トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

大雪がトルコの交通を麻痺させた

2017年01月08日 | 国内
1月10日 大雪と吹雪がトルコの交通を麻痺させました。最大都市イスタンブルを初め、多くの都市で、気温が零下になりました。

 Hurriyet

イスタンブルでは1月6日夜から大雪が降り始め、市内の交通を混乱させました。イスタンブル市内の各地で交通が麻痺し、道路で動けなくなった人々に、市が食料を配布する事態になりました。市はまた、交通事故を防ぐために、道路に塩をまきましたが、多くのわき道はまだ交通封鎖がつづき、当局は凍結を警告しています。

イスタンブル市内でも積雪が110センチに達したところもありました。積雪はチャタルジャで110センチ、アルナヴトキョイで65センチ、ビュユクチェクメジェやスルタンガジで60センチ、バシャクシェヒル、エセンユルト、ベイリュクデュジュ、ガジオスマンパシャで50センチ、アーヴァ、ベイコズ、サリエル、ゼケリヤキョイで40センチ、アメルダー、オメルリ、アリベイキョイ、キャーウトハネ、マスラクで35センチ、ウーウルムムジュ、バフチェリエヴレル、キュチュクチェクメジェで25センチ、ユスキュダル、ベシクタシュ、バクルキョイで18センチでした。

1月8日、降雪はイスタンブルのヨーロッパ側でも、アジア側でもつづいています。悪天候が空の便やフェリーにも影響を与えています。


“歴史的な”キプロスの平和交渉がジュネーヴで再開される

東地中海の島キプロスの2人の大統領が、国連の仲介で、1月9日、ジュネーヴで、平和交渉を再開するでしょう。新しい国連事務総長の提案による会合は、何十年の長きにおよぶキプロス紛争を決着させる“歴史的チャンス”になるでしょう。

 Hurriyet
トルコのチャヴシュオール外相(左)とアントニオ・グテーレス新国連事務総長


トルコ・キプロスのムスタファ・アクンジュ大統領とギリシャ・キプロスのニコス・アナスタシアデス大統領の平和交渉は、2016年11月に、スイスのリゾ-トで行われ、話し合いは2ラウンドにおよびましたが、結果は出ずに終わりました。1月9日、2人の大統領はふたたび同じスイスのジュネーヴで話し合うことになりました。

1月9日の会合後、両大統領は1月11日、ふたたび会い、未来のキプロス連邦内に引かれる境界線の、それぞれのマップを発表します。その後、1月12日から、トルコ、ギリシャ、イギリスの保証国も参加して、キプロスに関する5者会談の開催が予定されています。

平和交渉のスケジュールが決まり、国連の新事務総長は“歴史的チャンス”と見ています。交渉の究極の目標は、40年間におよぶ紛争を平和的に解決することですが、この話合いから、なにが出てくるかはわかりません。


「まだ刑務所にいる気分」釈放された小説家エルドアンさん

トルコの著名な小説家の1人、アスル・エルドアンさんは、136日の刑務所暮らしの後、10日前に釈放されましたが、まだ所内にいる気分だと言いました。

 Hurriyet

エルドアンさんは、もう釈放されることはないのだろうと、何度も考えたと言い、「まだ私の70%は刑務所にいる気分」とHurriyet 紙に語りました。釈放と聞いたときは耳を疑い、涙をこらえるのに必死だったと言いました。

「私は刑務所内で、何度も泣きました、とくに友人たちのことを思い出して。いま、出所して、最大の後悔は、まだ釈放されていない刑務所内の仲間にちゃんと挨拶してこなかったことです」と彼女は言いました。「逮捕された直後の暗い日々には、自殺という考えも浮かびました。しかし、“刑務所の仲間との団結”に目覚めてからは、そんな考えを恥じるようになりました」

それでも、刑務所内の状況はかなり厳しかったようです。寒くて、ボトルに湯を入れて、独房のベッドを温めたそうです。刑務所内では、テレビのニュースを見ることはでき、彼女はみんなとヒマワリの種を食べながら、テレビを見ていて、自分の釈放を知りました。

「刑務所内では書けなかった。書くエネルギーがなかった」とエルドアンさんは言いました。最初の2日間は水も飲めず、5日で8キロ痩せました。「私はもっと従順な人間でした。“抵抗”とか“忍耐”とかいうことばは嫌いでした。しかし、私は服従しない方法を学びました。以前の私はすぐ降参しましたが、いまはもっと勇敢になりました」

・・・エルドアンさんは、親クルドの新聞の評議員を務めていて、テロリスト組織に属しているという容疑で逮捕されました。


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自爆者2人がトルコのシリア国境で捕まった

2017年01月08日 | 国内
1月9日 2人の自爆者が、3人のクルド労働者党(PKK)のメンバーとともに、シリアからトルコに不法入国しようとして、トルコの憲兵隊に捕らえられたと、1月7日、ドーアンニュースが報じました。

 Hurriyet

彼らは1月7日、シリアの町ラスラインから、トルコ南部のシャンルウルファ県ジェイランプナル地区に不法に入ろうとしていました。ラスラインはシリアのクルド民主連合党(PYD)の支配下にあります。

取り調べで、5人はPKKのメンバーだとわかりました。PKKは1980年代中頃から、トルコ軍と武力闘争をつづけています。5人のPKKメンバーの中の2人は、ラスラインのPKKのキャンプで訓練を受け、トルコ国内で自爆テロを行うためにトルコに入ろうとしていたと思われます。

