あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

説得と鎭壓

2021年07月03日 15時20分10秒 | 説得と鎭壓

上奏案 ( 未定稿、要旨也 )
現時迄の情勢に依るに、三宅坂附近占據の將校以下、事件決行後、
其待望せる昭和維新への實際的進行遅々として進まざるを憂慮し、
其端緒を見る迄は身命を捧げて君國に殉ずるの決心を堅持しあり。
爲に事體の推移を此儘に放置する時は、皇軍相撃ち且無辜むこの臣民、
外國人等に對しても死傷者を生ずる大不祥事を見ずしては
本日拝受せる奉勅命令の實行や不可能となりたるものと判斷せれらる。
若し萬一建國以來の皇謨こうぼに則のつとり、     « 皇謨・・天皇のはかりごと »
昭和維新に發進せしめらるるゝ行し、事體を完全に収拾し得るものと信ず。
此かくの如きことを上聞に達するは恐懼措おく能はざるも、
事態の重大性極めて深刻にして、皇國興廢の岐わかるゝ秋ときなるに鑑み
臣等謹みて聖斷を仰ぎ奉る。
戒嚴司令官  香椎浩平
・・撤回せる上奏案 

説得と鎭壓
目次
クリック して頁を読む

・ 
香椎浩平 「 蹶起部隊を隸下に入れよう 」 
・ 『 二 ・二六事件機密作戰日誌 1 』 
『 二 ・二六事件機密作戰日誌 2 』
・ 戒嚴参謀長 安井藤治 記 『 二・二六事件の顛末 』 

・ 大臣告示の成立經過 
・ 
大臣告示 「 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 」
 

・ 命令 「 本朝出動シアル部隊ハ戰時警備部隊トシテ警備に任ず 」 
・ 戒嚴令 『 麹町地區警備隊 ・ 二十六日朝来來出動セル部隊 』 

軍事參議官・阿部信行大將 『 我々軍事參議官ハ一致結束シテ時局収拾ニ當ル 』 
・ 眞崎大將の眞情の告白

維新大詔 「 もうここまで來ているのだから 」 

・ 
地區隊から占據部隊へ 
・ 「 オイ磯部、君らは奉勅命令が下ったらどうするか 」 
・ 「 小藤大佐ハ爾後占據部隊ノ將校以下を指揮スルニ及バズ 」 
・ 撤回せる上奏案 
・ 「 私の決心は 變更いたします。討伐を斷行します 」 
・ 「 斷乎、反徒の鎭壓を期す 」 


 
奉勅命令
「 現姿勢ヲ撤シ 各所属部隊長ノ隷下ニ復帰セシムベシ 」
 


「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺ひ申上げようではないか。
奉勅命令が出るとか出ないとか云ふが、一向にわけがわからん、
御伺ひ申上げたうえで我々の進退を決しよう。
若し 死を賜ると云ふことにでもなれば、將校だけは自決しよう。
自決する時には勅使の御差遺位ひをあおぐ様にでもなれば幸せではないか 」
・・・
栗原中尉
・・・ 
彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか 

・ 
村中孝次 「 奉勅命令が下されたことは疑いがない。大命に從わねばならん 」 
・ 「 奉勅命令ハ傳達サレアラズ 」 
・ 兵に告ぐ 「 今からでも決して遅くない 」 
・ 
「 お前たちの精神は、この山下が必ず實現して見せる 」 
・ 
丹生中尉 「 手錠までかけなくても良いではないか 」 
・ 「 畢生の至純を傾け盡して御國のご維新のために陳述す 」 
・ 
「 これからが御奉公ですぞ。しっかり頑張ろう 」 

ラジオにおいて勅命により 事のいかんを問わず所属隊に復歸すべしときき、
まず首相官邸に行かんとし自動車にのり行ったところ同志がおらず、陸相官邸に行きました。
この時參謀の砲兵大尉に會い同じ砲兵であるので二人で相擁して泣きました。
わたしはここで二、三時間まっていましたが、
私は自決の爲 拳銃を腹の中にしまっておったのであります。
このとき私の考えたことは自決するのが一番この世の中では楽だと思いましたが、
自決したならば世の中はどうなるのだろうかと考えました。
しかし 私としてはどうしても自決せねばならぬと考えたのであります。
午後六時頃であります、
このとき 石原大佐は お前ちは自首してきたのであろうと侮辱的に聞きましたから、
私は自首したのではありません、
武人として面目を全うさせていただきたい爲でありますと答えました。
私はこの時、非常に遺憾に思うたことは、自決する機會を与えられなかったことです。
即ち私をしていわしむることを聞き、しかる後武人の最後を飾らせていただきたかったのです。
單に時間だけ与えられても、結局それならば私達は何をやったか無意味なものになると思います。
つまり陸相官邸に病院から行ったのは、赤穂義士的な最後を求めたいと思ったからであります
・・・安田 優


この記事についてブログを書く
« あを雲の涯 (二十一) 西田税 | トップ | あを雲の涯 (二十) 相澤三郎 »