トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

イスタンブルのロケット攻撃テロで、5人拘束

2017年01月22日 | 国内
1月22日 20日、イスタンブル警察署と現政権・公正発展党(AKP)の本部がロケット弾攻撃を受けましたが、この関連で、イスタンブル警察が5人の容疑者を拘束しました。

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治安部隊は、イスタンブルで、15か所の家宅捜索を行い、事件関連容疑で5人を拘束しました。イスタンブルのヴァシプ・シャヒン知事は、1月20日、「警察署への襲撃による負傷者はなかった。調査は始まっている」とツイートしました。

AKPのイスタンブル支部長アリム・テムルジ氏のツイートでは、AKP本部への襲撃でも負傷者はなかったそうです。テムルジ氏は1月20日、記者団に、ロケット弾は建物の壁を突き抜けたが、爆発しなかったと語り、非合法組織「革命人民の解放軍・フロント」(DHKP-C)の関与を指摘しました。彼はまた、2人の容疑者がこのテロ攻撃に関与していると言いました。

共和人民党(CHP)のケマル・クルチュダルオール党首は、ビナリ・ユルドゥルム首相に、テロ攻撃の見舞いの電話を入れました。


ウスパルタで凍った猫が救助された

Hurriyet

ウスパルタ県で、シッポの先まで凍って倒れていた猫を、地元民が助け、メフメト・アキフ・エルソイ大学の獣医学部に運び、治療を受けた猫は生き返りました。

…凍った人間も解凍すれば生き返りますか?


4500年昔の水差しが英国から返却される

ロンドンのトルコ大使館の文化観光促進部が、60年前、イギリスに持ち去られた、4500年昔の水差しがトルコに返還されることになったと発表しました。

 Hurriyet

水差しの返還に関する声明書で、文化観光促進部は、「この水差しは初期青銅器時代のもので、BC2000年から3000年の、古代西アナトリア・ヨルタン文化の特徴を示している。高さ26.5センチの土器の水差しである」と言っています。

声明書によると、マンチェスターでギャラリーを所有していたイギリス人テルマ・ビショップ氏が、1960年代、西部トルコのエフェススの遺跡を訪れ、土産物としてこの水差しを買ったそうです。その後、競売会社が、この水差しが貴重な文化遺産であることに気づき、ビショップ氏はこれをトルコに返却する決心をしました。

「トルコの他にも、貴重な文化遺産を密輸によって持ち出されている国が多くあり、国際的な問題になっていることを考えても、この水差しの返却は重要である」と声明書は言っています。競売会社アダム・パートリッジのオーナー、アダム・パートリッジ氏も、水差しを返却することには満足しています。

「私はこのまれに見る美術品が故郷トルコに返されることを、とても嬉しく思っています。しかし、残念ながら、競売会社の中には、私のような選択をしない会社もある。私はひとつのモデルになりたいと思っています」と、パートリッジ氏は言いました。水差しはアンカラのアナトリア文明博物館に収納されるでしょう。

ヨルタンは先史時代の埋葬地
この水差しが出土したと思われるヨルタンは、西トルコ・バクルチャイのイズミル渓谷にある先史時代の埋葬地で、死者に捧げられた供物が出土しています。ヨルタンの遺跡は80年前、フランス人技師ポール・ガウディによって発見され、発掘されましたが、その成果は正確に記録されていません。


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テロ現場のクラブ内部の映像が、ラッカから実行犯に送られていた

2017年01月21日 | 国際
1月20日 イスタンブル・オルタキョイのナイトクラブ「レイナ」襲撃の実行犯マシャリポフの証言によると、ラッカのイスラム国(IS)から「レイナ」の内部の映像が彼に送られていたということです。

 Hurriyet

1月16日、イスタンブルのエセンユルト地区で捕まったマシャリポフは、ボスポラス海峡沿いのオシャレなクラブには行ったこともなかったので、送られたビデオを何度も見たと、新たな証言をしました。ラッカから送られたビデオには、ナイトクラブの内部と屋外部分が映っていました。

「襲撃の実行が決まった後、私が連絡をとっていたラッカのエミル(首長)が、レイナの内部の映像を送ってきました。私はビデオを見て、ナイトクラブの内部を完全に記憶してから、ゼイティンブルヌに帰り、武器を持ってきて、襲撃を始めました」とマシャリポフは証言しました。警察は当初、ビデオの出所はソシアルメデイアから集めたのかもしれないと考えましたが、いまは、マシャリポフの証言がほんとうだろうと考えています。

なぜ「レイナ」を攻撃目標に選んだかという問いに、マシャリポフは、内部にいる人々が“背教的”だったからだと言いました。なぜ入口にいた警官を殺したかという問いには、「警官が先に発砲してきた。彼を殺さなければ中に入れなかった」と答えました。

マシャリポフは2015年、イランで偽造パスポート所持で、1か月拘束されています。その後、彼は2016年1月、トルコに不法入国したと、彼は言いました。「私はタクシムで自爆テロをするよう命じられました。私がイスタンブルに来たのはそのためです」

マシャリポフは、自爆攻撃のための爆発物を彼に渡す人物に会えなかったので、再度、ラッカに連絡したと、警察に言いました。彼はラッカからの命令に従って、武器と手榴弾を持って「レイナ」に行きました。「私は死ぬつもりでレイナに行きましたが、手榴弾が炸裂すると、私は逃げました」と、彼は言いました。「レイナ」襲撃関連で拘束された容疑者たちの取り調べはつづいています。

警察はマシャリポフの4歳の息子を探しています。警察が手入れを行ったとき、子供は現場にいませんでした。新たに発表された情報によると、マシャリポフは大学卒業後、アルカイーダに参加しましたが、考えかたの違いを感じて、ISに転向しました。

彼が逮捕された家で、セネガル人の女ダイアナA.(27)、エジプト人の女テネ・トラレ(26)、ソマリア人の女アイシャM.(27)も捕まりました。女たちは、攻撃の“褒賞”として、ISからマシャリポフに贈られたのだろうと思われます。

エセンユルトで逮捕されたとき、マシャリポフは頭を殴られたため、めまいを訴え、病院へ連行されました。医者たちは脳出血の危険があるか、しばらく見るべきだと言いました。


トルコリラの急落で、小売業界が“大恐慌”

トルコの有力な小売業者が、「小売業界は、購買力に打撃を与えたトルコリラの急落と多くの規制のために、大恐慌を来たしている、収益は40%減少した」と言いました。

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「テキン・アジャル化粧品」の会長で、「マーチャンダイジング協会」の副会長のテキン・アジャル氏は、「財政的に困窮している小売業者が増加し、さまざまな不安材料が外国投資の流出を起こしていると思われる」と言っています。