トルコはPYDを、PKKとつながったテロ組織と見ています。アメリカは、反対に、PYDをテロ組織と考えず、イスラム国(IS)との戦いの信頼できるパートナーと見ています。PKKに関しては、アメリカもEUも、トルコ同様、テロ組織と考えています。

2人の自爆者は、イスタンブルとジェイランプナルで自爆テロを行おうとしていたと、ドーアンニュースは報じています。5人のテロリストは目下、取り調べ中です。


警察が「レイナ」襲撃犯をアブドゥルカディル・マスハリポフと認定

トルコ警察は、イスタンブルの有名クラブを襲撃したイスラム国戦闘員を、ウズベキスタン国籍のアブドゥルカディル・マスハリポフと認定しました。彼は2016年12月15日、中央アナトリアのコンヤからイスタンブルに到着し、1月1日に襲撃を行いました。

 Hurriyet

最近の情報では、ウズベク人がつくっている、コンヤのISのアジトが、マスハリポフの兵站を支援していました。彼のコードネームは“エブ・ムハムメド・ホラサニ”です。イスタンブル警察は新年の祝祭をねらったテロを防ぐために、多くの警官を配備していましたが、襲撃犯はクラブ「レイナ」から逃げ出し、いまも逃走をつづけています。

襲撃犯は1人以上だったと言う目撃者もいますが、マスハリポフは39人を殺し、65人を負傷させたとして告発されています。イスタンブルの検察が行った調査によると、マスハリポフは2011年以来、トルコに住んでいたことがわかったと、ミリエット紙は報じています。警察はいま、この戦闘員の、トルコでの過去の活動の調査を始めました。

また、マスハリポフの新たなビデオ映像が「レイナ」から出てきました。映像によると、マスハリポフはナイトクラブを出る直前に、負傷者の間に隠れていた1人の人物に蹴られています。1月1日午前1時20分に撮られたこの映像では、人々はパニックになって走りまわり、負傷者を安全な場所に引きずろうとしています。戦闘員が発砲をつづけているので、テーブルの下に隠れようとしている人々もいます。

午前1時26分頃、コートとベレー帽を身につけていたマスハリポフは、シャツを脱ぎ、べつのシャツとズボンを身に着けました。午前1時27分、彼は隠れていた人物に蹴られました。蹴られた後、マスハリポフが持っていた手榴弾が爆発し、彼の手を傷つけました。

ビデオ映像によると、マスハリポフは爆発のため、10~15秒間、床に倒れ、動きませんでしたが、すぐに意識を取り戻し、ナイトクラブを出て行きました。


シリアのアルバブで、トルコ兵1人、IS戦闘員37人が死亡

「ユーフラテスの盾」作戦の一環として、シリアのアルバブで起こった戦闘で、トルコ兵士1人が死亡し、トルコの空爆でイスラム国(IS)戦闘員37人が死亡したと、1月7日、トルコ軍が声明を出しました。

Hurriyet

戦死したトルコ軍軍曹は、トルコが支援する自由シリア軍(FSA)とともに、ISからアルバブを奪取する作戦に従事していました。声明はまた、トルコのジェット機が35の標的を空爆し、ISの上位の3人を含む37人のISの戦闘員37人が死亡しました。

トルコは、ISとシリア・クルド民主連合党(PYD)を含むテロリスト組織を掃討するため、2016年8月24日、「ユーフラテスの盾」作戦を開始しました。負傷したFSAの戦闘員1人が、トルコ・キリスの病院で治療を受けています。


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「レイナ」の襲撃者は襲撃後、駐車場に隠れて警察の動きを見ていた

2017年01月06日 | 国内
1月8日 39人を殺害し、65人を負傷させたクラブ「レイナ」襲撃犯は、襲撃後、クラブの近くの駐車場に隠れて、警察の動きを見ていたことを、ビデオが明らかにしました。

 Hurriyet

“襲撃者”のセルフィーのビデオが発表された後、「レイナ」から徒歩5,6分の距離にある駐車場の係員が、あの夜、襲撃者を見たことをおぼえていると言いました。係員は駐車場にいる男を見て、塀に小便をしていると思い、「出て行きな」と男に言ったそうです。


大雪のため、ボスフォラス海峡通行止め

1月7日、雪による濃霧のため、イスタンブルのボスフォラ海峡は船舶のを全面禁止すると、沿岸警備総局が発表しました。いつ開通になるかは発表されませんでした。

Hurriyet

冬の悪天候が空の便とフェリーの運行にも打撃を与えています。航空会社数社が、悪天候のため、イスタンブルのアタテュルク空港とサビハ・ギョクチェン空港からの出発便をキャンセルしました。高速フェリーと市内シーバスの会社IDOは、1月6日、市内の運行すべてをキャンセルしました。

各地の交通が悪天候の影響を受けています。高速道路TEMでは、少なくとも11台のトラックが転倒したため、多くの車が何マイルも後退しています。


ギリシャ正教徒たちが今年もイスタンブルでクリスマスを祝った

イスタンブルのフェネル・ギリシャ正教総主教座が、今年も、1月6日、独特のミサで、イエス・キリストの誕生と洗礼を祝いました。

Hurriyet
十字架をゲットした人には総主教様から金の十字架のネックレスが贈られます


総主教座の隣りにあるハギア・ヨルギ教会で行われた、バルトロメウ総主教主宰によるミサで、式典が始まりました。ギリシャのイオアンニス・アマナティディ副外相、キリアコス・ルカキス駐トルコ・ギリシャ大使、エヴァンゲリオス・セケリス駐イスタンブル・ギリシャ総領事も、4時間の式典に出席しました。

ミサの後は、伝統の“十字架投げ式”が、金角湾のフェネルの船着き場で行われました。式では総主教が大きな十字架を海中に投げ、信者の男たちが海中に飛び込んで、競って十字架を拾い上げます。今年は、式典に出席するためギリシャから来たスポーツ・トレイナーのニック・ソリスさんが、海中から十字架を拾い上げ、ヒーローになりました。

 Hurriyet
真冬の海に飛び込めるのは信仰のため? 英雄になりたいから?


