1月18日 トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相は、1月20日、アメリカ大統領に選出されたドナルド・トラムプ氏の就任式に出席します。
Hurriyet
昨日、チャヴシュオール外相は、高等教育委員会の会合で、大統領の就任式に出席するため、明日、アメリカへ発つと語りました。「組織委員会がわが国を招いた。親政府の中心人物が出席するだろうから、彼らと会うこともできるだろう」と、外相は記者団に言いました。
7月15日のクーデターの背後の首謀者と思われる、アメリカ在住の説教師フェトフラー・ギュレンの送還についても、話し合われるでしょう。エルドアン大統領は、今月初め、「トラムプ氏が大統領になれば、アンカラとワシントンの関係は改善される」だろうと言いました。「われわれはトラムプ氏と、とくに中東問題について、コンセンサスを得られるだろう」
アメリカが人民防衛隊(YPG)を支持しはじめて以来、トルコとアメリカの関係は緊張しています。トルコはYPGを非合法組織クルド労働者党(PKK)の分派と見て、戦いをつづけています。
7月15日のクーデターの背後の首謀者と思われる、アメリカ在住の説教師フェトフラー・ギュレンの送還についても、話し合われるでしょう。エルドアン大統領は、今月初め、「トラムプ氏が大統領になれば、アンカラとワシントンの関係は改善される」だろうと言いました。「われわれはトラムプ氏と、とくに中東問題について、コンセンサスを得られるだろう」
アメリカが人民防衛隊(YPG)を支持しはじめて以来、トルコとアメリカの関係は緊張しています。トルコはYPGを非合法組織クルド労働者党(PKK)の分派と見て、戦いをつづけています。
クラブ「レイナ」襲撃犯は、ラッカからの命令後、目標を変更した
トルコ当局によると、1月1日、イスタンブル・オルタキョイのナイトクラブで39人を殺害し、65人を負傷させたイスラム国(IS)戦闘員は、シリアのラッカにいるISのエミル(首長)からの襲撃命令を受けていたそうです。
Hurriyet
2週間の逃亡の末、16日、警察に捕まった、34歳のIS戦闘員アブドゥルカディル・マシャリポフは、「最初はイスタンブルのタクシム広場を攻撃するはずだったが、警備が厳し過ぎたので、ナイトクラブ“レイナ”を攻撃の対象に選んだ」と言いました。
「私は昨年1月、シリアで戦闘に参加するよう命令を受けて、イランからトルコに入った。私はコンヤに住み、そこでまた、ラッカからの命令を受けた。私は大晦日の夜、タクシムを襲撃するよう命じられた。私はタクシムで撮った監視カメラの写真をラッカの戦闘員に送った」とマシャリポフは言いました。
「私はタクシムに行ったが、警戒は厳重だった。ここを襲撃できるとは思えなかったので、私に命令を下した人物に連絡した。私たちはタクシムは攻撃の目標には不適当と判断した。彼は私に新しい目標を探すよう命じた。私は午後10時頃、タクシーで海岸沿いに走った。“レイナ”が攻撃目標に適当だと思われた。警備員は多くなかった。命令を出している人に情報を伝えると、彼は“レイナ”を攻撃するよう言った。その後、私はゼイティンブルヌへ行き、家から武器を持ってきて、“レイナ”を襲撃した」と、彼は言いました。
警察の調査によると、ISの戦闘員になる前に、イラクのアルカイーダのキャンプで武器の訓練を受けたと思われるマシャリポフは、2016年12月16日、コンヤからイスタンブルに来ました。彼は最初、バシャクシェヒルのISのアジトにいましたが、攻撃の2日前、ゼイティンブルヌへ移りました。
「レイナ」を襲撃した後、マシャリポフはゼイティンブルヌのウイグル・レストランに行き、そこで一夜を過ごしたといわれます。1月1日の朝、彼は店を出て、最初、バシャクシェヒルへ行きました。1月6日、2人の人物(1人はイラク人)が彼をエセンユルトのある家に連れて行き、そこで彼は捕まりました。
