角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

還られない故郷。

2015年08月14日 | 地域の話
ここ数日雨が多くなっている角館です。この雨のおかげか、暑さのピークは完全に過ぎました。朝晩の風に秋が感じられ、もう寝苦しさを感じることはないでしょう。
八月は先祖供養の時節、散策される方にもお盆帰省が多いです。みなさん久しぶりの故郷に笑顔が溢れていますよ。心も体もしばしの休息なのでしょう。古今東西「故郷」はそういうものだと思います。

先月のこと、仙台市に暮らす知人Kさんから電話がありました。Kさんのことはこのブログに何度か綴っていますが、福島県南相馬市小高区に故郷を持つ七十代の男性です。原発事故で避難生活を余儀なくされ、いっとき角館に暮らしました。現在はご自身と奥様の病気治療もあって、息子さんが暮らす仙台を仮住まいとしています。

Kさんが電話で告げるのは、この夏久しぶりに角館を訪ねたいけれども、どうにも体調が思わしくないこと。その不調の原因は治療中の病気ばかりでなく、原発事故の復興に関するものでした。Kさんの故郷小高区はかつて「小高町」といい、人口1万3千人で角館とほぼ同じくらいの自治体です。散り散りに避難している町民へ、先ごろ今後の動向を訊ねる調査がありました。その結果、1万人が「もう戻らない」と回答したそうです。「戻りたい」とする3千人はおおむね65歳以上で、詰まるところ「故郷で死にたい」が帰還の理由でした。

Kさんも七十代ですから同じ気持ちはありながら、そんな場所をはたして「町」と呼べるのかといいます。若者も子どももいない、医者も病院もないところに、いくら故郷と言っても楽しく暮らせるはずはないと言うんですね。「いったい俺ら夫婦はどこで死ぬんだかねぇ」。
私は電話で頷くしかありませんでした。「少し涼しくなったら遊びに来てよ」、掛けられる言葉はそれしかなかったです。

鹿児島県の川内原発が8月11日再稼働されました。「3.11」あの震災と月命日である無神経さにも、福島県の被災民は怒りを露わにしています。
コメント (2)
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