「こんな不確かな状態は初めてだ。次々に新しい規制が出てくるとは思わなかった。いつ、なにが起こるかわからない国に、金を注ぎ込む投資家などいるはずがない。問題は外国為替の圧力すなわち高いレント料だけではない」と、アジャル氏は1月20日、記者団に語りました。「小売業者の多くが商売を止め、外国ブランドの多くが市場を放棄しました」

アジャル氏はまた、深刻な財政問題を抱えた小売業者が、2016年7月のクーデター後の緊急事態のために破産宣言ができなかったと言いました。アジャル氏は、小売業界の否定的展望の理由として、外国為替レートとヨーロッパ・ベースのモールのレント料の急激な高騰、人々の購買力の減少傾向、クレディト・カードの分割払いの規制、EU以外の製品に課せられる税金、ツーリスト数の劇的な減少などを挙げました。

「これらすべての要因が、収入を30~40%押し下げました・・・レント料をやっと払っているだけの小売業者も少なくありません・・・小売業界の活力は急落しました」と、アジャル氏は言いました。「消費者はクレディット・カード9回払いで、化粧品を買えましたが、もうそれができなくなりました。小売業界の収益は40~50%減少しました。私も、他の小売業者と同様に、店舗をひとうひとつ閉めています」

「モール投資協会」のフルシ・ベルギュ会長は、モールの店舗レント料の小売業者への負担を軽減するために、協会はいくつかの銀行とコンタクトしてきたと言いました。税金の増加、従業員の最低月給の引き上げ、外国為替の引き上げで苦しむ小売業者のために、モールは小売業者への支援を16~18%増やしたと、ベルギュ会長は1月20日の記者会見で語りました。

彼はまた、モール投資の返却期間が15~16年から20~22年に拡大されたと言いました。「これでトルコへの投資は押し上げられるでしょう」同協会のデータによると、1016年のモールの収入は1000億リラでした。2017年は1100億リラが期待されます。


「レイナを攻撃したことを後悔していない」とマシャリポフ

1月1日、イスタンブルのクラブ「レイナ」を襲撃したIS戦闘員マシャリポフは、「自分がしたことを後悔していない」と警察に言いました。

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エセンユルトで捕まったアブドゥルカディル・マシャリポフは、取り調べで「私は命令を受けてやった。できれば、もう1度やるだろう」と言いました。彼はテレグラムのスマートフォンで、ラッカからの命令を受け、39人を殺し、65人を負傷させました。

トルコ全国の30の住居の家宅捜索が行われましたが、その中には、戦闘員を募集し、シリアの戦闘地帯へ送り込むのに使われていた家もありました。この手入れで200人が拘束されましたが、そのほとんどは外国人でした。対IS作戦で押収された金の総額は19万7000ドルになったと警察は言っています。

マシャリポフは、取り調べで、シリヴリにいたとき、3人のIS戦闘員が、子供が障害にならないようにと言って、彼の4歳の息子を連れて行ったと言いました。「私がシリヴリにいるとき、3人が来て、“お前は警察に探されている。子供は障害になるから、われわれが連れて行く。お前がイスタンブルを出るとき、子供を返す”と言った」と言いました。

当局によると、マシャリポフは息子の情報を要求し、「警察が子供を見つけたら、自分とISの関係について、もっと情報を提供する」と言ったそうです。警察は3人のIS戦闘員と子供を捜索中です。マシャリポフの正式の審問はまだ始まっていません。治安上の懸念から、彼を病院へ連れて行くことはできないので、警察署の職員が彼の健康をチェックしています。

マシャリポフが自爆テロに使う予定だった爆発物は、2016年12月30日のガジアンテプの手入れで押収されました。この手入れで20人が拘束されました。

マシャリポフといっしょに捕まったアリ・ジャミール・モハムメドは、「レイナ攻撃後はシリヴリに行き、その後チャナッカレへ行く予定だった」と言っています。彼はチャナッカレに一泊し、イズミルからハタイへ行き、国境を越えてラッカに行く計画だったと言いました。


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対IS作戦は続行中。警察が容疑者20人を拘束

2017年01月19日 | 国際
1月19日 クラブ「レイナ」の襲撃犯アブドゥルカディル・マシャリポフがイスタンブルのエセンユルト地区で逮捕された翌日、トルコ警察は北西部ブルサ県と南東部シャンルウルファ県で、対IS作戦を行いました。

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ブルサ警察は、クラブ「レイナ」のテロ攻撃に関与したと思われる27人のIS容疑者と、子供29人を捕えたと、1月18日、アナドル通信が報じました。対テロ警察は、コンヤでマシャリポフといっしょに暮らしていた容疑者1人と周辺の人々を探すため、コンヤ県のニリュフェル地区とギョクスー地区の7か所の住居の同時手入れを行いました。

この手入れで、警察は、6か所の住居で、15人の女を含む27人の容疑者と子供29人を捕えました。容疑者たちはタジキスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、ウーウル出身者でした。警察はまた、1軒の無人の家から、パスポート40通、偽造身分証明書38通、携帯電話15の個を押収しました。この家はM.S.とN.S.という2人のタジキスタン人のオーガナイザーが使っていました。

M.S.とN.S.はイスタンブルやイズミルやブルサで、歯医者、医者、ビジネスマンと自称して、ISのメンバーのために何軒かの家を借りていました。これら住居を利用した容疑者たちも、偽名と虚偽の職業を名乗っていました。

また、ISの密使の1人が、18日、シリア=トルコ国境近くの家の家宅捜索で捕まりました。密使アブド・マッホは南東部シャンルウルファのアクチャカレ地区からトルコに入国して捕まったと、ドーアンニュースが報じました。マッホはテロ組織のために武器や弾薬を運んでいました。彼が指摘した場所を掘ると、袋に入れて埋められた弾薬や、自爆ベストをつくるための材料が出てきました。

これまでトルコで起こったテロ攻撃に使われた資材は、同じ人物たちが運び込んだと、警察はかんがえていま。


内戦が始まってから、18万人のシリア人がトルコで生まれた

トルコ保健省によると、この5年間で、およそ18万人のシリア人がトルコで生まれています。保健省によると、2011年4月から2016年9月までの間に、流血の内戦から逃れてきた難民の中の17万7568人の女性が、トルコで子供を産んだそうです。

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トルコにはすでに、戦いを逃れてきた300万人のシリア難民が住んでいます。これは世界のどこの国よりも多数です。トルコは難民を支援し保護するために、250億ドルを費やしました。難民の中には約100万人の子供がいます。子供難民の数でも、トルコは世界一です。

