昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

などてすめろぎはひととなりたまいし

2021年02月06日 05時37分29秒 | 10 三島由紀夫 『 男一匹 命をかけて 』

かけまくもあやにかしひき
すめらみことに伏して奏さく           まお
今、四海必ずしも波穏やかならねど
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌の世をば現じ             こふくげきじょう  げん
御仁徳の下、平和は世にみちみち      もと
人ら泰平のゆるき微笑に顔見交わし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国の金銭は人を走らせ            とつくに
もはや戦いを欲せざる者は卑怯をも愛し、
邪まなる戦のみ陰にはびこり          いくさ  (いん)
夫婦朋友も信ずる能わず
いつわりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおおい
刀は貶せられ、肉は蔑され、          へん  なみ
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠慢と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃え、
快楽もその実を失い、信義もその力を喪い、
魂は悉く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおおいかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑いは浸潤し
魂の死は行人の額に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾にして去り       すゆ
清純は商われ、淫蕩は衰え、          いんとう
ただ金よ金よと思いめぐらせば         かね
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生かしこげの安住の宿りを営み、        なま
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰えたる美は天下を風靡し
陋劣なる真実のみ真実と呼ばれ、       ろうれつ
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲求不満の蛍光燈に輝き渡り、
朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨減し、
烈しきもの、雄々しき魂を払う。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う。      あざわらう
かかる日に、
などてすめろぎは人間となりたまいし     ひととなりたまいし

・・・・・・・・・・・・・・・・

われらには、死んですべてがわかった。
死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。  とどめるちから
われらはすべてを言う資格がある。
何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。
今ふたたび、刑場へ赴く途中、一大尉が叫んだ言葉が胸によみがえる。
「皆死んだら血のついたまま、天皇陛下のところに行くぞ。
而して死んでも大君の為に尽すんだぞ。大日本帝国万歳」
そして死んだわれらは天皇陛下のところへ行ったか?
われらの語ろうと思うことはそのことだ。
しかしまず、われらは恋について語るだろう。
あの恋のはげしさと、あの恋の至純について語るだろう。
「朕は汝軍人の大元帥なるぞ。
されば朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ、その 親 は特に深かるべき。 したしみはことに
朕が国家を保護して上天の恵に応じ祖宗の恩に報いまいらする事を得るも得ざるも、    ほうご しょうてん
汝等軍人が其職を尽すと尽さざるとに由るぞかし」
大演習の黄塵のかなた、天皇旗のひらめく下に、白馬に跨れた大元帥陛下の御姿は、
遠く小さく、われらがそのために死すべき現人神のおん形として、                    あらひとがみ
われらが心に焼きつけられた。
神は遠く、小さく、美しく、清らかに光っていた。
われらが賜わった軍帽の徽章の星をそのままに。                           ぐんぼうのしるし
皇祖皇宗のおんみ霊を体現したまい、兵を率いては向うに敵なく、                おんみたま
蒼生を憐れんでは慈雨よりもゆたかなおん方。  たみくさ  おんかた
われらの心は恋に燃え、仰ぎ見ることはおそれ憚りながら、忠良の兵士の若いかがやく日は、
ひとしくそのおん方の至高のお姿をえがいていた。
われらの大元帥にしてわれらの慈母。
勇武にして仁慈のおん方。
はげしい訓練のあいだにも、すめろぎの大御心はわれらに通うかに感じられ、
消煙の漂う野のかなたから、つねに大御心の一条の光は、戦うわれらの胸内に射していた。 むねうち
そしてわれらは夢みた。
ああ、あの美しい清らかな遠い星と、われらとの間には、しかし何という距離があることだろう。
われらの汚れた戎衣と、あの天上のかぐわしい聖衣との間には、
何という遠い距離があることだろう。
われらの声は届くだろうか。
勅諭をとおして玉音はひしひしと、日夜われらの五体に響いているが、われらの血の叫び、
死のきわに放つべき万歳の叫びは、そのおん耳に届くだろうか。
神なれば千のおん耳をもちたまい、千のおん眼まを以て、見そなわし、                                       まなこ
又、きこしめされるにちがいはない。
しかしそのとき・・・・・・
われらは夢みた。
距離はいつも夢みさせる。
いかなる僻地、北溟南海の果てに死すとも、われらは必ず陛下の御馬前で死ぬのである。
しかしもし 「そのとき」 が来て、絶望的な距離が一挙につづめられ、
あの遠い星がすぐ目の前に現われたとき、そのかがやきに目は盲い、ひれ伏し、             めしい
言葉は口籠り、何ひとつなす術は知らぬながらも、その至福はいかばかりであろう。           くごもり  すべ
死を賭けたわれらの恋の成就はいかばかりであろう。
その時早く、威ある清らかな御声が下って、ただ一言、「死ね」 と仰せられたら、                 みこえがくだって
われらの死の喜びはいかほど烈しく、いかほど心満ち足りたものとなるであろう。
われらは生涯に来るとしもないその刹那をひたすらに夢みた。
われらは若く剛健にして、忠節と武勇と信義はならびなく、心は燃えやすく、魂は澄んでいる。
不正はわれらの身に一指も触れるあたわず、若き力と血はこの身にたぎっている。
かくて、われらはすめろぎの星について夢みつづけ、心にその像をいとおしく育てて行った。
民草をひとしく憐れませたまうそのおん方の前へへ出れば、
ここからはかくも遠かったその距離も忽ち払われ、
親疎の別なく父子の情をかけたもうおん方の前では、ここにおいて思う怖れも杞憂にすぎまい。
われらは若く、文雅に染まらず、武骨ながら、われらの血と死の叫びをこめた不器用な恋をも、
どんな不器用な忠義をも、大君は正しく理会したまい、受け入れたもうにちがいない。
かくてわれらはついに、一つの確乎たる夢に辿りついた。
その夢の中では、宮廷の千年の優雅に織り成された生絹の帷が、                                     すずしのとばり
ほのかな微風をもうけ入れてそよいでいた。
「陛下に対する片恋というものはないのだ」 とわれらは夢の確信を得たのである。
「そのようなものがあったとしたら、もし報いられぬ恋がある筈だとしたら、軍人勅諭はいつわりとなり、
軍人精神は死に絶えるほかはない。
そのようなものがありえないというところに、君臣一体のわが国体は成立し、
すめろぎは神にましますのだ。
恋して、恋して、恋して、恋狂いに恋し奉ればよいのだ。
どのような一方的な恋も、
その至純、その熱度にいつわりがなければ、必ず陛下は御嘉納あらせられる。