今年の式典は、総主教座の内部も外部も厳重な警戒対策がとられました。十字架投げの間、海洋警察が金角湾の警備に当たり、参加者も警察の検問所を通って、船着き場に入りました。

多くの正教徒は1月6日をクリスマス・イヴとし、1月7日にクリスマスを祝います。世界中の正教徒の多くは、BC45年、ジュリアス・シーザーの治世につくられたユリウス暦を使っています。ユリウス暦は、1582年にローマ教皇グレゴリウスが改正したグレゴリウス暦より、13日遅れています。

・・・ナイトクラブのテロの直後に、正教徒たちは伝統どおりミサも十字架投げもやったのですね。


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イズミルで車爆発テロ。2人死亡

2017年01月06日 | 国内
1月7日 イズミル県裁判所近くで、5日、車爆発テロがあり、少なくとも2人が死んだと、イズミルのエロル・アイユルドゥス知事が発表しました。

 Hurriyet

知事は、犠牲者の1人は警官で、もう1人は裁判所の職員だと言い、7人が負傷し、2人のテロリストも死んだと付言しました。

死亡した警官フェトヒ・セキンさんは、車に爆弾が積まれていることを知らせ、さらに大きな被害を阻止しました。セキン警官はテロリストと戦闘になったと言い、警察は車を止め、捜索しました。戦闘でテロリスト戦闘員は死亡し、カラシニコフ2丁と手榴弾9個が押収されたと、知事は言っています。知事の発表では、現場近くで、もう1台の車が爆破されたそうです。初期調査では、この攻撃はクルド労働者党(PKK)によるものと思われると、知事は言いました。

「第3の戦闘員が逃走中かもしれない。警察は捜索作戦を行っている」と、ドーアンニュースは報じています。襲撃は午後4時頃、裁判所の検事・判事用入口の、警察の検問所近くで起こりました。多数の救急車が現場に駆けつけ、負傷者は病院に運ばれました。


「クラブ襲撃犯はおそらくウイグル人」政府発表

イスタンブル・オルタキョイのナイトクラブ「レイナ」を襲撃したイスラム国(IS)戦闘員は、おそらくウイグル人だと、トルコ政府が発表しました。

 Hurriyet

「テロリストはおそらくウイグル人だ。襲撃者の身元は、治安部隊は知っているが、まだ公表はできない」と、1月5日、ヴェイシ・カイナク副首相が言いました。「男は特別に訓練された戦闘員だと考えられる」

この襲撃関連で数人の容疑者が、5日、イスタンブルの郊外シリヴリで拘束されたと、警察の情報源がアナドル通信に語りました。イスタンブル警察の対テロ支部は、襲撃の関係者がこのエリアに潜伏しているという情報を得て、シリヴリの集合住宅で捜査作戦を行いました。

中国北西部の新疆ウイグル自治区出身者たちが、犯罪に助力し、教唆した容疑で拘束されました。匿名の情報源は容疑者の人数等は明かしませんでした。「レイナ」を襲撃し39人を殺害し69人を負傷させた戦闘員は、まだイスタンブルにいると思われ、大規模な犯人捜査が行われています。

治安部隊によると、襲撃者はイスタンブルの1軒の家に潜伏していると、イエニ・シャファク紙は、5日、報道しました。同紙によると、警察は疑わしい家を1軒1軒、捜索しているそうです。襲撃者がいかにして武器を手に入れ、イスタンブルに来たかが、次第に明らかになってきました。

容疑者は15日間、イスタンブルで攻撃の準備をしていました。新たに見つかった防犯カメラの映像によると、容疑者は、イスタンブルの“エミル”(首長)で、“ユスフ・ホジャ”というコードネームを使っていたイリヤス・ママシャリポヴと、2016年12月15日、コンヤのバス駅で会っていました。ミリエット紙によると、ママシャリポヴは拘束されたそうです。

容疑者は犯行当日、タクシーでオルタキョイに向かう前に、バックパックを背負い、スーツケースを持って、ゼイティンブルヌで身元不明の人物と会っていました。彼は攻撃に使った武器と弾薬をカヤシェヒルで受け取りました。

攻撃後、容疑者は4回タクシーを乗り換え、その夜はゼイティンブルヌのレストランに泊まりました。1月1日、10時頃、彼はレストランを出て、レストランの前で身元不明の人物と会いました。2人はしばらく歩き、車に乗って消えました。
襲撃者がセルフィーで、タクシムで撮ったビデオは、2016年12月28日に撮られたことがわかりました。


「テロリスト組織はわが国を分断できない」エルドアン大統領

「テロリスト組織が彼らの目標を達成することはできない」と、エルドアン大統領が、トルコでのテロ続発に触れて言いました。

Hurriyet

「彼らはその野望を達成することはできない。わが国民を互いに戦わせるようなことはできない」と、エルドアン大統領は、1月5日、アンカラのケチオレン地下鉄線の開通式で、群衆に語りました。「テロリスト・グループは束になってトルコを攻撃している」

