蹶起の眞精神は
大權を犯し國體をみだる君側の重臣を討って大權を護り、
國體を護らんとしたのです。
藤田東湖の
「大義を明かにし人心を正せば、皇道焉んぞ興起せざるを憂へん 」
これが維新の眞精神でありまして、靑年將校蹶起の眞精神であるのです。
維新とは具體案でもなく、建設計畫でもなく、
又、案と計畫を實現すること、そのことでもありません。
大御心
朕が憾みとするところなり
目次
クリック して頁を読む
昭和天皇と昭和維新
陸軍首脳の事件収拾方針の協議が進められていたのであるが、
これに対する 陛下の不信、激怒 は 變らなかった。
「 事件の處理は私がやった 」
との 陛下のお言葉のように、
この段階で進めらていた陸軍首脳の方針に、待った、を かけられた。
陛下のご意志のまえに、軍當局は絶對的な苦悩に陥ることになった。
朝令暮改というが、
陛下の激怒によって軍首脳は、今や施す術がなかった。
百八十度の變轉である。
・・・二・二六事件の収拾処置は自分が命令した
・・・天皇の一党一派に偏した御態度が、 その後の国の歩みを誤らす原因になった
速やかに暴徒を鎭壓せよ、
秩序の恢復するまで職務に精励せよ
・ 本庄日記 ・ 帝都大不祥事件 第一 騒亂の四日間
・ 速やかに暴徒を鎭壓せよ
・ 俺の回りの者に關し、こんなことをしてどうするのか
・ 天皇は叛亂を絶對に認めてはいけません、 そして 叛亂をすぐ斷壓しなければなりません
・ 伏見宮 「 大詔渙初により事態を収拾するようにしていただきたい・・」
・ なにゆえにそのようなものを讀みきかせるのか
・ 自殺するなら勝手に自殺するがよかろう
・ 陸軍はこの機會に嚴にその禍根をいっそうせよ
・ 本庄日記 ・ 帝都大不祥事 第四 陸相への御言葉
二十七日午後、本庄武官長を召された天皇は、
これについて彼の意見を求められている。
「 行動をおこしました將校の行爲は陛下の軍隊を勝手に動かしましたる意味において、
統帥權を犯すの甚だしきものと心得ます。
その罪もとより許すべからざることは明白でござりますが、
しかしその精神に至っては
一途に君國を思うに出たるものであることは疑う餘地もあるまいと存じます。
よって、武官長個人の考えといたしましては、
今一度説得して大御心の存するところを知らしめることが肝要と心得まする。
戒嚴司令官においても武官長と同意見であろうと考えます 」
「 武官長 」
天皇の聲は凛として冴えかえっていた。
「 彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか、
かくの如き兇暴な行動を敢えてした將校らをその精神において、何の恕すべきところがあるか、
朕がもっとも信頼する老臣を悉く殺害するのは、朕が首を眞綿で締むるのと同じ行爲ではないか 」
「 仰せの如く 老臣殺傷は軍人として最惡の行爲であることは勿論でございまするが、
しかし、たとへ彼らの行動が誤解によって生じたものとしても、
彼ら少壯將校といたしましては、
かくすることが國家のためであるという考えに端を發するものと考えます 」
「 もし、そうだとしても、
それはただ私利私慾のためにするものではないというだけのことではないか、
戒嚴司令官が影響の他に及ぶことを恐れて、
穏便にことを圖ろうとしていることはわかるが、時機を失すれば取りかえしのつかぬ結果になるぞ、
直ちに戒嚴司令官を呼んで朕の命令を傳えよ、
これ以上躊躇するならば 朕みずから近衛師團を率いて出動する 」
「 そのように御軫念をわずらわすことは恐れ多き限りでございます。
早速、戒嚴司令官に傳えて決斷を促すように致します 」
・・・「 彼等は朕が股肱の老臣を殺戮したではないか 」
立憲君主国の最高権力者である天皇は、
自分の握っている制度の破壊者を許すことができなかったのである。
青年将校達が 「 君側の奸 」 と呼んだ者は、天皇によれば 「 最モ信頼セル老臣 」であった。
のみならず、天皇は 「 真綿ニテ朕ガ自ヲ締ムルニモ等シキ行為 」 といって、
天皇 自らがこの事件の被害者であることを訴えている。
青年将校達の思ってもみなかったことであろう。
・・・天皇と青年将校のあいだ 4 天皇が天皇に向って叛乱したようなもの
それで陸軍の威信を保ち責任をはたしうると思うのか、
自殺するなら勝手に自殺するがよかろう。
このようなものに勅使などとは、もっての外である。