陛下はかくもおん憐れみ深く、かくも寛仁、かくもたおやかにましますからだ。
それこそはすめろぎの神にまします所以だ」
われらはそう信じた。
われらはこうして、この恋の端緒を神語りに語りおわった。

そのとき陛下はおん年三十五におわしました。
陛下は老臣の皺多き理性と、つつましき狡智に取り巻かれていらせられた。
かつて若きもののふが玉体を護って流す鮮烈な血潮を見そなわしたことはなかった。
民の貧しさ、民の苦しみを竜顔の前より遠ざけ、陛下を十重二十重に、あれらの者たち、
すなわち奸臣佞臣、
あるいは保身にだけ身をやつした者、不退転の決意を持たずに当った者、
臆病者にしてそれらと知らずに破局への道をひらいた者、あるいは冷血無残な陰謀家、
野心家が取り囲み奉っていた。
そして陛下は、霜落つる兵舎の片かげに息吹く若き名もなき者の誠忠の吐息を  いぶく
見そなわしたことはなかった。
われらが国体とは心と血のつながり、片恋のありえぬ恋闕の激烈なよろこびなのだ。
さればわれらの目に、はるか陛下は、醜き怪獣どもに幽閉されておわします。
清らにも淋しい囚われの御身と映った。
怪獣どもは焰を吐き、人肉を喰い、あやしい唸り声を立てて徘徊しつつ、      ほのお  くらい
上御一人の警護を装うて、実は九重の奥に閉じ込め奉っていた。
その鱗には黄金の苔を生じ、いまわしい銅臭を漂わせ、
その這いずりまわる足もとの草は悉く枯れた。
われらはその怪獣どもを仆して、陛下をお救い出し申し上げたい、と切に念じた。
そのときこそ、民も塗炭の苦しみから救われ、
兵は後顧の憂いなく、勇んで国の護りに就くことができるであろう。
われらはついに義兵を挙げた。
思いみよ。
その雪の日に、わが歴史の奥底にひそむ維新の力は、大君と民草、神と人、
十善の御位にましますおん方と忠勇の若者との、稀なる、対話を用意していた。 みくらい
思いみよ。
そのとき玉穂なす瑞穂の国は荒無の地と化し、民は餓えに泣き、女児は売られ、
大君のしろしめす玉土は死に充ちていた。
神々は神謀りたまい、わが歴史の井戸のもっとも清らかな水を汲み上げ、      かむはかり
それをわれらが頭に注いで、荒地に身を伏して泣く蒼氓に代らしめ、        こうべにそそいで
現人神との対話をひそかに用意された。
そのときこそ神国は顕現し、狭蠅なすまがつびどもは吹き払われ、           さばえ
わが国体は水晶のごとく澄み渡り、国には至福が漲る筈だった。            みなぎる
思いみよ。
そのとき歴史のもっとも清らかなるものは、遍満する腐敗、老朽と欺瞞を打ちやぶり、
純潔と熱血のみ、若さのみ、青春のみをとおして、陛下と対晤せんと望んだのだ。 たいご
やすみしし大君のしろしめす限り、かしこの田、かしこの畑、
かしこの林に久しく埋もれた血の叫び、死の顔は、
今や若々しく猛々しい兵士の顔を借りて、たぎり、あふれ、対面しまいらせんとはかったのだ。
冥々のうちなる日本のもっとも素朴、もっとも根深き魂が、ここを先途と明るみへ馳せのぼり、  せんど
光の根源へ語りかけまいらせようと願ったのだ。
われらはその指揮官だった。
そしてわれらは神謀りのままに動く神の兵士であった。