難民に対するホスト国の責任には、寝食を提供するだけではなく、健康管理や、教育、その他のサービスも含まれます。保健サービスは、難民キャンプ内の8つの野戦病院と65の保健センターで、無料で提供されています。

「アラブの春」の一環として起こった親民主主義の抵抗運動を、バシャル・アルアサド政府が厳しく取り締まった2011年初めから、シリアは悲惨な内戦状態にあります。内戦勃発以来、多くの人々が死の恐怖から故郷を去りました。

トルコとロシアの仲介で全国的な停戦がなり、アスタナで行われる会談は、6年間の戦争の政治的解決を促すことを目標にしています。


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トラムプ氏の大統領就任式に、トルコ外相が出席する

2017年01月18日 | 国際
1月18日 トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相は、1月20日、アメリカ大統領に選出されたドナルド・トラムプ氏の就任式に出席します。

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昨日、チャヴシュオール外相は、高等教育委員会の会合で、大統領の就任式に出席するため、明日、アメリカへ発つと語りました。「組織委員会がわが国を招いた。親政府の中心人物が出席するだろうから、彼らと会うこともできるだろう」と、外相は記者団に言いました。

7月15日のクーデターの背後の首謀者と思われる、アメリカ在住の説教師フェトフラー・ギュレンの送還についても、話し合われるでしょう。エルドアン大統領は、今月初め、「トラムプ氏が大統領になれば、アンカラとワシントンの関係は改善される」だろうと言いました。「われわれはトラムプ氏と、とくに中東問題について、コンセンサスを得られるだろう」

アメリカが人民防衛隊(YPG)を支持しはじめて以来、トルコとアメリカの関係は緊張しています。トルコはYPGを非合法組織クルド労働者党(PKK)の分派と見て、戦いをつづけています。


クラブ「レイナ」襲撃犯は、ラッカからの命令後、目標を変更した

トルコ当局によると、1月1日、イスタンブル・オルタキョイのナイトクラブで39人を殺害し、65人を負傷させたイスラム国(IS)戦闘員は、シリアのラッカにいるISのエミル(首長)からの襲撃命令を受けていたそうです。

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2週間の逃亡の末、16日、警察に捕まった、34歳のIS戦闘員アブドゥルカディル・マシャリポフは、「最初はイスタンブルのタクシム広場を攻撃するはずだったが、警備が厳し過ぎたので、ナイトクラブ“レイナ”を攻撃の対象に選んだ」と言いました。

「私は昨年1月、シリアで戦闘に参加するよう命令を受けて、イランからトルコに入った。私はコンヤに住み、そこでまた、ラッカからの命令を受けた。私は大晦日の夜、タクシムを襲撃するよう命じられた。私はタクシムで撮った監視カメラの写真をラッカの戦闘員に送った」とマシャリポフは言いました。

「私はタクシムに行ったが、警戒は厳重だった。ここを襲撃できるとは思えなかったので、私に命令を下した人物に連絡した。私たちはタクシムは攻撃の目標には不適当と判断した。彼は私に新しい目標を探すよう命じた。私は午後10時頃、タクシーで海岸沿いに走った。“レイナ”が攻撃目標に適当だと思われた。警備員は多くなかった。命令を出している人に情報を伝えると、彼は“レイナ”を攻撃するよう言った。その後、私はゼイティンブルヌへ行き、家から武器を持ってきて、“レイナ”を襲撃した」と、彼は言いました。

警察の調査によると、ISの戦闘員になる前に、イラクのアルカイーダのキャンプで武器の訓練を受けたと思われるマシャリポフは、2016年12月16日、コンヤからイスタンブルに来ました。彼は最初、バシャクシェヒルのISのアジトにいましたが、攻撃の2日前、ゼイティンブルヌへ移りました。

「レイナ」を襲撃した後、マシャリポフはゼイティンブルヌのウイグル・レストランに行き、そこで一夜を過ごしたといわれます。1月1日の朝、彼は店を出て、最初、バシャクシェヒルへ行きました。1月6日、2人の人物(1人はイラク人)が彼をエセンユルトのある家に連れて行き、そこで彼は捕まりました。

彼がしばらく住んだその家は、イラク人のアリ・ジャミール・モハムメドが6か月前に、1か月750リラで借りていました。モハムメドも、その家で、マシャリポフや3人の女といっしょに拘束されました。

「レイナ」襲撃の翌日、イスタンブルのバクルキョイで、交通警察が、車の後部座席にすわっているマシャリポフを認めましたが、その車は警察に発砲して逃げました。この一件で、警察は、マシャリポフはバフチェシェヒルからエセンユルトに移ったと判断しました。彼と連絡をとっていた3人のウズベク人が、南部ハタイ県で捕まったと知って、マシャリポフはパニックになりました。

エセンユルトの5か所の住居が家宅捜査を受けました。手入れのとき、マシャリポフはベッドの下に隠れようとし、警察にトルコ語で「殺さないでくれ」と言ったそうです。彼は、連れて逃げた4歳の息子を、ISのべつのアジトに預けていました。この手入れで、イラク人の男1人、アフリカ人の女3人も拘束されました。マシャリポフは女たちに買物などをさせていて、女たちもISに参加させる計画だったそうです。

1月1日以来のマシャリポフ逮捕のための捜索で、エセンユルト、シリヴリ、バシャクシェヒルで、総計20か所のISのアジトが見つかりました。この手入れはイスタンブル警察のムスタファ・チャルシュカン署長が指揮をとりました。署長はマシャリポフの関係を調べるために、警官たちに彼を生け捕りにするよう命じました。

2000人からなる作業部会が当局によって結成され、彼の居場所を掴むために、7200時間分の防犯カメラの映像が調べられました。数軒の怪しい家は、24時間、警察の監視下にありました。エセンユルトのこの家は、IS戦闘員がシリアへの中継地として使っていました。マシャリポフもイスタンブルからシリアへ行く計画だったと言われます。

ウズべキスタン当局はマシャリポフの拘束について声明を出し、彼はテロリスト組織のメンバー容疑で、国内で手配されていたと言いました。治安当局はアナドル通信に、マシャリポフは6年前、ウズベキスタンを去って、アフガニスタンに行ったと言いました。

ベキル・ボズダー法相は、襲撃犯とISの関係は“火を見るより明らか”だと言い、シュレイマン・ソイル内相と、この手入れを行った警官たちを賞賛しました。「これはわが国の警察の大きな成果だ。攻撃を行ったテロリスト組織の関係が明瞭になった。現在、行われている調査で、ISに関する重要な情報が得られるだろう」と、ボズダー法相は、18日、アナドル通信に言いました。


