あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

赤子の微衷 (三) 後事を托された人達

2019年11月18日 06時02分32秒 | 赤子の微衷 4 後事を托された人達 (末松太平、大蔵榮一、佐々木二郎)

「 東京はいま、激しく揺れ動いています。
その後の状況は全く不明ですが、
成功するか惨敗するか、そのわかれ目に苦闘している毎日であるように思われます。
戒厳令が布かれたといううわさもありますが、明確ではありません。
明治維新の前例が示すように、地方の雄藩が藩論を統一して幕府を倒したごとく、
まず 連隊長を中心に連隊の藩論を統一し、
それを師団に及ぼし、地方部隊の総意として中央部を推進することが、
われわれにのこされた唯一の道であると思いますが、連隊長はどう思いますか 」
私は、連隊長に誠意を披露して、意見を思う存分開陳した。
「 その通りだとは思うがなァ・・・・」
・・・大蔵栄一大尉の四日間 2

赤子の微衷 (三)
後亊を托された人達
目次

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・ 
佐々木二郎大尉の四日間 

・ 
末松太平大尉の四日間 1 
・ 末松太平大尉の四日間 2 
・ 
末松太平大尉の四日間 3 

・ 
大蔵栄一大尉の四日間 1 
・ 
大蔵栄一大尉の四日間 2 
・ 大蔵栄一大尉の四日間 3 
・ 
大蔵栄一大尉の四日間 4 

蹶起部隊は警備部隊の一部として警備地区を与えられ、左翼の蠢動に備えて治安に任じている、
安藤隊は幸楽にいるというニュースを得て、それを皆に伝えた。
それでは安藤大尉に電報を打って、第八師団の状況を通知してやろうではないか、
地方の同志はどうしているだろうと案じているだろうから・・・・と、
誰が提案するまでもなく、その場の空気で相談が持ちあがり
「 師団はわれわれとともに行動する体制にあり 」
の 電報を打った。
・・・末松太平大尉の四日間 1


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