昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い
生涯の記憶を切取らん

 

話せば分る・・問答無用

2017年05月15日 | 2 男前少年 1963年~

昭和40年(1965年)
小学校で戦争映画が観れる・・と、誰彼となく情報が流れた
「戦争映画、見に行こう!」
5年生の私は
4年生の山田を連れて、ワクワクしながら小学校へ行ったのである

行ってみると
本館(鉄筋コンクリート3階建)2階の教室で、20、30人の大人がいて、8ミリの記録映像を観ていた
私等は、教室の戸口(一番後ろ)傍で立ったまま、それを見ることにしたのである
然し
それは
つまらなかった
私は勇ましい戦闘シーンのある戦争映画だとばかり思っていたのに
期待は大外れであった
映画鑑賞というものではなかったのである

はなっから、おかしい・・・とは、想った
学校の教室で映画鑑賞する
然も、夜に行われる
案の定
上映時間は、ほんのわずかで
私には わけの判らないことを話し出したのである
其は
ベトナム戦争の反戦がテーマの講演会だったのである



当時は、軍歌がブーム
戦争物のテレビ番組も数多くあった
テレビアニメ、週間漫画と
少年達は心を躍らせて、片っ端から、それを見ていた
私も、その中の一人であったのである
 リンク→軍歌を歌った時代があった
 リンク
強い は 男のロマン

「陸海軍流血史」 五・一五から二・二六へ
昭和40年(1965年)11歳の頃、テレビで視た戦争映画である
それが何と 40年以上 経って
偶然に、インターネットオークションで 発見し 手にしたのである
暗い、重い、哀しい、・・・断片的な記憶なれど、脳裡をずっと離れなかった
思へば 脳裡を離れなかった記憶こそ
私の 潜在意識 そのものであったのだ
 ・・リンク→昭和維新

私の五・一五事件

担任の おんなせんせい 

「日本の出来事、世界の出来事を、毎日提出しなさい」 と、宿題を出したのである

クラスの皆は新聞の見出しを使った

それが、おんなせんせい の思うツボであったのだらう

皆が毎日、必死で新聞を見るのであるから

私は困った 

そして、そんな宿題を出した、おんなせんせい に不満であった

新聞も ろくにとれない家庭の子の私 

如何すりゃいいの・・

私はNHKニュースを、かじり付く様に視た

アナウンサーの言葉を必死に書き留めたのである

こんなことで、チャンとしたものが出来るはずもなからうに・・・

そしてもう一つ

「偉人の名言・格言、を提出しなさい」・・・宿題です  と

困った挙句、私は

「話せばわかる」  「問答無用」

そう書いて、提出した

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