「わが国民を互いに反目させることはできない。テロリストがわが国民の団結を破壊することはできない。彼らがわれわれの団結と結束を傷つけることはできない」と、エルドアン大統領はくり返しました。

エルドアン大統領は、オルタキョイのテロ事件以後、保守的な人々の間から出てきた、ライフスタイルに関する議論にも触れました。新年を祝うのは外国人やキリスト教徒の習慣だという理由で、これを機会に新年の祝賀を止めようという声が、保守的な人々から上がっているそうです。

これに対し、大統領は、ライフスタイルに関する議論で、社会に対立を生んではならないと言いました。「わが国民は民族や信仰と関わりなく、わが国民です。わが国の社会を分断しようとするテロリストの手に乗ってはならない」

大統領はまた、ケチオレンの人々が持っている“団結と結束と連帯”の精神は、分裂を生み出し、挑発によって衝突を扇動する人々に対抗する最高のモデルだと言いました。「私はケチオレンの人々が、スンニーか、アレヴィーか、また他の宗派かということで、他人を見ないことを知っています。すべての人がここに住む人間であり、トルコ共和国の市民です。みなが友人であり、隣人であり、きょうだいです。ひとつの国家、ひとつの国旗に、最も力強く応えるのが、ケチオレンの人々です」

エルドアン大統領は、ひとつの国旗の下に築かれた統一国家という概念が、トルコを確立させるのだと強く言いました。


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「レイナ」を襲撃したIS戦闘員は2人だったかも・・・

2017年01月05日 | 国際
1月6日 新しい報道によると、ナイトクラブ「レイナ」を襲ったイスラム国(IS)戦闘員は、2人だったかもしれません。

 Hurriyet

襲撃の寫眞を分析した専門家は、ナイトクラブを襲った戦闘員は、2人だったのかもしれないと考えていると、1月5日、カラル紙が報じました。イスタンブルのゼイティンブルヌの防犯カメラには、元旦早朝の襲撃のためにオルタキョイに向かうIS戦闘員の姿が映されていますが、映像の襲撃者は,ポケットのついた、明るい色のズボンをはいています。ところが、ナイトクラブに入っていく襲撃者は、暗い色の、ぴったりしたズボンをはいています。

「レイナ」の内部で撮られた第3の写真では、襲撃者はまた、ポケットのついた、明るい色のズボンをはいています。現場から逃げる襲撃者を捉えた防犯カメラの映像では、暗い色の、ぴったりしたズボンをはいています。襲撃者は逃げるために、生存者に見られない場所で衣服を着替えたと言われていましたが、当局は、4カットの寫眞から、もう1人の戦闘員が攻撃に関わったかもしれないと考えています。

第2の戦闘員は、攻撃が始まる前から、「レイナ」の内部にいたかもしれない、また、戦闘員の1人は海に飛び込んで逃げ、もう1人が扉から歩いて逃げたのかもしれないと、当局は考えています。

また、テロ攻撃の前に、攻撃者はタクシムでセルフィーで撮ったビデオを、ISのテレビグラムのチャンネルにシェアしていますが、警察が第2の攻撃者が関わっていたかもしれないと発表すると、組織のチャンネルからこのビデオは消されました。ビデオは、捜査当局に、テロ攻撃は1人の戦闘員が行ったと思わせ、捜査を攪乱するために撮られたのかもしれないと、カラル紙は報じています。

セルフィーで撮られた人物は、攻撃後シリアに逃げています。2人の実行犯戦闘員は、まだトルコ国内にいると同紙は言っています。テロ攻撃後、出てきた目撃者の証言によると、クラブ内に少なくとも2人以上の攻撃者がいたそうです。負傷もしなかった生存者シネム・ウヤヌクさんは、2人の人物がクラブ内で発砲していたと言っています。もう1人の目撃者も「客たちは十字砲火を浴びた。彼らは客たちの頭部を撃って殺した」と言っています。「レイナ」のウエイターの1人も、2人が発砲していたと言いました。


大統領の要請で、12月、金の輸入が急上昇した

 トルコの金の輸入が、12月、36.7トンに跳ね上がり、2015年同月に比して、688%の増加を記録したと、ロイターが報じました。

 Hurriyet

外国為替の購入をトルコリラか金に変えるようにとエルドアン大統領が市民へ呼びかけた後、12月、トルコの金の需要は急上昇しました。これまでの最高額は2014年11月の47.1トンです。

2016年中のトルコの金の輸入は、前年に比して118%増え、106.19トンに達したと、証券取引所の「貴金属・貴石市場」のデータが示しています。2015年12月、トルコが輸入した金は4.65トンでした。


ナイトクラブ襲撃犯に“似た”男が群衆になぐられた

1月4日、午後1時頃、イスタンブルのペンディク地区で、クラブ「レイナ」を襲撃したイスラム国(IS)の戦闘員に似た男(頭文字K.M.)が群衆にリンチされそうになりました。現在、警察はテロ事件の犯人を捕らえるため,大がかりな捜査を行っています。

 Hurriyet

ペンディク地区カイナルジャで、人々は、歩いていたテュルクメニスタン人のK.M.を見て、「レイナ」の襲撃犯に似ている!と気づきました。人々があとをつけているのに気づいたK.M.が走り出したので、人々は彼を捕まえてボコボコにしました。