また、第一師團長が部下を愛するのあまり、
進んで行動をおこすことができないというのは、
みずからの責任を解せざるものである。
もはや、論議の餘地はない。
立ちどころに討伐し叛乱を鎭定するように嚴達するがよい。
・・・ 自殺するなら勝手に自殺するがよかろう
・・・天皇と青年将校のあいだ 3 極めて特殊で異例な天皇の言動
勅語
「 今次東京ニ起レル事件ハ、朕ガ憾ミトスル處ナリ 」
あの勅語の中に
朕の恨みとする所 というお言葉があるが、
ああいうお言葉があると、
叛乱将校達に対し、天皇の深い憎しみがかかっていることが、
明らかに看取せられるが故に、いわゆる皇道派と統制派の相剋が一層ヒドクなる。
殊に それが下々にいくほど鋏状に甚だしくなって、
軍内部の相剋が激しくなることを、お考えにならなかったのでしょうか。
・・・『 朕の憾みとする 』 との お言葉
・・・天皇の一党一派に偏した御態度が、 その後の国の歩みを誤らす原因になった
天皇は陸軍に対し非常な不信を表明された。
事件終結のあと、川島陸相に対し、
「 陸軍において發生せる今次の事件は、
國威を失墜し 皇軍の歴史と傳統に一大汚點を印たるものと認める。
陸軍はこの機會に厳にその禍根を一掃せよ 」
と、きびしくいわれている。
・・・ 陸軍はこの機会に厳にその禍根をいっそうせよ
・・・ 本庄日記 ・ 帝都大不祥事 第四 陸相への御言葉
処刑されてゆく青年将校はじめ、その同調者達は、
彼等を敗北に追い込んだ統制派の策謀に万斛の恨みを抱く。
青年将校達の天皇帰一の至純な運動も、統制派によって穢けがされ 歪められ、ついに葬られた。
本来なら天皇に届くはずの彼等の忠誠心もファッショ的軍閥によって遮られてしまった。
然し、青年将校達の意図を踏みにじったのは、果して統制派だったのか。
実は、どの勢力よりも断固として青年将校を許さない大権力があった、
それは、天皇自身であった。
・・・天皇と青年将校のあいだ 2 天皇制の至純を踏み蹂ったのは天皇自身であった
「 大御心 」 が 改造を必要なしと判斷した。
青年将校達は、天皇の名により叛徒とされ処刑された。
然し、彼等はそれが天皇の真の判断ではなく、
君側の奸によって曇らされた天皇の形式的判断だと思って死んでいった。
だからこそ、
死にあたってもなお、彼等は 「 天皇陛下万歳 」 」 を 叫ぶことができた。
戦後に公にされたいくつかの文書は 甚だ特殊で異例な天皇の強烈の意志を明るみにだした。
青年将校達は、それと知らないで死んでいった。
若しそれを知っていたら、
彼等は絶望という言葉ではとても事足りないほどの 徹底的な絶望を味わねばならなかったことになる。
・・・天皇と青年将校のあいだ 6 大御心は大御心に非ず
大御心は一視同仁
天皇陛下は嘉し給わなかった
陛下の嘉し給わぬ行動は天人共に許さぬ行動であろうか
若し我々が天下の義に背いた行動をしたのであれば、
直ちに死するべきである
天皇陛下の為に国を憂えて身命を擲ったこの行動が、
陛下の逆鱗に触れ、そして逆徒になる
こんな馬鹿げたことがあろうか
我々は軍に入り陛下の大命により戦場に生命を捧げることを身上とした者である
しかも自ら進んで天下大義の為に立ったのだ
それにも拘わらずその義軍が叛徒として葬り去られたのだ
こんな悲しみがあろうか
天を仰いで長大息しても、この恨みは尽きるものではない
これは神に対する絶望であろうか 身震いするような恐怖であった
我々が蹶起した昭和維新の大義がこの世に存在の価値がないとすれば、
今日迄我々の生きてきた支えは壊滅してしまうのだ
朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、
此ノ如キ暴ノ將校等、
其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ
確かに陛下は股肱を殺されたとお考えあそばされた。
だがな、陛下からご覧になれば股肱でも、我々から見れば君側の奸だった。
陛下のお考えは極めて理にかなつたことだったと俺は思う。
だから、合理と不合理のぶつかり合いを起こしたのさ。
維新なんてものは、合理じゃ片付かんよ。
勝つことを計算しない、後の人事も見返りも考えないのだから不合理な行動さ。
・・・ある日より 現神は人間となりたまひ
天皇陛下
何と云ふ御失政でありますか、
何と云ふザマです、
皇祖皇宗に御あやまりなされませ