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イスタンブルのクラブのテロ実行犯はウズベクかキルギスの出身か

2017年01月03日 | 国際
1月3日 警察の報告によると、イスタンブルの有名なクラブ「レイナ」を襲ったイスラム国(IS)の戦闘員は、ウズベキスタンかキルギスタンから来たと思われます。

 Hurriyet

警察は、39人を殺し、65人を負傷させた「レイナ」の襲撃犯の写真を発表しました。

新たな情報では、クラブ「レイナ」を攻撃した男は、シリアからトルコに入ったそうです。彼がトルコに入国した日にちはわかりませんが、2016年11月22日には、彼は中央アナトリアのコンヤ県にいました。男は妻と2人の子供とともにコンヤに来て、家を借りました。いま、彼の家族も警察に拘束されています。彼の妻は取り調べで、「私はテレビで事件を知った。夫がISの戦闘員だとは知らなかった。単なるシンパだと思っていた」と言いました。

ISの戦闘員がナイトクラブを襲った詳細が次第に明らかになってきました。防犯カメラの映像では、実行犯は午後11時58分、バックパックを背負い、タバコを吸いながら、イスタンブルのゼイティンブルヌ地区からタクシーで、クラブのあるオルタキョイへ向かいました。クラブの近くは交通渋滞がひどかったので、男はタクシーを降り、「レイナ」まで4分歩きました。最初の寫眞は午前1時20分に撮られています。男は発砲しながら、「レイナ」に向かって歩きました。

ハベルテュルク紙によると、その後、男は警備員たちに発砲しました。警備員は武装していませんでした。第2の寫眞は「レイナ」の内部で、午前1時23分に撮られています。この写真は明らかに攻撃後で、立っている人は1人もいません。

寫眞を調べた専門家によると、男は、プロとして武器の扱いの訓練を受けているように見えます。男はグリーンのシャツを着て、黒っぽいズボンに、黒いブーツをはき、銃身の長い銃で人々の上半身を撃ちました。より速く撃つために、男は銃にチャージャーを取り付けていたと思われます。男は人々を撃ちながら、スタン・グレネード(閃光発音筒)を使っていました。

男は「レイナ」に入ると、まず2階に行き、客たちに発砲しはじめ、階下に降りて撃ちつづけました。目撃者によると、男は、倒れている人の頭部を撃っていました。撃たれた弾丸180発のうちの120発はDJ室で見つかりました。

その後、男はクラブのキッチンに入り、約13分間キッチン内にいて、服を着替え、コートを脱ぎ捨て、パニックがつづいている現場から逃げました。男は、従業員しか知らない秘密の扉を含めて「レイナ」のすべての出入り口を知っていたと推定されます。彼はまた、警備員が武器を持っていないことも、クラブ内は銃の携帯が禁止されていることも知っていたと思われます。

襲撃後、男はらくらくと逃走しました。当局は内部に協力者がいたかも調べています。男はタクシーを拾い、運転手に金がないと言って、クルチェシュメの近くで降りました。男はタクシー運転手に「電話をかけたいから、携帯電話を使わせてくれないか」とたのみ、運転手は電話を貸しました。運転手も、損後、警察で証言を求められましたが、男はトルコ語を話していたそうです。

警察の調査によると、男が「レイナ」に脱ぎ捨てたコートのポケットに500リラがありました。警察は、男がコートを2枚着てクラブに入ってきたのかどうかを調べています。

テロ攻撃後、ゼイティンブルヌに住むウズベキスタン人とキルギスタン人が何人か拘束され、警察は8か所の住居の手入れを行いました。警察はまた、3日、イスタンブルのバシャクシェヒルで手入れを行い、2人の外国籍者をアタテュルク空港で拘束しました。

タクシムの防犯カメラに実行犯の男が撮られていました。男はそのエリアを偵察しているか、ISにメッセージを送信しているようでした。ラーレリの防犯カメラも、換金所にいる男を捉えていました。

