桜子の † 智天使工房 † 

カラーセラピストでメタルスミスの私が歩む日々。
みんながハッピーになれるものを作りたい。

玉響(たまゆら)の時

2021-09-19 19:45:00 | ジュエリーメイキング
およそ3ヶ月を掛けて制作したシルバー作品の玉響(たまゆら)

偶然なのか予定調和だったのか、その期間のトシヤの家での状態といったらもう・・・。

以前にも書いてますが、猗窩座(あかざ)みたいな痣がつくような掴みかかりを、ほぼ毎日。

6月には右手中指を噛まれて、全治2週間余。

二の腕の傷がやっと治りかけるかと思うと、追い打ち。

まあまあ、ほぼ毎日傷だらけでしたが、とにかく今は自粛してくれと、通所先が通わせてくれない日が2年も続いており、家の中に二人切りの状態が続くという悪環境が、さらに追い打ちをかけていました。

そんな中、狭いけれど私の仕事部屋に籠って作業する、ほんの僅かな時間だけが私の癒しの時間でした。

美しいものを作りたいという気持ちだけが支えでした。
毎日、怪我だけでなく細々とした世話や家事、息子がらみの外出などが洪水のようで、ほんとうに僅かな時間を紡ぎ合わせるしかありません。

作品が出来上がるころ、作品のタイトルを決めなければ・・・と思い巡らせたとき、玉響(たまゆら)という言葉が浮かびました。

たまゆら(玉響)は、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」(瞬間)、あるいは「かすか」を意味する古語

ほんの一瞬だけど、幸せな瞬間が私を正気に保ちました。

思えば、息子も私が自分の方を見ていないという不安感が強かったのかもしれないです。

しかし、私はもう何かに挑戦するのに躊躇っている時間など無いのです。
申し訳ないけど、息子にだけ私の100%のエネルギーを注ぐことは出来ない。

ただ、今になって思えば、こういう状況だったからこそ、創作することが強力な癒しの力を秘めていることを実感出来たのです。

作品が完成して評価されたというのは、とても嬉しく有り難いことですが、これからの私の進む道のヒントが得られたことは、とても大きかったと思います。

人生万事塞翁が馬、ですか。

創作プロセス*玉響(たまゆら)

2021-09-19 16:38:38 | ジュエリーメイキング
今回のシルバー作品の創作プロセスをざっと紹介します。

ちなみに作品名は玉響(たまゆら)です。

最近のマイブームが「透かし模様」だったことで、見た目軽やかなネックレスを考えました。

透かし模様の銀の球を作るために、おが屑粘土で3段階の大きさの球を作り、その上にシリンジ(注射器)に入った銀粘土を絞り出して模様を描きます。
画像左が、おが屑粘土の球。右2個が粘土を貼り付けたもの。
焼いた後の変形を防ぐために、緻密に粘土を置きます。
球は全部で7個制作。
これにかなりの時間を使いました。


透かし球を繋ぐパーツもシリンジで作り、組み立てをチェック。
銀粘土は焼くと20%ほど収縮するので、それを見越した大きさでデザインします。

乾燥体のパーツをそれぞれ電気炉で焼成します。
透かしのパーツは、中の粘土が燃え尽きることが前提ですので、黒煙が大量に発生します。
お天気が良く、風がある程度ある日を狙って、屋外で一気に焼きました。


焼成後のパーツは磁気研磨機で磨いた後に、ロウ付けして組み立てています。
純銀同士のロウ付けは酸化膜は殆ど出ませんが、若干黒く汚れますので、ピックリングコンパウンドをバケツに入れて酸洗いという工程を踏みます。

8割がたのパーツが出来た時点で、物理的に美しいネックレスになるかどうかを検討しますが、この段階で作り直したパーツもあります。
下の画像は完成品とは違っています。
このあたりがすごく悩むのです。



透かしパーツは7個作りましたが、作っていくうちに綺麗な模様を作るコツが判ってくるので、最後に作った一番大きなパーツが一番気に入っています。

制作工程だけを並べると、サクッと作っているように見えますが、あの手強い息子の面倒を見ながらという状態が、今までになくキツかった。

ただ、途中で引き返せないという退路を断ったコンテスト参加だったことで、正気を保てたのだと思っています。

これについても、振り返りをしてみたいと思っています。