アンタリヤのヴォランティアが野良ネコ村をつくった

アンタリヤの「動物聖域協会」のヴォランティア・グループが、コンヤアルトゥ地区に、野良ネコ村をつくりました。


「野良ネコ保護協会」と協力しているこの協会のメフメト・オカン会長夫妻は、車を売り、他のヴォランティアの助力を得て、コンヤアルトゥ地区のドイランに土地を借りて、野良ネコ村を設立しました。グループはネコのために、小さな小屋と、訪問者のためにハンモックやシートのある遊び場を造りました。ネコのために料理もしています。

村には現在、100匹のネコがいますが、非力なネコを優先に、もっと増やすつもりです。当局の正式の許可を得て村をつくれるように、協会を設立したと、オカンさんは言っています。「寄付なら、お金より、ネコたちが暮らすスペースを造るための材料、木材やペンキなどをお願いしたい」


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「レイナ」襲撃犯逮捕。犯行を認めた。

2017年01月16日 | 
1月17日 日本でもすぐにTVニュースで報じられましたが、イスタンブルのナイトクラブ襲撃犯、ついに捕まりましたね。
1月1日、イスタンブルのナイトクラブで39人を殺したアブドゥルカディル・マシャリポフが、イスタンブルのエセンユルト地区で逮捕され、犯行を認めたと、ヴァシプ・シャヒン知事が発表しました。

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ナイトクラブ襲撃実行犯の逮捕を発表するイスタンブルのシャヒン知事(左)


コードネムをアブー・モハムメド・ホラサニ・アブドゥルカヴィという実行犯は、「1983年、ウズベキスタンに生まれ、アフガニスタンで、戦闘員としての訓練を受け、その後、2016年1月、東部からトルコへ不法入国したらしい」と知事は言いました。

「彼がISのメンバーとして襲撃を行ったことは明らかです。マシャリポフは犯行を認め、彼の指紋は、現場に残っていた指紋と一致しました」と知事は言いました。19万7000ドルの現金、銃2丁、ドローン2機が、この手入れで押収されたそうです。また、マシャリポフとともに、イラク出身の男1人、エジプトとアフリカ出身の女2人が拘束されました。

今回の作戦は、コンヤ、ハタイ、イズミルの警察の助力を得て、2000人の警官が行ったと、知事は言っています。捜索のために、2000時間分の防犯カメラの映像が調べられました。

マシャリポフは、最初、イスタンブルのバシャクシェヒルに家を借り、その後、住居を移して、襲撃の日まで住んでいました。捜索の過程で、警察は152の住居を家宅捜索し、50人の容疑者を拘束したと、知事は言いました。

警察は月曜、5か所の家宅捜索を行い、その住居のひとつの高級アパートで彼を捕えました。警察が踏み込むと、彼はベッドの下に隠れようとしました。

 Hurriyet

警察はマシャリポフらを捕えた後、6時間かけてこの家の内部を調べました。ヌマン・クトゥルムシュ副首相は、16日、「ナイトクラブでの銃撃による大量殺戮は、情報機関が関与し、プロがやった事件だ」と言いました。

1月15日、警察は、マシャリポフが使っていたシリヴリの家を突きとめ、その家で15万ドルを発見しました。金はマシャリポフが受け取るはずだったのが、厳しい警察の捜索のため、受け取れなかったものと思われます。情報源によると、マシャリポフは襲撃後、警察の非常線をすり抜け、ゼイティンブルヌの家に戻り、息子を連れて逃げたということです。


トルコの失業率が11.8%に

 2016年10月、トルコの失業率は11.8%に達し、12.8%だった2010年3月以来、最高になったと、1月16日、トルコ統計局(TUIK)が発表しました。

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雪解けのイスティクラル通り


2016年10月の失業率は、前年同月に比して1.3%増加しています。この数字はトルコ経済の低迷がつづいていることを示しています。

15歳以上の失業者数は、2016年10月、360万人に達し、前年より50万人増え、失業率を11.8%に押し上げました。15歳から24歳の失業率は21.2%になり、前年に比して1.9%の増加です。月ベースの失業率は、11.3%だった前月に比して、0.5%高くなっています。

QNBファイナンス銀行のチーフ・エコノミスト、ギョクチェ・チェリキ氏は、「10月の失業データは、2014年12月以来の、年ベースの急激な増加を示している。このデータからも経済低迷の深刻な傾向がみられる」と言っています。

2017年下半期までに、民間分野の投資が増えて、経済は成長すると予測するアナリストもいます。失業率は上昇してはいますが、トルコ経済は、前年より50万職を増やしています。


「わが国はナズム・ヒクメットの遺骨の帰国を厭わない」法相

「政府は有名な詩人ナズム・ヒクメットの遺骨がトルコに帰国するのを厭うものではない」と、ベキル・ボズダー法相が、1月16日、言いました。

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ヒクメットの生誕115周年に、ボズダー法相は「トルコが生んだ最大の詩人の1人」と賞賛し、われわれは彼をトルコに埋葬する名誉を望んでいると言いました。

政治的意見を書いた詩のために、ヒクメットはトルコで、長年、獄中にいましたが、1963年、亡命先のソ連で、心臓病で死去しました。彼の遺体は現在、モスクワの有名な墓地に、ロシアの多くの文学者とともに埋葬されています。

ヒクメットは政治的見解のため、1951年トルコ市民権を剥奪されましたが、2009年、市民権を認められました。


キプロスの両大統領が、相手が提出した地図を拒否した

 ギリシャ・キプロスとトルコ・キプロスの代表は、新たな連邦国家内の境界線の地図に関して合意しませんでした。両者はそれぞれ、相手の提案を“受け入れがたい”と非難したと、トルコのチャヴシュオール外相は言いました。

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トルコ・キプロスのアクンジュ大統領(左)とギリシャ・キプロスのアナスタシアデス大統領


ギリシャ・キプロスとトルコ・キプロスの大統領は、国連のアントニオ・グテーレス事務総長にそれぞれ書簡を送り、相手の地図は受け入れられないと告げたと、1月14日、チャヴシュオール外相が言いました。国連の仲介で1週間におよんだ、トルコ・キプロスのムスタファ・アクンジュ大統領とギリシャ・キプロスのニコス・アナスタシアデス大統領の話合いは、合意に近づいたと、楽観的に見られていました。

1月11日、キプロスが分断されて以来初めて、両者が、再統合後の連邦国家内の境界線に関するビジョンを明らかにしました。しかし、1月13日、交渉プロセスは失速しました。両大統領が相手のイメージする境界線を見て、“とんでもない”と思ったのです。トルコ軍の駐屯と境界線に関しては、そう簡単に合意は生まれないでしょう。

