アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「天皇の制度と日本共産党の立場」6つの言行不一致とその根源<下>

2019年06月11日 | 天皇・天皇制

     

④ 憲法の「全条項を守る」と言いながら、第2条に反する「生前退位」に賛成

 「天皇の制度と日本共産党の立場」(6月4日付しんぶん赤旗)で志位和夫委員長が強調した共産党の「立場」は、「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもる」ということです。

 では今回の明仁天皇の「生前退位」は、憲法の条項に照らしてどうだったでしょうか。

 憲法第2条は「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定しています。そしてその皇室典範は第4条で、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と明記しています。つまり、皇位継承は天皇が死去した時に行われる。これが皇室典範を介した憲法の規定です。志位氏自身、「天皇の退位は、現『皇室典範』が認めていないのです」と述べている通りです。

 「生前退位」は明白な憲法違反です。「憲法の全条項を守る」と言いながら、憲法違反の「生前退位」の「特例法」には賛成。これはいったいどういうことでしょうか。

⑤ 天皇が行えるのは「国事行為のみ」と言いながら、憲法にない「公的行為」を容認

 志位氏は憲法第4条について、「天皇は『国事に関する行為』のみを行い…その国事行為は憲法第4条・第6条・第7条で13項目にわたって限定的に列挙」されていると述べています。その通りです。

 ところが一方で志位氏は、いわゆる天皇の「公的行為」(俗にいう「天皇としての行為」)についてこう述べています。
 「天皇の『公的行為』として行われているもの一つひとつについて、不当な政治利用はないか、憲法の条項から逸脱はないか、さらに憲法の精神にてらして問題点はないかなどを、きちんと吟味することが必要だと思います」

 「憲法にてらして…吟味する」のは当然ですが、重大なのは、この発言は天皇の「公的行為」自体は基本的に容認していることです。容認したうえで吟味するというわけです。例えば①で述べた国会開会式に照らせば、開会式での天皇発言(公的行為)は「吟味」した結果問題ない、ということになります。

 しかし問題は「公的行為」自体にあります。

 「広汎にわたる天皇の公的な行為は…国民に天皇を意識させる場として機能しており…憲法の枠を大幅に拡げ(る)」(横田耕一氏『憲法と天皇制』岩波新書)ものです。

 明快に言えば、「天皇の『お言葉』や『お出まし』(公的行為―引用者)は違憲の疑いが強い」(渡辺治一橋大名誉教授、4月19日付中国新聞=共同配信)のです。したがって今必要なのは、「天皇の公的活動は厳格に国事行為に制限する方向で見直すこと」(渡辺氏、同)です。
 天皇の「公的行為」を容認する共産党の「立場」はこれに逆行するものと言わねばなりません。

 ③ 「思想・信条の自由」と言いながら、天皇制支持を事実上強要する「受動的統合」論

  憲法第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という規定について、志位氏はこう述べています。
 「『日本国民統合の象徴』とは、天皇が積極的・能動的に国民を『統合する』ということではありません。…『日本国民統合の象徴』という憲法の規定は、さまざまな性、さまざまな思想、さまざまな民族など、多様な人々によって、まとまりをなしている日本国民(この認識自体問題ですが、別の機会にします―引用者)を、天皇があくまでも受動的に象徴すると理解されるべきだと考えます」

  天皇の「政治的権能」を否定しようとして述べたことですが、逆にきわめて重大なことを意味しています。「天皇が受動的に象徴する」とはどういうことか。それは、「日本国民」が天皇に対して「統合の象徴」としての役割を望む・期待するということにほかなりません。そうでなければ天皇は「受動的」になりようがありません。

 つまり志位氏の発言は、「さまざまな性、さまざまな思想、さまざまな民族など、多様な人々」に、天皇制支持、それどころか天皇が「統合の象徴」であることを望むことを事実上強要していることにほかなりません。
 これが憲法の「思想・信条の自由」の蹂躙であることは言うまでもありません。とりわけ「さまざまな民族」の人々に、天皇による「統合」支持を強要することはきわめて重大な問題です。

  以上、6点にわたって共産党の言行不一致・矛盾をみてきましたが、それはなぜ生まれるのでしょうか。根源は1つです。
 それは、「憲法の中に天皇と国民主権が同居したことは大きな矛盾」(渡辺治氏、前掲)だからです。憲法第1章(1条~8条)の天皇制は、国民主権、さらに「基本的人権の尊重」(第11、12条)、「法の下の平等」(第14条)、「思想・良心の自由」(第19条)、「政教分離」(第20条)などの「憲法の精神」(志位氏)と根本的に矛盾するのです。

 それは志位氏の発言自身がしばしば認めるところとなっています。たとえば、「天皇の制度は、『世襲』の制度であるという点で、憲法が定める平等原則と相いれない制度であり、それにともなって、天皇の人権が一定程度制約されることは、避けることはできません。同時に、天皇もまた人間であることに変わりはなく、当然に保障されるべき権利があると考えます」。いったいどっちなのか、いかにも苦しい発言です。

 共産党の言行不一致・矛盾の根源は、「憲法の全条項を守る」との綱領方針によって、そもそも相いれない天皇制(「天皇の制度」でもいいのですが)と国民主権、平等、人権などの憲法原則の両方を、すなわち「矛」と「盾」の両方を「守ろう」とすることにあります。それは無理です。

 国民主権、平等、人権という「憲法の精神」(志位氏)を守ろうとするなら、それとは相いれない天皇制は否定し、廃止しなければなりません。

 「将来、情勢が熟したときに」などと言うのではなく、1日でも早く、天皇制を廃止して「民主共和制」(共産党綱領)を実現するためにさまざまな活動を行うこと。それが政党(「前衛党」)の責務ではないでしょうか。


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