一つの絵図は、次のように光にみちて描かれた。
そこは一つの丘である。
雪晴れの朝、雪に包まれた丘は銀にかがやき、木々は喜ばしい滴を落し、 しずくをおとし
力強い笹は雪の下から身を起こし、われらは兵を率いて、奸賊を屠った血刀を堤げて立っている。 ほふった
その剣尖からなお血は雪にしたたり、われらの類は燃え、われらの雪に洗われた軍帽の庇は、
漆黒の青空を映している。
兵はみな粛然として、胸をときめかせつつ、近づく栄光の瞬間を待っている。
それは又、ふるさとの悲しめる父母、悲しめる姉妹の救済の時である。
われらは雪晴れの空をふり仰ぐ。
目にしみわたるその青さは、かなたの連山のかがやく白雪の頂きへまで、
遮る雲の一片もなくつづいている。    ひとひら
そして巨木の梢から落ちる雪は四散して、
ふたたびきらめく粉雪になって、かろやかにわれらの軍帽の上に降ってくる。
そのときだ。
丘の麓からただ一騎、白馬の人がしずしずと進んでくるのは。
それは人ではない。
神である。
勇武にして仁慈にましますわれらの頭首、大元帥陛下である。
われらは兵たちに、
「気をつけ!」
の号令をかける。
われらの若く雄々しい号令にまして、この雪晴れの誉れの青空にふさわしいものがあろうか。
陛下は馬をとどめさせ玉い、馬上の陛下のおん影が、
かたじけなくもわれらの雪に濡れた軍靴の足もとに届く。
われらの軍服の胸を張り、捧刀の礼を以てお迎えする。
刀の切羽のまばゆい銀のきらめきを、剣尖からしたたり戻る血がつたわるのを、われらは目の前に見る。
「謹んで申上げます。
われらは君側の奸を斬り、今は粛然として、陛下の御命令をお待ちいたします。
何卒、御親政を以て、民草をお救い下さい」
『よし。
御苦労である。
その方たちには心配をかけた。
今よりのちは、朕親に政務をとり、国の安泰を計るであろう
 』      みずから
玉音はあたかも、雪晴れの青空がさわやかに声を発したかのようである。
陛下はつづけて仰せになる。
『その方たちには位を与え、軍の枢要の地位に就かせよう。
今までは朕が不明であった。
皇軍は誠忠の士を必要としている。
これからはその方たちが積弊をあらため、天皇の軍隊の威烈を蘇らさねばならぬ

「いや、陛下、何卒このままにお置き下さい。
一級たりとも位を進めていただいては、われらが身命を賭した維新の精神が汚れます。
ただ、御親政の実をあげられ、兵たちの後顧の憂いを無からしめて下さることが、
われらへのこの上なき御褒賞であります。
今こそ兵もよろこび勇んで軍人の本分を尽し、皇国を護るために命を捨てることができます」
『そうか。
その方たちこそ、まことの皇軍の兵士である』
陛下は叡感斜めならず、赤誠の兵士らに守られて雪の丘をお下りになる。
その白馬のおん跡に従うわれらこそ、神兵なのだ。