トルコのチャヴシュオール外相は、「トルコ・キプロスにとって、この地図はとても受け入れられないが、それはわが国にとっても同じだ」と言いました。問題の中心は、新しい境界線をどう引くかです。かつてギリシャ人の町だった、北海岸のモルフー(トルコ語はギュゼルユルト)はどちらに入るのか。

ギリシャ・キプロスのアナスタシアデス大統領は、モルフーの全面返還なしには、交渉はあり得ないと警告しましたが、トルコ側もギュゼルユルトの返還はあり得ないと言っています。1月11日に交換された両者の地図は公表されていません。トルコのエルドアン大統領は、1月13日「ギリシャ・キプロスはまだ同じ立場に立っていない」と言いました。

チャヴシュオール外相は、地図より緊急に解決すべき問題があると言いました。そのひとつは軍の配備の問題です。キプロスの保証国 ーイギリス、トルコ、ギリシャー は、1月12日、国連で安全保障について話し合いました。“2つの地域、ひとつの連邦”をつくるための平和プロセスの根本問題は安全保障です。

決着後のキプロスの安全保障について取り決めるために、1月18日、作業部会が召集される予定です。作業部会が2,3日、会談した後、さらにハイレベルの交渉が行われると、さる情報源が、15日、ロイターに語りました。イギリス、トルコ、ギリシャは、作業部会の立ち上げに合意しました。

関係するすべての国の専門技術者からなる作業部会は、1月18日、スイスのリゾート地モン・ペルランで開催される予定です。
エルドアン大統領は、先週、キプロス島からトルコ軍を全面撤退させるなど、“あり得ない”と言いました。


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「ナイトクラブ襲撃犯は息子を連れて逃げた」警察情報源

2017年01月14日 | 国内
1月16日 警察の情報源によると、イスタンブルの有名なナイトクラブを襲撃したイスラム国(IS)戦闘員は、襲撃後、息子といっしょに逃げたということです。

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1月1日、オルタキョイのナイトクラブ「レイナ」で39人を殺害し、69人を負傷させたウズベク人のIS戦闘員アブドゥルガディル・マスハリポフ(コードネーム=ムハムメド・ホラサニ)は、襲撃後、イスタンブル・ゼイティンブルヌの自宅に戻り、息子を連れて逃げたと、情報源は言っています。

警察はイスタンブルのマルテペ地区のある家を手入れし、マスハリポフの妻を拘束しました。「私は事件のことはテレビで知りました。私は夫がISの戦闘員だとは知りませんでした。シンパだと思っていました」と、妻は言っているそうです。新しい情報では、マスハリポフの妻は、1月11日、マルテペで拘束され、1歳半の娘は保護されました。

2016年初め、マスハリポフは、中央アナトリアのコンヤ県に、2人の子供と妻とやって来ました。警察によると、彼は、2016年12月末頃、イスタンブルのバサクシェヒルに家を借りました。2016年12月31日夜、彼は妻に、さよならと言って家を出ました。ナイトクラブ襲撃後、彼はゼイティンブルヌの家に戻って、妻と子供を連れだしました。マスハリポフは4歳の息子を連れて行方不明になりました。

「私たちは互いに、さよならと言い、彼は家を出ました」とマスハリポフの妻は、取り調べで、対テロ警察に言いました。警察は妻から得た情報によって、この男に助力したと思われる人々と、イスタンブルノISのアジトの所在を突き止めようとしています。


キプロス平和交渉にトルコ政府は3つの条件を出した

トルコはキプロス問題解決のために、安全保障と領土と大統領の交替制に関して、3つの条件を出したと、エルドアン大統領が、1月13日に言いました。

Hurriyet
左からギリシャ・キプロスのアナスタシアデス大統領、国連のグレーテス事務総長、トルコ・キプロスのアクンジュ大統領


キプロス問題に関する5者会談は合意に至らずに終わりましたが、むずかしい安全保障問題に取り組むために、1月18日、会談を再開することになりました。トルコ・キプロスは両者がテーブルに就くために誠意をもって努力してきたが、ギリシャ・キプロスとギリシャ政府は“まだ同じ立場に立っていない”と、エルドアン大統領は言いました。

解決のための3つの条件の一つ、安全保障問題に関して、エルドアン大統領は、「ギリシャはトルコ抜きの安全保障を考えるべきではない」と、くり返し、トルコ軍の全面撤退など“問題外”だと言いました。

一方、ギリシャ・キプロスのアナスタシアデス大統領は、1月13日、キプロス統合の取決めには、3万のトルコ軍を島から撤退させることを含めなければならないと言いました。トルコとギリシャは、以前、キプロスに軍を置くことで合意していると、エルドアン大統領は言い、ギリシャ軍950人に対しトルコ軍650人が同率だと主張しました。

「トルコ軍を全面撤退させろと言うなら、ギリシャも軍隊を撤退させることにすればよい」と、エルドアン大統領は言いました。「ジュネーヴの平和交渉は、2004年のアナン・プランとはべつの、新しい交渉プロセスだ」とエルドアン大統領は言い、モルフーとエレンキョイ(コッキーナ)をトルコ・キプロスに残せば、ヴァロシャを含むファマグスタはギリシャ・キプロスに入れてもよいと言いました。

エルドアン大統領は最後の条件として、大統領制について、「ギリシャ・キプロスは、トルコ・キプロス側から大統領を出すのは4回に1回と言っているが、それはフェアではない。2回に1回が妥当だ」と言いました。エルドアン大統領がこのコメントを出したのは、1月12日にジュネーヴで5者会談が行われた翌日でした。

1月18日、会談は再開される
5者会談のメンバーは、安全保障問題をもう一度検討するために、1月18日、会談を再開するでしょう。国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、ロイターに、「交渉の参加者たちは、解決策を見出すために“最後の努力”をすると確信している」と語りました。

ギリシャのニコス・コツィアス外相は、保証国の3人の外相が、1月23日にまた会談し、この問題を討議すると言いました。しかし、トルコのチャヴシュオール外相は、「トルコが合意する前に、日にちを発表するのは正当ではない」と言って、1月23日の会談を破棄しました。

「急いで決めるな」とグテーレス事務総長
グテーレス事務総長は、急いで決める必要はないと、何度も言っています。ギリシャ・キプロス人は、キプロスのギリシャへの統合を目的にした1974年のクーデターの後、トルコ軍が介入してきた過去を考えて、保証国制度の廃止を望んでいますが、トルコ・キプロス人は、キプロス戦争前、ギリシャ・キプロスのナショナリストにターゲットにされた過去を考えて、保証国制度の維持を望んでいます。