犠牲者たちの検死作業は終わりました。犠牲者の多くは胸、頭、背中を撃たれていました。ボスフォラス海峡に飛び込んだ人はみな助かりました。


クラブ「レイナ」の犠牲者はほとんどが中東のツーリストだった

1月1日のイスタンブルのクラブ「レイナ」テロ事件の外国人犠牲者のほとんどは、レバノン、ヨルダン、イスラエル、サウジアラビア、イラクなど中東諸国の市民と認定されました。

 Hurriyet
テロの犠牲になった若い命


トルコ当局はテロでなくなった38人の身元を確認しました、犠牲者のうちの25人は外国籍で、13人はトルコ国籍でした。まだ身元確認されていない犠牲者が1人います。外国人犠牲者は、サウジアラビア人7人、レバノン人3人、チュニジア人2人、インド人2人、モロッコ人2人、ヨルダン人2人、イラク人2人、クエート人1人、カナダ人1人、イスラエル人1人、シリア人1人、ロシア人1人、トルコとベルギーの2重国籍者1人です。

犠牲者の25人が男性で、14人が女性でした。身元が確認された犠牲者の親族たちが、1月2日、イスタンブルの法医学研究所を訪れ、愛する者の遺体を引き取りました。犠牲者の中の2人のレバノン人、リタ・シャミさんとエリアス・ワルディニさんは友人同士でした。26歳のシャミさんは、レバノンのビジネスマン、エリアス・シャミさんの娘、25歳のワルディニさんはフィットネスのインストラクターでした。

レバノンのエステファン・ドゥエイヒ議員の娘ブシュラ・ドゥエイヒさんも2人の友人で、負傷しましたが、命は取りとめました。もう1人のレバノン人、35歳のハイカル・ムサリエムさんも今回のテロで亡くなりました。ムサリエムさんと結婚したばかりのレバノン人、ミレイレ・クウリさんは負傷しました。レバノン外務省は市民の死亡の情報を受けて代表をイスタンブルに送りました。犠牲者の家族たちも、レバノンから来ました。

なくなった2人のイラク人は、ビュレント・シルヴァン・オスマンさんと、大学生のジャラル・アッバスさんでした。39歳のオスマンさんは薬剤師で、2人の子の父親だと、親族が言いました。休暇でイスタンブルに来ていて、テロでなくなったアブドゥラ・アメド・アッボロスさん(32)はサウジアラビア市民です。「私たちは2日間病院を歩いて彼を探し、最後に法医研に行って、死体置き場で彼を確認しました」と、アッボロスさんの友人が言いました。

アラブ系イスラエル人のレアンネ・ナセルさん(19)も、若い犠牲者の1人です。イスラエル外務省は市民の1人がテロで死亡したと発表し、ナセルさんの身元を確認しました。

警官とドライバーが最初の犠牲者
テロで殺害された最初の犠牲者の1人は、旅行社の社員で、2人の子供の父親のアイハン・アルクさんです。彼は「レイナ」の入口で、警官のブラク・ユルドゥスさんといっしょに頭を撃たれました。彼は外国人旅行者をクラブで降ろしたところでした。イスタンブルで行われた葬儀には、アルクさんの妻と、息子のウラシュ君とアヌル君が出席しました。子供たちは葬儀の間中、父親の棺を抱いていました。

「アルクさんは私たちの親戚で、幼なじみです。彼が客をクラブで降ろしたとき、テロ事件が起こったのです。彼は客を待ちながら、クラブの入口で、警官と雑談していました」と、アルクさんの親族は言いました。アルクさんといっしょに殺された警官のユルドゥスさんは、南部メルシン県の出身で、1年半前、警察学校を卒業しました。

