アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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米従軍写真家が撮った「占領軍慰安所」の実態

2024年08月20日 | 戦争・「慰安婦」
   

 16日のNHKスペシャルは、「グランパの戦争 従軍写真家が遺したⅠ千枚」と題し、1942年に米陸軍の従軍カメラマンとなったブルース・エルカス氏が撮った約1千枚の写真を特集しました。

 孫のマリアンさん(オランダ在住)が祖父が遺した写真の意味を追って今年5月来日。関係者や研究者らと写真をもとに意見交換しました。

 番組は約1千枚の写真の中から、硫黄島の戦闘(1945年2月)と、敗戦後・占領下日本に焦点を当てました。

 硫黄島の写真では、米軍が星条旗を立てる写真(他のカメラマンの撮影)が有名ですが、エルカス氏の写真は、両軍の兵士、とりわけ「10代の若者たち」が悲惨な死を遂げている実態を撮り、胸を打ちます。

 「占領下の日本」でとりわけ注目されたのは、「占領軍慰安所」です。

 「占領軍慰安所」の存在は、以前、那覇市内で行われた宮城晴美さんの講演で知っていましたが、その写真を見たのは初めてです。生々しい画像とともに、設置に至る経過にあらためて驚きと怒りを禁じ得ませんでした(以下、番組から)。

 「占領軍慰安所」の設置は、日本政府が閣議で決定したものです。
 敗戦処理のための内閣である東久邇宮稔彦内閣(45・8・17~10・9)が初閣議で決めたのが「慰安所」の設置です(同内閣は憲政史上唯一の皇族内閣で、首相の東久邇宮稔彦は天皇裕仁の妻=香淳皇后のおじ―私)。

 占領軍と日本政府はそのために「特殊慰安施設協会=RAA」をつくりました。「慰安所」は全国各地に及びました。

 その目的は2つ。1つは、駐留米軍の性病予防です。エルカス氏が撮った写真の中に、MPが「慰安所」を監督しているものがあります(写真右)。

 もう1つは、駐留軍による性暴力被害の防止です。
 「慰安所」の設置を直接指揮したのは当時の警視総監・坂信弥でした。坂は日本軍の南京侵攻・占領(37年12月)に関与していました。占領軍が現地の女性に何をするかを自分の体験で知っていたのです。

 「慰安所」の女性たちの多くは、戦争で夫を失ったうえ、食糧難で生きてゆくため、家族を養うためには他に手段のない女性たちでした。

 以上の番組内容からあらためて痛感するのは、軍隊と性暴力は切り離せない関係にありということです。「占領軍慰安所」もその性暴力の中にありました。

 犠牲になったのは貧困層の女性たちであり、「ふつうの市民」はその犠牲の上に「安寧」を享受したのです。

 その「占領軍慰安所」を敗戦直後に日本政府が閣議で真っ先に決めたこと。その内閣が裕仁に近い皇族内閣であったこと。設置の陣頭指揮を執ったのが南京占領で日本軍が行った性暴力の蛮行を知っていた警視総監だったこと。

 侵略戦争・植民地支配はけっして「敗戦」で終わったわけではないのです。

 私は、私たちは、戦争にまつわるこうした事実をあまりにも知らない、知らされていない。そのことの重大さをあらためて痛感します。
 
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