人々はその後、警察に連絡し、K.M.は警察に連行されました。彼がレイナの襲撃犯ではないことはすぐにわかりましたが、K.M.のビザの期限が切れていることを知った警察は、彼を「外国人国外追放局」に送りました。彼を殴った人々は、「レイナ襲撃犯だと思ったから」と、ドーアンニュースに語りました。


ベシクタシュのテロの犠牲者が46人になった

2016年12月10日、ベシクタシュのヴォダフォン・アリーナ・スタジアムの外で起こった爆発テロの死者総数が、機動隊員のムアムメル・ナジャクオールさん(23)がなくなって、46人になりました。

 Hurriyet

ナジャクオールさんは爆発テロで重傷を負い、イスタンブルのベズミ・アレム研究・訓練病院の集中治療室で治療を受けていましたが、1月4日、亡くなりました。

12月10日、ベシクタシュとブルサスポルのサッカー試合が終わった後、爆弾を積んだ車が機動隊の列に突っ込みました。その45秒後、スタジアムの真向いのマチカ公園で、べつの自爆者が自爆しました。2回の爆発で、37人の警官と7人の市民がなくなりました。

クルド労働者党(PKK)の分派である「クルド自由の鷹」(TAK)が犯行声明を出しました。このテロ事件の負傷者は150人になります。ウエブサイトの声明で、TAKは、PKKの指導者アブドゥラ・オジャランの収監をつづけていることを含め、多くの理由からこの攻撃を行ったと言っています。

このテロ攻撃後、トルコ国会の3政党が声明を出し、テロに対する共同のスタンスを表明するコンセンサスを発表しました。


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ナイトクラブ・テロ関連のIS容疑者27人がイズミルで拘束された

2017年01月05日 | 国内
1月5日 1日のナイトクラブ「レイナ」のテロ事件関連容疑で1月4日、イズミルで、27人が拘束されたと、ドーアンニュースが報じました。
 
 Hurriyet

警察は今回のテロ事件関連で、3家族を含む27人を拘束しました。警察は最初、実行犯が短期間、住んでいたコンヤで手入れを行い、3人の外国人容疑者を拘束しましたが、彼らの住居からはなにも発見されませんでした。今回の実行犯は「レイナ」襲撃後、イズミルに逃げたと思われます。


クラブ「レイナ」襲撃犯の身元が確認された

1月1日、イスタンブルのナイトクラブ「レイナ」で39人を殺害したIS戦闘員の身元が確認されたと、1月4日、メヴリュト・チャヴシュオール外相が発表しました。警察は戦闘員拘束のための捜索をつづけています。

 Hurriyet

外相は実行犯の名前は明かしませんでした。「男を捕らえる努力はつづいている。襲撃はプロのように、綿密に計画されていた」と外相は言いました。

ナイトクラブ襲撃関連で、1月4日朝、IS容疑者40人が、イズミル県で拘束されたと、ドーアンニュースが報じました。拘束されたのは、子供20人、男性9人、女性11人で、ほとんどは東部テュルケスタン、ダジェスタン、キルギスタンから来た人々です。

新たな情報によると、実行犯は11月20日、家族とともにイスタンブルに到着し、アンカラに行き、11月22日、コンヤに着きました。男はジハーディスト・グループの“エミル”(首長)の歓迎を受け、コンヤで家を借りました。男が3か月分の家賃を現金で払った家の寫眞も発表されました。

彼はコンヤにいる間、3家族と接触していました。警察はそれら家族の家も手入れしましたが、テロ事件後すぐに、だれもいなくなっていたと、Hurriyet 紙が報じました。コンヤの不動産業者2人も拘束されました。12月15日、アクシャム紙は「コンヤのバス駅にいる男の寫眞が見つかった。彼はコンヤに住みはじめてから、3,4回コンヤを出ている」と報じています。

男は、イスタンブルの首長、ユスフ・ホジャをたよって、12月29日、イスタンブルのゼイティンブルヌのアジトに到着しました。イエニ・シャファク紙によると、実行犯は、ジハーディスト・グループ内では、“アブー・ムハムメド・ホラサニ”というコードネームを使っていました。

ポスタル紙によると、実行犯は、犠牲者の血をからだに塗って、負傷しているように見せかけ、現場から逃げおうせたということです。また、現場の写真を見ると、彼は左手をポケットに入れていますが、治安部隊に爆弾を持っているように見せていたようです。

男が逃亡する際、タクシー運転手の電話を借りたことは報じられていますが、調査によると、彼は、襲撃命令を出したユスフ・ホジャに連絡していたと、サバー紙は報じています。また、男は金をまったく持っていなかったので、逃走に使ったタクシーを降り、他のタクシーを拾ってゼイティンブルヌへ帰りました。ゼイティンブルヌで彼は、ウイグル料理レストランの従業員に、運転手にタクシー代を払うようたのみました。

警察はテロ事件調査の一環として、ウイグル人7人を拘束しました。レストランのオーナー、シェムセッティン・ドゥルスンさんはテロとのかかわりを否定しています。ソズジュ紙によると、実行犯は、最初タクシムを標的にしようと周辺を偵察しましたが、警備が厳重なので、標的を変更したようです。

男はまた、偽造パスポートを使って、2014年と2015年の2回、トルコに入国していたと警察が確認しました。また、「レイナ」襲撃の弾道調査報告によると、実行犯が襲撃に使った銃は未使用のものだったそうです。


