖縄「慰霊の日」。辺野古新基地建設阻止だけでなく、沖縄戦から何を学び今にいかしていくかがあらためて問われています。
 その意味からも、同日行われた県主催の「沖縄全戦没者追悼式」で、たいへん気になる光景がありました。

 玉城デニー知事「時代が平成から令和へと移り…」
 安倍晋三首相「令和の時代においても…」
 そして、地元の小学6年生の「平和の詩」でも、「平成時代に私は生まれ…」「令和時代が始まり…」
 テレビで中継した3人のスピーチすべてに、「令和」「平成」という元号が、「時代」を画すものとして盛り込まれたのです。

  玉城氏や安倍氏が元号を使うのは別に不思議でもありませんが、小学生の詩にまでそれが広がっていたのは少なからず驚きでした(NHKは目ざとくニュースでそのくだりを取り上げました=写真右)。

  言うまでもなく、元号は天皇支配の象徴であり、主権在民の現憲法下では廃止されるべきものです。とりわけそれは沖縄にはふさわしくありません。「慰霊の日」にはなおさらです。その意味は3つあります。

  第1に、沖縄戦の犠牲の最大の責任者(犯罪者)が天皇裕仁だからです。

 それは、①そもそも沖縄戦は裕仁が「国体」=天皇制維持のために降伏を引きのばした結果引き起こされた②沖縄戦の多大の犠牲は裕仁が沖縄を「捨て石」にした結果生まれた③「集団強制死(集団自決)」や虐殺、マラリア・餓死などで住民を死に追いやったのは「天皇の軍隊」(日本軍)だった――という点にあります。

  第2に、敗戦後、沖縄が米軍占領下に置かれ、今も米軍基地・施設の70%が沖縄に置かれ住民を苦しめているのは、天皇裕仁が自らの戦争責任の追及(断罪)を回避するために、沖縄をアメリカに差し出した(「沖縄メッセージ」)ことに根源があるからです。それを法的に制度化した日米安保条約のレールを敷いたのも裕仁です。

  そして第3に、明治天皇制政府が琉球を併合・支配する最大の”武器“にしたのが元号だったからです。

 明治政府は琉球併合(1879年)の4年前の1875年7月10日、「処分官」松田道之を琉球に派遣し、4項目の命令を言い渡しました。その第1項に、「管内一般に明治の年号を奉じ、年中の儀礼等布告通遵奉為致候事」があります。これについて歴史家の遠山茂樹はこう解説しています。

 「『年中の儀礼』とは、新年・紀元節・天長節(明治天皇誕生日―引用者)の儀礼である。ここに『年号を奉』ずることの意義が端的に語られている。すなわち元号を用い、皇室の儀礼にしたがうことは、天皇の支配への服属の表明なのである」(遠山茂樹「元号法制化の本質」、永原慶二・松島栄一編『元号問題の本質』白石書店1979年所収)

 以上のように、沖縄(琉球)の苦難の歴史・現状には元号に象徴される天皇制の影が深く大きく刻まれています。
 沖縄戦の犠牲者を悼み、その歴史から学び、平和と琉球の自主決定権を実現していくうえで、私たちは沖縄(戦)と天皇制との関係をもっともっと学習し今日に生かしていく必要があります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする