目下、成年後見人として裁判所に提出する財産記録やその他の書類を、相方に手助けしてもらいつつ作成中です。
そんな最中、とあるSNSで「障害児が生まれてくるのは、大気汚染、水質汚染、放射能汚染その他の社会毒は基より、親の生活習慣、食習慣などが原因であるので、障害児を生んだ親はその点を反省し、社会側も反省し、障害者を受け入れていく社会を作るべきである」という文章に遭遇しました。
これを書いた人は、後に「親が反省をし」という点が間違いでありたくさんの人を傷つけてしまったと謝罪されておりましたが、私は私なりの読み方をしたことを書いてみます。
まず、私と大方の人と意見が違うところだけれど、
そもそも障害児(者)=悪いもの、邪魔者という視点に立っているかいないかということで、この「反省」という意味合いが大きく違ってくるんです。
私もその親でありますから、物理的に人様にご迷惑をかけているような場面では、常に「ごめんなさい」という姿勢でいます。当たり前のことですが。
ただ、永遠の魂を持つ一人の人間としては、息子は決して他者に「ごめんなさい」をしなければならない存在(悪いもの)ではないと理解しています。
それは自分も含め、すべての生きとし生ける人も同じと考えます。
で、反省という意味ですが、上の記事を書いた方は「親は自分の食生活や生活習慣が間違っていたことを反省して、産んじゃってごめんなさい」というニュアンスで言われたのでしょう。
が、私が大反省したのは「当初、障害を持って生まれた子をすぐには受け入れられない心の貧しい自分」です。
まだ26歳の若い母親でしたからね。
まだ現世的な価値観で生きてる典型的な普通の日本人女でしたからね。
それでも微かに微かに「これは何か意味があって起こったことに違いない」と感じて、手当たり次第に猛勉強しました。
その微かな微かな直感は、神様の慈悲というかヒントだったのだろうと思います。
著書「私は息子から世界を学んだ」にも書きましたが、薄皮を剥ぐように私も成長をさせてもらって、壮絶な葛藤もありつつも、トシヤは自分の命よりも大事であると断言出来るまでになりました。
と同時に、私に普通の子(っていうのも語弊がありますよね)が授かっていたならば、私はトンデモナイおバカさんに育っていたんだろうと肝が冷えます。
(今が利口な人間というわけじゃないです。あくまでも当社比)
この考えは、あくまでも私の意見ですから、ほかの親御さんがすべて同じとは限りません。
このところトシヤがものすごく機嫌が悪い時が多く、私は毎日ケガをしている状態で、憎々しく思ってたところにこういう意見を発見したというのも、神様の慈悲、お計らいでしょうか。
心が正しい位置にリセットされました。
ありがとうございました。感謝します。