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イスタンブルのクラブのテロ実行犯はウズベクかキルギスの出身か

2017年01月03日 | 国際
1月3日 警察の報告によると、イスタンブルの有名なクラブ「レイナ」を襲ったイスラム国(IS)の戦闘員は、ウズベキスタンかキルギスタンから来たと思われます。

 Hurriyet

警察は、39人を殺し、65人を負傷させた「レイナ」の襲撃犯の写真を発表しました。

新たな情報では、クラブ「レイナ」を攻撃した男は、シリアからトルコに入ったそうです。彼がトルコに入国した日にちはわかりませんが、2016年11月22日には、彼は中央アナトリアのコンヤ県にいました。男は妻と2人の子供とともにコンヤに来て、家を借りました。いま、彼の家族も警察に拘束されています。彼の妻は取り調べで、「私はテレビで事件を知った。夫がISの戦闘員だとは知らなかった。単なるシンパだと思っていた」と言いました。

ISの戦闘員がナイトクラブを襲った詳細が次第に明らかになってきました。防犯カメラの映像では、実行犯は午後11時58分、バックパックを背負い、タバコを吸いながら、イスタンブルのゼイティンブルヌ地区からタクシーで、クラブのあるオルタキョイへ向かいました。クラブの近くは交通渋滞がひどかったので、男はタクシーを降り、「レイナ」まで4分歩きました。最初の寫眞は午前1時20分に撮られています。男は発砲しながら、「レイナ」に向かって歩きました。

ハベルテュルク紙によると、その後、男は警備員たちに発砲しました。警備員は武装していませんでした。第2の寫眞は「レイナ」の内部で、午前1時23分に撮られています。この写真は明らかに攻撃後で、立っている人は1人もいません。

寫眞を調べた専門家によると、男は、プロとして武器の扱いの訓練を受けているように見えます。男はグリーンのシャツを着て、黒っぽいズボンに、黒いブーツをはき、銃身の長い銃で人々の上半身を撃ちました。より速く撃つために、男は銃にチャージャーを取り付けていたと思われます。男は人々を撃ちながら、スタン・グレネード(閃光発音筒)を使っていました。

男は「レイナ」に入ると、まず2階に行き、客たちに発砲しはじめ、階下に降りて撃ちつづけました。目撃者によると、男は、倒れている人の頭部を撃っていました。撃たれた弾丸180発のうちの120発はDJ室で見つかりました。

その後、男はクラブのキッチンに入り、約13分間キッチン内にいて、服を着替え、コートを脱ぎ捨て、パニックがつづいている現場から逃げました。男は、従業員しか知らない秘密の扉を含めて「レイナ」のすべての出入り口を知っていたと推定されます。彼はまた、警備員が武器を持っていないことも、クラブ内は銃の携帯が禁止されていることも知っていたと思われます。

襲撃後、男はらくらくと逃走しました。当局は内部に協力者がいたかも調べています。男はタクシーを拾い、運転手に金がないと言って、クルチェシュメの近くで降りました。男はタクシー運転手に「電話をかけたいから、携帯電話を使わせてくれないか」とたのみ、運転手は電話を貸しました。運転手も、損後、警察で証言を求められましたが、男はトルコ語を話していたそうです。

警察の調査によると、男が「レイナ」に脱ぎ捨てたコートのポケットに500リラがありました。警察は、男がコートを2枚着てクラブに入ってきたのかどうかを調べています。

テロ攻撃後、ゼイティンブルヌに住むウズベキスタン人とキルギスタン人が何人か拘束され、警察は8か所の住居の手入れを行いました。警察はまた、3日、イスタンブルのバシャクシェヒルで手入れを行い、2人の外国籍者をアタテュルク空港で拘束しました。

タクシムの防犯カメラに実行犯の男が撮られていました。男はそのエリアを偵察しているか、ISにメッセージを送信しているようでした。ラーレリの防犯カメラも、換金所にいる男を捉えていました。

犠牲者たちの検死作業は終わりました。犠牲者の多くは胸、頭、背中を撃たれていました。ボスフォラス海峡に飛び込んだ人はみな助かりました。


クラブ「レイナ」の犠牲者はほとんどが中東のツーリストだった

1月1日のイスタンブルのクラブ「レイナ」テロ事件の外国人犠牲者のほとんどは、レバノン、ヨルダン、イスラエル、サウジアラビア、イラクなど中東諸国の市民と認定されました。

 Hurriyet
テロの犠牲になった若い命


トルコ当局はテロでなくなった38人の身元を確認しました、犠牲者のうちの25人は外国籍で、13人はトルコ国籍でした。まだ身元確認されていない犠牲者が1人います。外国人犠牲者は、サウジアラビア人7人、レバノン人3人、チュニジア人2人、インド人2人、モロッコ人2人、ヨルダン人2人、イラク人2人、クエート人1人、カナダ人1人、イスラエル人1人、シリア人1人、ロシア人1人、トルコとベルギーの2重国籍者1人です。

犠牲者の25人が男性で、14人が女性でした。身元が確認された犠牲者の親族たちが、1月2日、イスタンブルの法医学研究所を訪れ、愛する者の遺体を引き取りました。犠牲者の中の2人のレバノン人、リタ・シャミさんとエリアス・ワルディニさんは友人同士でした。26歳のシャミさんは、レバノンのビジネスマン、エリアス・シャミさんの娘、25歳のワルディニさんはフィットネスのインストラクターでした。

レバノンのエステファン・ドゥエイヒ議員の娘ブシュラ・ドゥエイヒさんも2人の友人で、負傷しましたが、命は取りとめました。もう1人のレバノン人、35歳のハイカル・ムサリエムさんも今回のテロで亡くなりました。ムサリエムさんと結婚したばかりのレバノン人、ミレイレ・クウリさんは負傷しました。レバノン外務省は市民の死亡の情報を受けて代表をイスタンブルに送りました。犠牲者の家族たちも、レバノンから来ました。

なくなった2人のイラク人は、ビュレント・シルヴァン・オスマンさんと、大学生のジャラル・アッバスさんでした。39歳のオスマンさんは薬剤師で、2人の子の父親だと、親族が言いました。休暇でイスタンブルに来ていて、テロでなくなったアブドゥラ・アメド・アッボロスさん(32)はサウジアラビア市民です。「私たちは2日間病院を歩いて彼を探し、最後に法医研に行って、死体置き場で彼を確認しました」と、アッボロスさんの友人が言いました。

アラブ系イスラエル人のレアンネ・ナセルさん(19)も、若い犠牲者の1人です。イスラエル外務省は市民の1人がテロで死亡したと発表し、ナセルさんの身元を確認しました。

警官とドライバーが最初の犠牲者
テロで殺害された最初の犠牲者の1人は、旅行社の社員で、2人の子供の父親のアイハン・アルクさんです。彼は「レイナ」の入口で、警官のブラク・ユルドゥスさんといっしょに頭を撃たれました。彼は外国人旅行者をクラブで降ろしたところでした。イスタンブルで行われた葬儀には、アルクさんの妻と、息子のウラシュ君とアヌル君が出席しました。子供たちは葬儀の間中、父親の棺を抱いていました。

「アルクさんは私たちの親戚で、幼なじみです。彼が客をクラブで降ろしたとき、テロ事件が起こったのです。彼は客を待ちながら、クラブの入口で、警官と雑談していました」と、アルクさんの親族は言いました。アルクさんといっしょに殺された警官のユルドゥスさんは、南部メルシン県の出身で、1年半前、警察学校を卒業しました。

「レイナ」のウエイター、ケナン・クトゥルクさん(35)の葬儀は、故郷シワスで行われ、未亡人になった妻のドゥイグ・クトゥルクさんが出席しました。彼は妻と2人の娘、1歳半のドゥルちゃんと5歳のザヒデちゃんを残して逝きました。トルコとベルギーの2重国籍のメフメト・ケリム・アクユルさん(23)の父親は息子の遺体を引き取りに来て、「息子は新年の休暇を過ごしにイスタンブルに来たのです」と言いました。

目撃者の証言
目撃者の1人、メティンGさんは、クラブの入口でXレイを待っているとき、銃声を聞きました。彼はホールに入る前に、テロリストと目が合ったと言いました。「私はバーの近くで、人々が倒れるのを見ました。男がバーの近くに人々を集めていましたが、50人ほどが戻ってきて、トイレに逃げ込みました。私もトイレに逃げ込み、ぎっしりになったとき、ロックしました。私たちは1時間くらい、トイレにいました」

機動隊が現場に着いて、人々は連れ出されたと、彼は言いました。「私は床で死んでいる大勢の若い人たちを見ました。負傷者たちはショックで口がきけなくなっていました」


「私たちは1時間クラブ内に隠れていた」クラブのDJ

IS戦闘員に襲われたイスタンブル・オルタキョイのナイトクラブのディスク・ジョッキー、アブドゥラ・ジャン・サラチさんが、「私たちは、襲撃中、DJキャビンの中に1時間、隠れていた」と、恐ろしい体験を語りました。

 Hurriyet
恐怖の体験を語るクラブDJのサラチさん


「私と友人のウフクはDJキャビンにいました。午前1時17分でした。クラブの中には700人か800人いました。人々は踊り、浮かれていました。その時、銃声が聞こえました。私たちはパニックになりました。私は空砲かもしれないと思いました。その後、銃撃が始まりました」とサラチさんはHurriyet 紙に語りました。

「DJキャビンの下に、とても狭いスペースがありました。ウフクが私を引っ張り、2人でそこに隠れました。ウフクは私がしゃべらないように、私の口をふさぎました」とサラチさんは言いました。「襲撃者はクラブ内で休みなく発砲しつづけていましたが、DJキャビンの真ん前に移動してきました」

「男の足音と息づかいが聞こえました。男はまた発砲しはじめました。からの薬莢が家具に当たりました。薬莢は私たちが隠れているところにも転がってきました。男は4回チャージャーを変えました。私は“神よ、これが最後でありますように”と祈りました。銃撃は終わりません。男は1人でした。ほかに襲撃者はいなかった」と、サラチさん。

銃声が止むとすぐ、男は服を着替えたと、サラチさんは言いました。「人々のうめき声と、助けを求める声が聞こえました。私はひどく脅えていました。男がアラビア語でアッラー・アクバル(神は偉大なり)と、3回言うのを聞きました」

「5分か10分後、警察が来ました。警察は男に“降伏しろ”と言いましたが、男は答えませんでした。また、2,3発の銃声が聞こえました。“ウフク、まだ終わっていないぞ。おれたち、ここで死ぬのかもね”と、私は言いました。15分後、“けが人は床に寝なさい”という警察の声を聞きました。私とウフクは警察の特殊部隊に助けを求めました。人々がいっぱいで、そこらじゅう血だらけでした。負傷者、死者、苦しんでいる人たちがいました」