彼がしばらく住んだその家は、イラク人のアリ・ジャミール・モハムメドが6か月前に、1か月750リラで借りていました。モハムメドも、その家で、マシャリポフや3人の女といっしょに拘束されました。
「レイナ」襲撃の翌日、イスタンブルのバクルキョイで、交通警察が、車の後部座席にすわっているマシャリポフを認めましたが、その車は警察に発砲して逃げました。この一件で、警察は、マシャリポフはバフチェシェヒルからエセンユルトに移ったと判断しました。彼と連絡をとっていた3人のウズベク人が、南部ハタイ県で捕まったと知って、マシャリポフはパニックになりました。
エセンユルトの5か所の住居が家宅捜査を受けました。手入れのとき、マシャリポフはベッドの下に隠れようとし、警察にトルコ語で「殺さないでくれ」と言ったそうです。彼は、連れて逃げた4歳の息子を、ISのべつのアジトに預けていました。この手入れで、イラク人の男1人、アフリカ人の女3人も拘束されました。マシャリポフは女たちに買物などをさせていて、女たちもISに参加させる計画だったそうです。
1月1日以来のマシャリポフ逮捕のための捜索で、エセンユルト、シリヴリ、バシャクシェヒルで、総計20か所のISのアジトが見つかりました。この手入れはイスタンブル警察のムスタファ・チャルシュカン署長が指揮をとりました。署長はマシャリポフの関係を調べるために、警官たちに彼を生け捕りにするよう命じました。
2000人からなる作業部会が当局によって結成され、彼の居場所を掴むために、7200時間分の防犯カメラの映像が調べられました。数軒の怪しい家は、24時間、警察の監視下にありました。エセンユルトのこの家は、IS戦闘員がシリアへの中継地として使っていました。マシャリポフもイスタンブルからシリアへ行く計画だったと言われます。
ウズべキスタン当局はマシャリポフの拘束について声明を出し、彼はテロリスト組織のメンバー容疑で、国内で手配されていたと言いました。治安当局はアナドル通信に、マシャリポフは6年前、ウズベキスタンを去って、アフガニスタンに行ったと言いました。
ベキル・ボズダー法相は、襲撃犯とISの関係は“火を見るより明らか”だと言い、シュレイマン・ソイル内相と、この手入れを行った警官たちを賞賛しました。「これはわが国の警察の大きな成果だ。攻撃を行ったテロリスト組織の関係が明瞭になった。現在、行われている調査で、ISに関する重要な情報が得られるだろう」と、ボズダー法相は、18日、アナドル通信に言いました。
「私は昨年1月、シリアで戦闘に参加するよう命令を受けて、イランからトルコに入った。私はコンヤに住み、そこでまた、ラッカからの命令を受けた。私は大晦日の夜、タクシムを襲撃するよう命じられた。私はタクシムで撮った監視カメラの写真をラッカの戦闘員に送った」とマシャリポフは言いました。
「私はタクシムに行ったが、警戒は厳重だった。ここを襲撃できるとは思えなかったので、私に命令を下した人物に連絡した。私たちはタクシムは攻撃の目標には不適当と判断した。彼は私に新しい目標を探すよう命じた。私は午後10時頃、タクシーで海岸沿いに走った。“レイナ”が攻撃目標に適当だと思われた。警備員は多くなかった。命令を出している人に情報を伝えると、彼は“レイナ”を攻撃するよう言った。その後、私はゼイティンブルヌへ行き、家から武器を持ってきて、“レイナ”を襲撃した」と、彼は言いました。
警察の調査によると、ISの戦闘員になる前に、イラクのアルカイーダのキャンプで武器の訓練を受けたと思われるマシャリポフは、2016年12月16日、コンヤからイスタンブルに来ました。彼は最初、バシャクシェヒルのISのアジトにいましたが、攻撃の2日前、ゼイティンブルヌへ移りました。
