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テロ現場のクラブ内部の映像が、ラッカから実行犯に送られていた

2017年01月21日 | 国際
1月20日 イスタンブル・オルタキョイのナイトクラブ「レイナ」襲撃の実行犯マシャリポフの証言によると、ラッカのイスラム国(IS)から「レイナ」の内部の映像が彼に送られていたということです。

 Hurriyet

1月16日、イスタンブルのエセンユルト地区で捕まったマシャリポフは、ボスポラス海峡沿いのオシャレなクラブには行ったこともなかったので、送られたビデオを何度も見たと、新たな証言をしました。ラッカから送られたビデオには、ナイトクラブの内部と屋外部分が映っていました。

「襲撃の実行が決まった後、私が連絡をとっていたラッカのエミル(首長)が、レイナの内部の映像を送ってきました。私はビデオを見て、ナイトクラブの内部を完全に記憶してから、ゼイティンブルヌに帰り、武器を持ってきて、襲撃を始めました」とマシャリポフは証言しました。警察は当初、ビデオの出所はソシアルメデイアから集めたのかもしれないと考えましたが、いまは、マシャリポフの証言がほんとうだろうと考えています。

なぜ「レイナ」を攻撃目標に選んだかという問いに、マシャリポフは、内部にいる人々が“背教的”だったからだと言いました。なぜ入口にいた警官を殺したかという問いには、「警官が先に発砲してきた。彼を殺さなければ中に入れなかった」と答えました。

マシャリポフは2015年、イランで偽造パスポート所持で、1か月拘束されています。その後、彼は2016年1月、トルコに不法入国したと、彼は言いました。「私はタクシムで自爆テロをするよう命じられました。私がイスタンブルに来たのはそのためです」

マシャリポフは、自爆攻撃のための爆発物を彼に渡す人物に会えなかったので、再度、ラッカに連絡したと、警察に言いました。彼はラッカからの命令に従って、武器と手榴弾を持って「レイナ」に行きました。「私は死ぬつもりでレイナに行きましたが、手榴弾が炸裂すると、私は逃げました」と、彼は言いました。「レイナ」襲撃関連で拘束された容疑者たちの取り調べはつづいています。

警察はマシャリポフの4歳の息子を探しています。警察が手入れを行ったとき、子供は現場にいませんでした。新たに発表された情報によると、マシャリポフは大学卒業後、アルカイーダに参加しましたが、考えかたの違いを感じて、ISに転向しました。

彼が逮捕された家で、セネガル人の女ダイアナA.(27)、エジプト人の女テネ・トラレ(26)、ソマリア人の女アイシャM.(27)も捕まりました。女たちは、攻撃の“褒賞”として、ISからマシャリポフに贈られたのだろうと思われます。

エセンユルトで逮捕されたとき、マシャリポフは頭を殴られたため、めまいを訴え、病院へ連行されました。医者たちは脳出血の危険があるか、しばらく見るべきだと言いました。


トルコリラの急落で、小売業界が“大恐慌”

トルコの有力な小売業者が、「小売業界は、購買力に打撃を与えたトルコリラの急落と多くの規制のために、大恐慌を来たしている、収益は40%減少した」と言いました。

 Hurriyet

「テキン・アジャル化粧品」の会長で、「マーチャンダイジング協会」の副会長のテキン・アジャル氏は、「財政的に困窮している小売業者が増加し、さまざまな不安材料が外国投資の流出を起こしていると思われる」と言っています。

「こんな不確かな状態は初めてだ。次々に新しい規制が出てくるとは思わなかった。いつ、なにが起こるかわからない国に、金を注ぎ込む投資家などいるはずがない。問題は外国為替の圧力すなわち高いレント料だけではない」と、アジャル氏は1月20日、記者団に語りました。「小売業者の多くが商売を止め、外国ブランドの多くが市場を放棄しました」

アジャル氏はまた、深刻な財政問題を抱えた小売業者が、2016年7月のクーデター後の緊急事態のために破産宣言ができなかったと言いました。アジャル氏は、小売業界の否定的展望の理由として、外国為替レートとヨーロッパ・ベースのモールのレント料の急激な高騰、人々の購買力の減少傾向、クレディト・カードの分割払いの規制、EU以外の製品に課せられる税金、ツーリスト数の劇的な減少などを挙げました。

「これらすべての要因が、収入を30~40%押し下げました・・・レント料をやっと払っているだけの小売業者も少なくありません・・・小売業界の活力は急落しました」と、アジャル氏は言いました。「消費者はクレディット・カード9回払いで、化粧品を買えましたが、もうそれができなくなりました。小売業界の収益は40~50%減少しました。私も、他の小売業者と同様に、店舗をひとうひとつ閉めています」

「モール投資協会」のフルシ・ベルギュ会長は、モールの店舗レント料の小売業者への負担を軽減するために、協会はいくつかの銀行とコンタクトしてきたと言いました。税金の増加、従業員の最低月給の引き上げ、外国為替の引き上げで苦しむ小売業者のために、モールは小売業者への支援を16~18%増やしたと、ベルギュ会長は1月20日の記者会見で語りました。

彼はまた、モール投資の返却期間が15~16年から20~22年に拡大されたと言いました。「これでトルコへの投資は押し上げられるでしょう」同協会のデータによると、1016年のモールの収入は1000億リラでした。2017年は1100億リラが期待されます。


「レイナを攻撃したことを後悔していない」とマシャリポフ

1月1日、イスタンブルのクラブ「レイナ」を襲撃したIS戦闘員マシャリポフは、「自分がしたことを後悔していない」と警察に言いました。

 Hurriyet

エセンユルトで捕まったアブドゥルカディル・マシャリポフは、取り調べで「私は命令を受けてやった。できれば、もう1度やるだろう」と言いました。彼はテレグラムのスマートフォンで、ラッカからの命令を受け、39人を殺し、65人を負傷させました。

トルコ全国の30の住居の家宅捜索が行われましたが、その中には、戦闘員を募集し、シリアの戦闘地帯へ送り込むのに使われていた家もありました。この手入れで200人が拘束されましたが、そのほとんどは外国人でした。対IS作戦で押収された金の総額は19万7000ドルになったと警察は言っています。

マシャリポフは、取り調べで、シリヴリにいたとき、3人のIS戦闘員が、子供が障害にならないようにと言って、彼の4歳の息子を連れて行ったと言いました。「私がシリヴリにいるとき、3人が来て、“お前は警察に探されている。子供は障害になるから、われわれが連れて行く。お前がイスタンブルを出るとき、子供を返す”と言った」と言いました。

当局によると、マシャリポフは息子の情報を要求し、「警察が子供を見つけたら、自分とISの関係について、もっと情報を提供する」と言ったそうです。警察は3人のIS戦闘員と子供を捜索中です。マシャリポフの正式の審問はまだ始まっていません。治安上の懸念から、彼を病院へ連れて行くことはできないので、警察署の職員が彼の健康をチェックしています。

マシャリポフが自爆テロに使う予定だった爆発物は、2016年12月30日のガジアンテプの手入れで押収されました。この手入れで20人が拘束されました。

マシャリポフといっしょに捕まったアリ・ジャミール・モハムメドは、「レイナ攻撃後はシリヴリに行き、その後チャナッカレへ行く予定だった」と言っています。彼はチャナッカレに一泊し、イズミルからハタイへ行き、国境を越えてラッカに行く計画だったと言いました。


   「ときどきダイアリー」ヘ


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