ナイトクラブの従業員たちは、大晦日の夜、テロがあるのではないかと心配していたと、サラチさんは言いました。「私はこの職場に来る途中、3回も警察のチェックを受け、警察官を15人も見かけました。市内は厳重に警戒されていたのです。テロリストが入場できたことが信じられません。警察の到着は遅かった。警察署はクラブから近いのに。男はどうやって中に入り、どうやって逃げたのだろう」

このテロでなくなったレバノン人のリタ・チャミさんは、イスタンブルを訪れる前、Facebook にテロの可能性について書いていました。「トルコで楽しめるといいけど。最悪のシナリオは爆発で死んで、ママと会えること」チャミさんの母親は4か月前に亡くなっていました。


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[テロに対して安全な国はない」ユルドゥルム首相

2017年01月02日 | 国内
1月2日 イスタンブルのナイトクラブのテロ事件後の1月1日、ユルドゥルム首相は、テロに対して安全な国はないと言いました。

 Hurriyet

「今日、ここで起こったテロが、明日は世界のどこかの国で起こるかもしれないと考えなければなりません。保証はない。テロに対して安全な国はありません。“わが国ではテロは起こらない”などと、だれも言えません。数日前、ドイツで起こり、イラクでも起こりました」と、ユルドゥルム首相は負傷者を見舞った後、病院の前で記者団に言いました。

「ひとつ言えるのは、テロには宗教はないということです。テロは、どこでもテロです。テロとの戦いでダブル・スタンダードは、戦いを成功させません」と首相は付言しました。「テロは“人類共通の問題”であり、テロは国民の団結と友愛を損ねるのが目的です」

「すべての国がこのような事件に遭遇するかもしれません。しかし、私は市民の皆さんに言います。“テロは私たちをくじけさせることはできない。私たちの団結と友愛を破壊することはできない”。テロは私たちを脅えさせることはできない。私たちは脅えません」と首相は言いました。


「私は倒れた人の上を歩いて逃げた」クラブ・テロ事件の生存者

新年を祝っていてテロ攻撃を受けた、イスタンブルのナイトクラブの客の1人が、現場のカオスとパニックを語りました。テロリストは1人でも多く殺そうとしていました。

 Hurriyet

ボスフォラス海峡沿いの高級ナイトクラブで、客たちが新年を祝っているところに、テロリストがなだれ込み、39人を射殺しました。

プロのサッカー選手セファ・ボイダシュさんは、銃撃音を聞いて数人が気絶したと、AFPに語りました。人々は必死でクラブから逃げだそうとしました。ボイダシュさんは「友人2人とクラブに入って10分後くらいに銃声が聞こえた。友人の1人はショックで倒れた」と言いました。

「ぼくたちは、埃と煙がたちこめたドアのそばに、うずくまっていました。銃声が鳴り響き、その音を聞いて、女の子たちはバタバタ倒れました。人々はテロリストから逃れようと、押し合いへし合いしました」と彼はAFPに言いました。「35人か40人死んだというが、多分もっとだろう。なにしろ、ぼくは人の上を歩いて逃げたんだから」

彼はイスタンブルのクラブ・ベイレルベイで、フルタイムで競技しています。テロリストはなにか言っていたが、人々の叫び声にかき消されたと、彼は言いました。「人々はガンマンより100倍も大きな声で叫び声をあげていたから」

攻撃が終わり、救急車と警察が、ボスフォラス沿いのクラブの前に集まってきても、パーティ用の衣装を着た生存者たちはまだ呆然としていました。「ぼくたちは今日、ここへ楽しみに来たのに、すべては突然カオスと化し、恐怖の夜になってしまった」と、イタリア人ツーリストのマクシミリアンさんが言いました。

クラブの中で脅えている人々の親族や友人たちが、冬の寒さの中、重装備の警察が張った非常線にそって列をつくっていました。「私の妹が中にいるんです」と1人の女性が言いました。「妹から電話があったんです。妹はクラブの中にいて、銃声も聞こえました。まだ妹の顔を見ていません」

外に立っていたもう1人の女性は、「兄が中にいるんです。私はニュースで知りました。おかげさまで、彼は無事です。兄が出てくるのを待っているんです」と言いました。彼女は家族に電話して、安心させていました。「泣かないでよ。彼はすぐ出てくるから」


イスタンブル・テロ犠牲者35人の身元確認。24人は外国人だった

イスタンブルのナイトクラブのテロ犠牲者の35人の身元が確認されました。24人は外国人で11人はトルコ人でした。イスタンブルの有名なナイトクラブ「レイナ」でテロ事件が起こりました。テロリストはクラブの入口で警官1人、市民1人を殺して、クラブ内に入り、人々を射殺しました。

 Hurriyet

外国人犠牲者はサウジアラビア人7人、インド人2人、カナダ人1人、シリア人1人、イスラエル人1人、チュニジア人2人、イラク人4人、レバノン人1人、ベルギー人1人でした。ペトラ・ニュースによると、チュニジア外務省はFacebook で「2人のチュニジア人が死んだ。ビジネスマンとその妻だった」と書いています。

イスラエルから友人3人と遊びに来ていたイスラエル女性が死んだと、イスラエル外務省は言っています。ベルギー外務省は、ベルギーとトルコの2重国籍者が死んだことを確認し、フランスは市民3人が負傷したと言っています。


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