「この問題に関するわが国の立場と、トルコ・キプロスの立場は同じだ。トルコは保証国でありつづけ、トルコ軍は島に駐屯しつづけるだろう」と、チャヴシュオール外相は、1月12日、ジュネーヴの5者会談で、トルコを代表して記者団に語りました。「これはトルコ・キプロス国民の絶対必要な要求であり、彼らが最も気にかけている問題でもある」


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100万ドルの資産購入または200万ドル投資の外国人に市民権提供

2017年01月13日 | 経済
1月14日 1月12日付の官報に発表された新法令よれば、100万ドル以上の資産を購入した外国人、または200万ドル以上を投資した外国人、300ドル以上を預金した外国人に、トルコ政府は市民権を提供するそうです。

 Hurriyet
雪のイスティクラル通り、寒そうですね。


「100万ドル以上の不動産を、少なくとも3年間は売却しないという条件で購入した外国人、または200万ドル以上の投資を行った外国人、また300万ドル以上を銀行に預金した外国人、同額の国債を、少なくとも3年間満期で買った外国人には、トルコの市民権が与えられる」と、新法令は言っています。

また、この法令によると、トルコ国内で100人以上の職を提供したことを文書で証明した外国人も、同様に市民権を与えられます。

トルコの不動産会社は、市民権または居住許可を持っている外国人には、最低100億ドルの不動産を売ることができるそうです。


進行中のキプロス平和交渉で、国連が忍耐を促した

国連の新事務総長アントニオ・グテーレス氏が、ジュネーヴで行われているキプロス平和交渉で、“確固とした、持続性のある”解決に達するために忍耐強くあるよう、キプロスの2人の指導者に促しました。会議には、トルコ・キプロスとギリシャ・キプロスの両指導者のほか、保証国3国の外相が出席しました。

 Hurriyet
左からトルコ・キプロスのアクンジュ大統領、国連のグテーレス事務総長、ギリシャ・キプロスのアナスタシアデス大統領


1月12日、ジュネーヴのパレ・デ・ナシオン(国連ジュネーヴ事務局)での会議の開会に、グテーレス事務総長は「これから、みなさんは忍耐強くなければなりません」と言いました。この会議は彼にとって、国連事務総長としての初の外国旅行になりました。

「進むべき道があることは明らかです。会議の成果はあるでしょう」と、彼は言い、“早急な結論”ではなく“確固とした、持続性のある解決”を求めていくと付言しました。事務総長はまた、40年余の紛争の解決は近いと力説しました。

「われわれは、2分された、自治制の、連邦国家建設という解決のすぐ近くまで来ている」と彼は言いました。グテーレス事務総長は、大会のセッションは“きわめて建設的”で、その後、昼食をとりながら、非常にオープンな討論がつづいたと言いました。

この前日の11日、アクンジュ大統領とアナスタシアデス大統領のほか、地図の専門家1名ずつと、国連職員1名が参加した席で、地図の交換が行われました。地図には、両者が提案する、将来の領土の境界線が描かれています。3日間の平和交渉は11日に終わりました。

「これまで、両者がつくった地図が発表されたり交換されたりしたことはなかった」と、国連のキプロス公使、エスペン・バルト・アイデ氏は言いました。トルコ・キプロスの大統領は、トルコ・キプロスが1974年以来、支配してきた土地の一部を返却することに、基本的に合意しています。1974年、キプロスをギリシャに併合しようというクーデターが起こり、これに反発したトルコ軍が島の北部に介入して以来、島は2つに分断されています。

トルコ・キプロスの大統領府報道官バルシュ・ブルジュ氏はとギリシャ・キプロスの政府報道官ニコス・クリストドウリデス氏は、発表した地図は、これまでの交渉で合意された“枠内”でつくられたものだと言っています。これまでの交渉では、トルコ・キプロスは島の29.2%を保有することを提案し、ギリシャ・キプロスは28.2%を提案しています。

AFPによると、ギリシャ・キプロスのクリストドウリデス報道官は、「われわれはこれをきわめて肯定的な進展と見ている。だが、議論は残っている。最終的な地図はまだ合意されていない」と言っています。トルコ・キプロスのブルジュ報道官は、「将来の地図はもう国連に提出してる。それは国連が金庫に保管し、公表されていない」と言っています。

トルコのメヴリュト・チャヴシュオール外相、ギリシャのニコス・コツィア外相、イギリスのボリス・ジョンソン外相が出席する5者会談は、40年余の紛争中、初めてのことです。外相たちはキプロスの保証国として出席しています。EUの外務・安全保障政策上級代表のフェデリカ・モゲリーニ氏と、欧州委員会委員長ジャン・クロード・ユンケル氏も、1960年の保証条約によって得た地位で、オブザーバーとして出席しました。

チャヴシュオール外相オフィスの発表によると、「中東の現状をかんがみると、43年間のキプロスの安全と安定の基盤になっていた安全保障と保証国システムの継続は必要だ」と外相は密室会議で言ったそうです。「われわれはこの問題が、島の現実に即して論じられることを期待する」

イギリスも、かつて領土だったキプロスに軍事基地を持っていますが、最終的決着として、その土地の半分を断念すると申し出ています。チャヴシュオール外相はまた、“トルコ・キプロスの政治的平等、法による権利、安全保障”は、トルコ政府にとって、重要な外交政策の目標だと言いました。


「キプロス問題解決のためのジュネーヴ交渉は、両サイドに、解決を見出すためのチャンスを与えている」と、イギリスのジョンソン外相は、言っています。「イギリスは解決プロセスを全面的に支援し、できることはなんでも助力する用意がある」


PKKがディヤルバクルで区長暗殺を計画していた

1月2日、南東部ディヤルバクル県イエニシェヒル地区で、治安部隊が家宅捜索を行い、戦闘が始って、PKKの戦闘員1人が死亡しました。彼は同地区の区長の暗殺をもくろんでいました。

 HUrriyet
ガサ入れで押収されたPKKの武器


検事による現場検証が終わってから、PKK戦闘員の遺体は、検死のため、ガジ・ヤシャルギル訓練・研究病院に運ばれました。頭文字S.T.と認定された戦闘員は、イエニシェヒル地区に住民登録していました。

PKKに対する治安作戦を行うため、ディヤルバクルのリジェ地区とハニ地区の13の村々に外出禁止令が出されました。1月12日午前5時に始った外出禁止令は、治安部隊がPKK戦闘員とその協力者を殺傷し、彼らのシェルターや倉庫、武器を破壊するまでつづきます。外出禁止令の解除は追って通知すると、知事オフィスは言っています。