「レイナ」を襲撃した後、マシャリポフはゼイティンブルヌのウイグル・レストランに行き、そこで一夜を過ごしたといわれます。1月1日の朝、彼は店を出て、最初、バシャクシェヒルへ行きました。1月6日、2人の人物(1人はイラク人)が彼をエセンユルトのある家に連れて行き、そこで彼は捕まりました。
彼がしばらく住んだその家は、イラク人のアリ・ジャミール・モハムメドが6か月前に、1か月750リラで借りていました。モハムメドも、その家で、マシャリポフや3人の女といっしょに拘束されました。
「レイナ」襲撃の翌日、イスタンブルのバクルキョイで、交通警察が、車の後部座席にすわっているマシャリポフを認めましたが、その車は警察に発砲して逃げました。この一件で、警察は、マシャリポフはバフチェシェヒルからエセンユルトに移ったと判断しました。彼と連絡をとっていた3人のウズベク人が、南部ハタイ県で捕まったと知って、マシャリポフはパニックになりました。
エセンユルトの5か所の住居が家宅捜査を受けました。手入れのとき、マシャリポフはベッドの下に隠れようとし、警察にトルコ語で「殺さないでくれ」と言ったそうです。彼は、連れて逃げた4歳の息子を、ISのべつのアジトに預けていました。この手入れで、イラク人の男1人、アフリカ人の女3人も拘束されました。マシャリポフは女たちに買物などをさせていて、女たちもISに参加させる計画だったそうです。
1月1日以来のマシャリポフ逮捕のための捜索で、エセンユルト、シリヴリ、バシャクシェヒルで、総計20か所のISのアジトが見つかりました。この手入れはイスタンブル警察のムスタファ・チャルシュカン署長が指揮をとりました。署長はマシャリポフの関係を調べるために、警官たちに彼を生け捕りにするよう命じました。
2000人からなる作業部会が当局によって結成され、彼の居場所を掴むために、7200時間分の防犯カメラの映像が調べられました。数軒の怪しい家は、24時間、警察の監視下にありました。エセンユルトのこの家は、IS戦闘員がシリアへの中継地として使っていました。マシャリポフもイスタンブルからシリアへ行く計画だったと言われます。
ウズべキスタン当局はマシャリポフの拘束について声明を出し、彼はテロリスト組織のメンバー容疑で、国内で手配されていたと言いました。治安当局はアナドル通信に、マシャリポフは6年前、ウズベキスタンを去って、アフガニスタンに行ったと言いました。
ベキル・ボズダー法相は、襲撃犯とISの関係は“火を見るより明らか”だと言い、シュレイマン・ソイル内相と、この手入れを行った警官たちを賞賛しました。「これはわが国の警察の大きな成果だ。攻撃を行ったテロリスト組織の関係が明瞭になった。現在、行われている調査で、ISに関する重要な情報が得られるだろう」と、ボズダー法相は、18日、アナドル通信に言いました。
アンタリヤのヴォランティアが野良ネコ村をつくった
アンタリヤの「動物聖域協会」のヴォランティア・グループが、コンヤアルトゥ地区に、野良ネコ村をつくりました。
「野良ネコ保護協会」と協力しているこの協会のメフメト・オカン会長夫妻は、車を売り、他のヴォランティアの助力を得て、コンヤアルトゥ地区のドイランに土地を借りて、野良ネコ村を設立しました。グループはネコのために、小さな小屋と、訪問者のためにハンモックやシートのある遊び場を造りました。ネコのために料理もしています。
村には現在、100匹のネコがいますが、非力なネコを優先に、もっと増やすつもりです。当局の正式の許可を得て村をつくれるように、協会を設立したと、オカンさんは言っています。「寄付なら、お金より、ネコたちが暮らすスペースを造るための材料、木材やペンキなどをお願いしたい」
村には現在、100匹のネコがいますが、非力なネコを優先に、もっと増やすつもりです。当局の正式の許可を得て村をつくれるように、協会を設立したと、オカンさんは言っています。「寄付なら、お金より、ネコたちが暮らすスペースを造るための材料、木材やペンキなどをお願いしたい」
「ときどきダイアリー」ヘ