8日は安倍晋三銃撃事件から8カ月でした。事件が提起した問題の1つは、歴代自民党政権(国家権力)と統一教会の闇の関係であり、もう1つは、とりわけ深くかかわっていた安倍政権の再検証です。
6日に日韓両政府で「合意」した強制動員被害者に対する「第三者(肩代わり)弁済」は、日本の植民地支配責任の棚上げを図った安倍政権が元凶です。
そして、小西洋之参院議員(立憲民主)が2日暴露し、松本剛明総務相が7日行政文書と認めて公表した文書(写真右)で露呈した放送法解釈の変更、それによるメディアへの圧力・「報道の自由」侵害も安倍政権の黒い遺産の1つです。
文書には安倍首相と礒崎陽輔首相補佐官(当時)による圧力の生々しい実態が記録されていますが、とりわけ重大なのは、高市早苗総務相(当時)の参院総務委員会での答弁(2015年5月12日)です。
「政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げますが、1つの番組のみでも…当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合…政治的に公平性であることを確保しているとは認められない」
この高市答弁が、安倍政権の悪政の代表ともいえる戦争法(安保関連法)の衆議院審議入りⅠ週間前に行われたことにも重大な意味があります。
高市答弁が危険なのは、それが放送事業者に電波使用を許可する権限を持つ総務相による発言だからです。
その危険性は翌年の国会で現実のものとなりました。
2016年2月8日の衆院予算委員会。高市氏は、「政治的公平」を欠くと判断された放送局の電波を止めることがあるか、という民主党議員の質問に対し、こう述べました。
「全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり(電波使用を止める)可能性がないとは言えない。総務大臣が最終的に判断をするということになる」
この答弁は大きな波紋を広げました。
「2016年2月、高市早苗総務大臣が「政治的公平性を欠くテレビには電波停止もありうる」と発言した。これは公権力からメディアへの明らかな圧力だとして、日本だけでなく海外のメディアも取り上げて大問題になった。
公平性の原則や独立性の原則はジャーナリズムの倫理において重要なものである。なにも日本に限ったものではない。しかし日本の問題は、放送法と電波法により「何が公平か」を決め、電波停止する権限を政府(総務省)に与えているということだ。政府にそのような権限を与えている民主国家は世界で日本だけだ」(藤田早苗エセックス大学人権センターフェロー著『武器としての国際人権―日本の貧困・報道・差別』集英社新書2022年)
「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング2022」で、日本は100点満点の64点、180カ国中71位でした。いわゆる「先進国」といわれている国の中では最低です。
民主主義の根幹ともいえる「報道の自由」において、日本は世界に恥じる後進国です。その大きな原因の1つが、放送法・電波法で政府が電波事業者の認可権を握っていることです。そして、放送法をさらに悪用してメディアに圧力をかけたのが安倍政権でした。
安倍政治の悪の遺産を一掃し、「報道の自由」を向上させることは、当事者のメディアはもちろん、「知る権利」を持つ市民にとっても重大な喫緊の課題です。