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「進展によっては、トルコ首相もキプロス交渉に出席する」EU担当相

2017年01月11日 | 国際
1月13日 トルコ・キプロスとギリシャ・キプロスの大統領の間に、実質的な進展があれば、トルコのビナリ・ユルドゥルム首相も、ジュネーヴで行われる国連主導のキプロス交渉に出席するだろうと、オメル・チェリキEU担当相が言いました。
HUrriyet

「ギリシャのアレクシス・ツィプラス首相とイギリスのテレサ・メイ首相が出席するなら、わが国の首相も保証国会議に出席するだろう」と、チェリキEU相は1月11日、記者団に語りました。しかし、首相会議の前に、メヴリュト・チャヴシュオール外相が、最初の話合いのためにジュネーヴに行くと、EU相は言い、保証国会議へのユルドゥルム首相の出席は、トルコ・キプロスとギリシャ・キプロスの間の進展によって決まると強調しました。

トルコ・キプロスとギリシャ・キプロスの両大統領は、1月9日以来、再統合交渉のキーポイントを話し合ってきました。トルコ、ギリシャ、イギリスの3保証国が出席する会議に先立って、両キプロス政府は、1月11日、マップを交換しました。5者会議では、保証国の権利の継続に関して話し合われます。


「トルコの刑務所に780人のIS容疑者がいる」法務省

トルコ法務省によると、350人の外国人を含め、少なくとも780人が、イスラム国(IS)関連で拘束されています。

 Hurriyet

法務省は1月11日、報告書を発表し、現在、ISメンバー容疑で725人が刑務所にいると言いました。このほかに、55人がISのメンバーと確認されています。報告書によると、73人がテロ組織アルカイーダだのメンバーだと確認されています。他の10人もまだ拘束されています。

2015年以来、トルコは国内およびシリア国境沿いで、数種のテロリスト組織と戦ってきました。シリアと国境を接する県では、戦争に荒廃したシリアの都市アレッポーからの撤退後、トルコで治療を受けた負傷者の数は482人に達しました。ハタイ県知事オフィスは、アレッポー市民の負傷者482人の中の76人は重傷で、他の102人は退院したと言っています。

先月、トルコとロシアの仲介によって、シリアの反体制派軍と体制派が停戦交渉に達し、反体制派が支配するイドリブへ、市民を撤退させました。トルコ当局によると、これまで約44,000人がアレッポー周辺から撤退しました。


現在、70人以上のテロの負傷者が入院治療中

トルコの病院は、現在、最近のテロで負傷した70人以上の人々の治療に当たっていると、レジェプ・アクダー保健相が、1月11日、アンカラで記者団に語りました。

こんな記者会見する保健相も辛いですね。


イスタンブル、カイセリ、イズミルのテロで負傷した71人は、現在、病院で治療を受けているが、その中の7人は重態だと保健相は言いました。100人以上が死亡し、何十人もが負傷した一連のテロに、トルコは悩まされています。最近のテロはイスラム国(IS)とクルド労働者党(PKK)が犯行声明を出しています。


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「あいつを殺してやりたかった」レイナでテロリストを蹴った男

2017年01月11日 | 国内
1月12日 イスタンブルのナイトクラブ「レイナ」がテロ攻撃を受けたとき、テロリストを蹴飛ばした男が、「戦闘員が1人だとわかっていたら、あいつを殺してやるんだった」と言いました。

 Hurriyet

「1人だとわかったら、殺してやるんだった」とHurriyet 紙に語ったT.B.さん(28)は、その戦闘員は最近、ウズベク人のアブデュルカディル・マスハリポフと認定された男だったと言いました。最近出てきたクラブ内の映像では、テロリストはT.B.さんに蹴られ、手投げ弾を爆発させています。

T.B.さんは、「マスハリポフの仲間がクラブ内にいたことはまちがいない」と言っています。「彼が1人であれだけやるのは不可能だ。それに、あんなにたやすく逃げられるわけがない。彼は前から計画を立て、クラブ内に入った。私は、だれかが彼に携帯電話で内部の情報を教えていたのだと思う。あの男には、絶対、仲間がいた」

T.B.さんは、あの晩、フィアンセと友人たちといっしょに「レイナ]に行きましたが、友人のムスタファ・セズギン・セイメンさんとムスタファ・カヤさんは亡くなりました。「私たちは7人でクラブに行きました。あそこに行くのは不安でしたが、クラブ内に入ったら、不安は吹っ飛びました。私たちのそばにモロッコ人の女の子が2人いましたが、1人は頭を撃たれ、もう1人は足を撃たれました」

「音楽が大きくて、銃声が聞こえませんでした。銃声を聞いて、私たちは床に身を伏せました。女の子たちはショックを受けていましたが、私は落ちついていました。銃声は5分間つづきました」クラブ内には火薬の匂いがたちこめていました。

「私は全員殺されると思いました。銃声が止んだ後、私は周囲を見まわしました。みんな床に寝て、死んだふりをしていました。私はみなに、しゃべるな、動くな、と言いました。フィアンセが、あいつが近づいてくると言いました。私は彼女に、目を閉じ、息をするな、と言いました。あいつは左手に手投げ弾を持ち、右手で安全ピンを引きました」

「彼はフィアンセのまえで膝をつき、“アッラー、アクバル”(神は偉大なり)と言いました。私は“やめろ、やめろ!”と叫び、あいつを蹴りました。手投げ弾が爆発し、私は10秒間、視力を失いました。手投げ弾の爆発をまともに受け、耳はがんがん言っていました」
 
テロリストも何秒間か意識を失っていたようです。「銃声がつづいていたので、私たちは撃たれると思い、その瞬間を待ちました。あいつが1人だとわかっていたら、蹴った後、もっとやっていたでしょう。私はあいつを生かしておかなかったでしょう。私は彼を捕まえ、殺すチャンスがあったのです」とT.B.さんは言いました。「行動しなかったのは残念ですが、あのときはなにもできなかった」


CHP議員は終身刑、ジュムフリエト紙の2人は10年禁固を求刑された

イスタンブルのメフメト・イエシルカヤ検事は、最大野党・共和人民党(CHP)のエニス・ベルベルオール議員に終身刑、ジュムフリエト紙のジャン・デュンダル前編集長とエルデム・ギュル前アンカラ支局長に10年の禁固刑を求刑しました。

 Hurriyet
中央(眼鏡)がベルベルオールCHP議員


イエシルカヤ検事は、1月11日、ベベルオール議員に対する起訴状で、“武装テロリストと知りながら援助し”“意図的にメンバーにならなかった”とし、また、機密の情報を発表したとして、終身刑を求刑しています。審問は3月1日に始まります。