「レイナ」のウエイター、ケナン・クトゥルクさん(35)の葬儀は、故郷シワスで行われ、未亡人になった妻のドゥイグ・クトゥルクさんが出席しました。彼は妻と2人の娘、1歳半のドゥルちゃんと5歳のザヒデちゃんを残して逝きました。トルコとベルギーの2重国籍のメフメト・ケリム・アクユルさん(23)の父親は息子の遺体を引き取りに来て、「息子は新年の休暇を過ごしにイスタンブルに来たのです」と言いました。

目撃者の証言
目撃者の1人、メティンGさんは、クラブの入口でXレイを待っているとき、銃声を聞きました。彼はホールに入る前に、テロリストと目が合ったと言いました。「私はバーの近くで、人々が倒れるのを見ました。男がバーの近くに人々を集めていましたが、50人ほどが戻ってきて、トイレに逃げ込みました。私もトイレに逃げ込み、ぎっしりになったとき、ロックしました。私たちは1時間くらい、トイレにいました」

機動隊が現場に着いて、人々は連れ出されたと、彼は言いました。「私は床で死んでいる大勢の若い人たちを見ました。負傷者たちはショックで口がきけなくなっていました」


「私たちは1時間クラブ内に隠れていた」クラブのDJ

IS戦闘員に襲われたイスタンブル・オルタキョイのナイトクラブのディスク・ジョッキー、アブドゥラ・ジャン・サラチさんが、「私たちは、襲撃中、DJキャビンの中に1時間、隠れていた」と、恐ろしい体験を語りました。

 Hurriyet
恐怖の体験を語るクラブDJのサラチさん


「私と友人のウフクはDJキャビンにいました。午前1時17分でした。クラブの中には700人か800人いました。人々は踊り、浮かれていました。その時、銃声が聞こえました。私たちはパニックになりました。私は空砲かもしれないと思いました。その後、銃撃が始まりました」とサラチさんはHurriyet 紙に語りました。

「DJキャビンの下に、とても狭いスペースがありました。ウフクが私を引っ張り、2人でそこに隠れました。ウフクは私がしゃべらないように、私の口をふさぎました」とサラチさんは言いました。「襲撃者はクラブ内で休みなく発砲しつづけていましたが、DJキャビンの真ん前に移動してきました」

「男の足音と息づかいが聞こえました。男はまた発砲しはじめました。からの薬莢が家具に当たりました。薬莢は私たちが隠れているところにも転がってきました。男は4回チャージャーを変えました。私は“神よ、これが最後でありますように”と祈りました。銃撃は終わりません。男は1人でした。ほかに襲撃者はいなかった」と、サラチさん。

銃声が止むとすぐ、男は服を着替えたと、サラチさんは言いました。「人々のうめき声と、助けを求める声が聞こえました。私はひどく脅えていました。男がアラビア語でアッラー・アクバル(神は偉大なり)と、3回言うのを聞きました」

「5分か10分後、警察が来ました。警察は男に“降伏しろ”と言いましたが、男は答えませんでした。また、2,3発の銃声が聞こえました。“ウフク、まだ終わっていないぞ。おれたち、ここで死ぬのかもね”と、私は言いました。15分後、“けが人は床に寝なさい”という警察の声を聞きました。私とウフクは警察の特殊部隊に助けを求めました。人々がいっぱいで、そこらじゅう血だらけでした。負傷者、死者、苦しんでいる人たちがいました」

ナイトクラブの従業員たちは、大晦日の夜、テロがあるのではないかと心配していたと、サラチさんは言いました。「私はこの職場に来る途中、3回も警察のチェックを受け、警察官を15人も見かけました。市内は厳重に警戒されていたのです。テロリストが入場できたことが信じられません。警察の到着は遅かった。警察署はクラブから近いのに。男はどうやって中に入り、どうやって逃げたのだろう」

このテロでなくなったレバノン人のリタ・チャミさんは、イスタンブルを訪れる前、Facebook にテロの可能性について書いていました。「トルコで楽しめるといいけど。最悪のシナリオは爆発で死んで、ママと会えること」チャミさんの母親は4か月前に亡くなっていました。


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