あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

純真なる天皇観なるがゆえに

2021年06月01日 13時37分08秒 | 道程 ( みちのり )


二 ・ニ六事件はなぜ挫折したのか、
これを戦術的にいえば、彼らが維新革命に徹しきれなかったことにあるともいえる。
あれだけの武力を動員しながら、彼らはみずからが革命の母体となることを避け、
まず陸軍をして革新に進ましめ、その陸軍をもって天皇に維新発動を要請せしめようと企てた。
これがため陸軍首脳の説得に全力をつくしたが、遺憾ながらそれは空ぶりにおわった。

「 吾人は維新の前衛戦を戦いしなり、獨斷前衛戰を慣行せるものなり。
 もし本隊たる陸軍当局がこの獨斷行動を是認するか、
 もしくはこの戰闘に加入するかにより陸軍は明らかに維新に入る。
 これに従って國民がこれに賛同せば、これ國民自身の維新なり。
 しかして至尊大御心の御發動ありて維新を宣せらるとき 日本國は始めて維新の緒につきしものなり。
 余はこれを翼願し これを目標とし 蹶起後において専念 この工作に盡力せり ・・村中孝次 『 続丹心録 

だが、なぜに彼らは他力をたのみ、みずから革命の主体たることを忌避したのだろうか。
それは、兵力をもって大權の發動を強要し奉ることは、彼らにとっては國體の破壊であるとしていたからである。

「 いやしくも兵力を用いて大權の發動を鞏要し奉るがごとき結果を将來せば
 至尊の尊嚴國體の権權威を如何せん 」

「 軍政府樹立、しかして戒嚴宣布これ正に武家政治への逆進なり。
 國體観念上 吾人の到底同意し能わざるところなり 」 ・・村中孝次 『 丹心録 

みずから革命の主體となり革命を進めることは、
この國では天皇への鞏要を意味し それは國體破壊だというのである。
いわば、彼らのもつ國體観、天皇観がこれを許さなかったのである。
では、その國體観、天皇観とは何か。

「 我國體は上は万世一系連綿不変の天皇を奉戴し、
 万世一神の天皇を中心とせる全國民の生命的結合なることにおいて
 万邦無比といわざるべからず。 我國體の真髄は實にここに存す 」 ・・村中孝次 『 続丹心録

すなわち、
我國體は天子を中心とする全國民の揮一的生命体であり
天皇と國民とは直通一體たるべく、
したがって、
天皇と國民とを分断する一切は排除せられ、
國民は天皇の赤子として奉公翼賛にあたるべきもの。
たしかにそれは天皇制國家の理想像であった。
一方、日本國體における天皇は 「 神聖ニシテ侵スベカラズ 」 であったが、
軍人のとらえる天皇は、大元帥としての天皇であった。
軍統帥権者としての天皇は、その統帥に服する軍人にとっては、「 絶對 」 の天皇であった。
「 天皇 」 という一言で将兵一同粛然と姿勢を正すといった軍隊社会では、
もはや天皇は現世における絶對の權威であった。
これが現人神であったのだ。
このことは革新に燃える青年将校といえどもその例外ではない。
否 むしろ 天皇信仰の第一人者であった。
したがって、
この一擧においても 天皇の意思
即ち 大御心  は青年将校の憶測予断を許せざるものであった。
ただ、陸軍首脳を鞭撻し
その首脳者の天皇輔翼によってのみ、維新への道を開こうとしたにすぎない。
ここでは必然にこのクーデターに限界があった。
彼らの天皇信仰から發したこの維新革命も、その天皇信仰の故に、たどりつくべき宿命的障壁をもっていたのだ。
そして事は敗れたが、
その敗戦は彼らのいう殺戮の不徹底でもなければ、また、鳥羽伏見の戦が蛤御門の戦であったわけでもない。

実にその敗因は彼らの天皇観とその信仰にあったといえよう。
天皇の御爲めと、その純眞なる天皇観に支えられて 蹶起したが、
天皇の名による裁判によって処刑された彼らこそ、その忠誠心が至純なだけに、歴史の悲劇と斷ぜざるを得ない。

ここに安藤大尉の遺書
「 國體を護らんとして逆徒となる 万斛の恨み涙も涸れるああ天は 」
が 悲痛なひびきをもって、われわれに迫ってくるものがある。

・・大谷敬二郎著  『 二 ・ニ六事件 』 あとがき から


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