2015年5月のジュムフリエト紙は、「国家情報局」(MIT)が所有するトラックが、2014年初め、武器や弾薬を積んでシリアに向かっていたと報道しました。ベルベルオール議員に対する起訴状は、彼がデュンダル編集長に寫眞7を渡したと言っています。デュンダル前編集長とギュル前支局長は、情報局のトラックに関する記事によって“国家機密をリークした”として起訴されました。

2人は2015年11月26日、逮捕され、2016年2月26日、憲法裁判所の判決によって釈放されました。デュンダル氏は釈放後書いた本で、2014年5月27日、“極左議員”が、この写真を彼に持ち込んできたと言っています。検事オフィスはデュンダル前編集長の電話記録を調査し、彼は本に書いたことをベルベルオール議員に話したと判断しました。


ガジアンテプ警察署で戦闘。テロリスト1人死亡

1月10日 南東部ガジアンテプの警察署で起こった戦闘で、テロリスト1人が死亡し、警官1人が負傷しました。

 Hurriyet

午後3時頃、銃声が連続して響き、テロリストが警察に侵入しようとしました。1人の警官が建物に入ろうとするテロリストに発砲しました。特殊部隊と対テロ警察隊が、すぐに現場に駆けつけました。多くの救急車も集まりました。目撃者は、戦闘後、テロリストの1人が現場から逃げたと言っています。警察は近くの建物の内部や駐車場を捜索し、逃げたテロリストの情報を得たということです。

この警察署は2016年5月にも、車爆弾攻撃を受け、入口の警備が強化されていました。昨年のテロでは、警官2人が死亡し、警官18人を含む22人が負傷しました。


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テロで戦死した英雄的警官の愛犬が主人を待っている

2017年01月10日 | 国内
1月11日 イスタンブルの裁判所前で起こったテロ事件で、大規模な被害を阻止して犠牲となった英雄的警官フェティ・セキンさん(43)の愛犬が、彼がなくなった場所で、セキンさんを待ちつづけています。

 Hurriyet
しょんぼり悲しそうなゼイティンちゃん


10年間、裁判所の警備に当たっていたセキンさんは、裁判所のそばで、ゼイティン(オリーブ)と名づけた野良犬をかわいがっていました。テロ攻撃を撮った防犯カメラの映像にも、セキンさんの後を追って走るゼイティンの姿が映っていました。

テロリストは裁判所に押し入ろうとしました。彼らは裁判所内で多くの人命を奪うつもりだったのでしょう。しかし、セキンさんはテロリストに立ち向かいました。彼はテロリストとの戦闘で亡くなりました。窓から見ていた裁判所の職員ムサ・ジャンさんも、流れ弾に当たって亡くなりました。

セキンさんが亡くなったとき、犬はその場にいたそうです。彼の友人たちによると、セキンさんはこの犬をとてもかわいがっていたそうです。

Sabah
愛娘を抱くセキンさん


1月8日、エルドアン大統領はセキンさんの家族に電話で弔意を伝えました。公正発展党(AKP)のオズヌル・チャルク副議長が、東部エルズーに住むセキンさんの未亡人と家族を訪ねました。エルドアン大統領は、チャルク副議長の電話で弔意を述べ、冥福を祈りました。「セキンさんは自らを犠牲にして大虐殺を阻止した」と大統領は彼を讃えました。

セキンさんの妻はエルドアン大統領に、子どもたちへの援助を求めました。「私の子供たちは父親を失いましたが、あなたという、もう1人の父親を得ました。子供たちの養育の援助をお願いします」と、彼女は訴え、大統領は「トルコは戦死者の子供たちを責任を持って引き受けている」と答えました。「トルコ共和国は子供たちをしっかりと引き受けます。心配しないでくださいね。政府は、教育も含めて、子どもたちの面倒を見ますよ」


イズミルのテロ事件で負傷した警官が死んだ警官を賞賛した

イズミルの裁判所のクルド労働者党(PKK)によるテロ攻撃で負傷した警官が、フェティ・セキンさんの最期を語りました。セキンさんは大規模なテロ攻撃を阻止した英雄と讃えられています。

 Hurriyet

「フェティさんの行動はまさに英雄的です。彼は盾をかざして、カラシニコフの前に立ちました。フェティさんは多くの子供たちが父親を失うのを阻止し、自分の子供たちを父親のない子にしてしまいました。セキンさんは多くの命を救ったのです」と、1月5日のテロ事件で負傷した警官オーウズハン・バトゥハン・アティクさん(27)は、入院しているテペジク研究・訓練病院で、アナドル通信に語りました。「安らかに眠られますように。彼は多くの命を救ったのです。天国で安らかに」

アティクさんはPKK戦闘員に車をぶつけられました。「私は武器の交換のために、裁判所の外に出ました。私が警官詰め所を出て道路のほうへ行くと、1台の車が私に向かって突進してきて、私ははねられました。一瞬のことでした。私をはねた後、テロリストは車を出て、逃げ出しました。私は地面に倒れていました。私はフェティさんがテロリストを追って走るのを見ました。テロリストらは道路を渡って避難した後、車を爆発させました。私は地面に倒れていたので、爆発の影響は受けませんでした。爆発の後、なにが起こったかはおぼえていません」

インタビュー中、アティクさんは、「私たちは治安部隊として命を国に捧げる覚悟がある」と言いました。「爆発の前に、フェティさんが逃げるテロリストに2度発砲する音を聞きました。テロリストの終焉は来るでしょう。国家はその決意です。私たちはともに彼らと戦います」


降雪つづきで、全国的に人々の生活がストップ

イスタンブルを含む多くの県で零下の気温がつづき、多くの県で学校が休校になっています。

 Hurriyet

イスタンブルの災害対策センター(AKOM)の情報によると、イスタンブルでは雪とみぞれが1月13日までつづくと予想されます。今後何日かは、ほとんど曇り日でしょう。気象庁は1月12日から雨になると言っています。気温は上がり、雪はやむと予想されます。気象庁は1月10日から、暖かい南西の風が吹きはじめると予想しています。しかし、夜の気温は零下がつづくと予想されます。

イスタンブルの気温は、1月14日には14度まで上がると期待されます。1月9日、トルコ航空(THY)は、大雪と嵐のため、全国内便を1月10日午前12時まで欠航にすると発表しました。欠航のため、イスタンブルのアタテュルク空港では、多くの乗客がフロアで眠っています。車椅子の乗客にはホテルの優先権が与えられました。

イスタンブルのフェリーとシーバスにも影響が及んでいます。イスタンブル知事オフィスは、降雪のため、1月11日まで、学校は休校にすると発表しました。


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