アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「報道戦士の歌」と「自主検閲」―変わらぬメディア体質

2023年08月12日 | 政権とメディア
  
 1937年の中国侵略(盧溝橋事件)以後、日本のメディア(主に新聞)が「戦意高揚」を煽る報道を繰り返し、積極的に侵略戦争に加担したことは周知の事実です。「戦争と報道機関」と題した共同通信編集委員・福島聡氏の論評(10日付琉球新報)は具体的な事実でそれを浮き彫りにしました。

 中でも注目したのは、共同通信の前身である同盟通信社(1936年発足)の記者の手記に、「同僚たちと歌った」という「報道戦士の歌」の歌詞が紹介されていることです。

「 従軍服を身に着けて 進む火の中弾の下 命ささげし報道戦 武器は取らねど愛国の 熱い血潮は沸き返る 」

 福島氏によれば、従軍取材中に死亡した記者らの追悼文集(1939年刊行の『戦争と従軍記者』)には、「記者の報道精神こそ国民精神の発露」などとする陸海軍幹部の一文も掲載されています。

 そして敗戦。メディアは一転、それまでの戦争協力を“自己批判”しました。

 たとえば朝日新聞は、「國民と共に立たん」(1945年11月7日、写真右)と題した「宣言」で、「支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要な役割にかんがみ、我等こゝに責任を國民の前に明らかにする」とし、村山社長以下幹部の「総辞職」を明らかにしました。

 しかし、それは口先だけでした。

 9日のNHK「歴史探偵」は、敗戦後、原爆の悲惨さが報道されなかった背景を検証しました。
 主要な原因は、アメリカが核兵器開発に不都合な報道を事前検閲で禁止したプレスコードにあります。しかし、GHQの検閲は1948年に終了しましたが、それ以降も原爆の悲惨さが報道されることはありませんでした。なぜか?

 メディアの「自主検閲」です。新聞社は「自主検閲」のための指針まで作成しました(「検閲の指針」写真中)。
 そこには、報道すべきではないものとして、「原爆被害」だけでなく、「進駐軍を実名で批判する記事」「共産党が支持するような報道」などが挙げられていたといいます。

 この「自主検閲」は、GHQの機嫌を損ねて「発行停止処分」を受けることを避けるためだったといわれます。

 番組のキャスターは、「苦渋の選択だったんでしょうね」と述べましたが(いかにもNHK)、メディアの「自主検閲」に同情の余地は一片もありません。それは保身のために報道機関の根幹的任務を投げ捨てたことに他なりません。

 「報道戦士の歌」を歌って戦争協力報道を繰り返したことと、「自主検閲」による自己規制。「動」と「静」で正反対のようですが、国家権力への迎合という点で根は1つです。

 問題は、こうした戦中・敗戦直後のメディアの権力迎合はけっして過去の話ではないことです。政府発表の垂れ流し、中国・朝鮮敵視姿勢への同調、日米軍事同盟(安保条約)擁護に基づく軍拡支持などは、今日における国家権力への迎合以外の何ものでもありません。

 メディアの体質は戦前・戦中から本質的に変わっていません。メディアは今改めて「国民と共に」否、「市民と共に」立つことが求められています。
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