思いみよ。
ここにもう一つ絵図がある。
それは光にみちて描かれてはいないが、第一の絵図にも劣らず、倖せと誉れにあふれたものだ。
むしろわれらの脳裡に、より鮮明に描かれていたのは、この第二の絵図であった。
同じ丘。
しかし空は晴れず、雪は止んでいるが、灰色の雲が低く垂れ込めている。
そのかなたから、白雪の一部がたちまち翼を得て飛び来ったように、
一騎の白馬の人、いや、神なる人が疾駆して来る。
白馬は首を立てて嘶き、その鼻息は白く凍り、雪を蹴り立てて丘をのぼり、われらの前に、
なお乱れた足搔を踏みしめて止る。  あしがき
われらは捧刀の礼を以てこれをお迎えする。
われらし竜顔を仰ぎ、そこに漲る並々ならぬ御決意を仰いで、
われらの志がついに大御心にはげしい焰を移しまいらせたのを知る。 ほのお
『その方たちの誠忠をうれしく思う。
今日よりは朕の親政によって民草を安からしめ、必ずその方たちの赤心を生かすであろう。
心安く死ね。その方たちはただちに死なねばならぬ』
われわれは躊躇なく軍服の腹をくつろげ、口々に雪空も裂けよとばかり、
「天皇陛下万歳!」 を叫びつつ、手にした血刀をおのれの腹深く突き立てる。
かくて、われらが屠った奸臣の血は、われらの至純の血とまじり、同じ天皇り赤子の血として、 ほふる
陛下の御馬前に浄化されるのだ。
われらに苦痛はない。
それは喜びと至福の死だ。
しかしわれらは、肉にひしと抱擁される刃を動かしつつ、背後に兵たちの一せいのすすり泣きを聞く。 やいば
寝食を共にし、忠誠を誓い合い、戦場の死をわが手に預けてくれた愛する兵士たちの歔欷を聞く。 きよき
そのとき、世にも神さびた至福の瞬間が訪れる。 かむ
大元帥陛下は白馬から下り玉い、われらの若い鮮血がくれないに染めた雪の上に下り立たれる。
そのおん足もとには、われらの今や死なんとする肉体が崩折れている。
陛下は死にゆくわれらを、挙手の礼を以てお送りになる。
われらは遠ざからんとする意識のうちに、力をふるって項を正し、竜顔をふり仰ぐ。  うなじ
さしも低く垂れ込めた雲が裂けて、一条の光りが、竜顔をあれたかに輝かせる。
そしてわれらは、死のきわに、奇蹟を見るのだ。
思いみよ。
竜顔のおん頬に、われらの死を悼むおん涙が!
雲間をつらぬく光りに、数条のおん涙が!
神がわれらの至誠に、御感あらせられるおん涙が!  ぎょかん
われらの死は正しく至福の姿で訪れる。
・・・・・・・・

それはただの夢、ただの絵図、ただの幻であった。
すめろぎがもし神であらせられれば、二枚の絵図のいずれかを選ばれることは必定だった。
あれほどまでの恋の至情が、神のお耳に届かぬ筈はなかったからだ。
又、すめろぎが神であらせられれば、あのように神々がねんごろに謀り玉うた神人対晤の至高の瞬間を、
成就せずにおすましになれる筈もなかったからだ。
かくも神々が明らかにしつらえ玉うた、救国の最後の機会を、みすみすの逸し玉う筈もなかったからだ。
そのころ陛下は暗い宮中をさすらい玉い、扈従の人のものを憚るような内奏に耳をすまされた。  こしょう
民草の不安は、病菌のように人々の手で運ばれて、宮廷風の不安に形を変えてすでに澱んでいた。
陛下はただちにこう仰せられた。
『日本もロシヤのようになりましたね』
このお言葉を洩れ承った獄中のわが同志が、いかに憤り、いかに慨き、いかに血涙を流したことか!
二月二十六日のその日、すでに陛下は、陸軍大臣の拝謁の際
『今回のことは精神の如何を問わず、甚だ不本意なり、国体の精華を傷つくるものと認む』
と仰せられた。
二十七日には、陛下はこのように仰せられた。
『朕が股肱の臣を殺した青年将校を許せというのか。
戒厳司令官を呼んで、わが命を伝えよ。
速やかに事態を収拾せよ、と。
もしこれ以上ためらえば、朕みずから近衛師団をひきいて鎮圧に当るであろう』
同じ日に、自刃せしむるため、勅使の御差遣を願い出た者には、
『自殺するならば勝手に自殺させよ。そのために勅使など出せぬ』
と仰せられた。
陛下のわれらへのおん憎しみは限りがなかった。
佞臣どもはこのおん憎しみを背後に戴き、たちまちわれらを追いつめる策を立てた。
二十八日に出された奉勅命令は、途中で握りつぶされてわれらの目に触れず、
この無辜の抗命がたちまちわれらを、天皇に対する叛逆の罪に落した。  むこ
陛下のおん憎しみは限りがなかった。
軍のわれらの敵はこれに乗じて、たちまち暗黒裁判を用意し、われらの釈明はきかれる由もなく、
はやばやと極刑が下された。
かくてわれらは十字架に縛され、
われらの額と心臓を射ち貫いた銃弾は、叛徒のはずかしめに汚れていた。
このとき大元帥陛下の率いたもう皇軍は亡び、このときわが皇国の大義は崩れた。
赤誠の士が叛徒となりし日、漢意のナチスかぶれの軍閥は、  からごころ
さえぎるもののない戦争への道をひらいた。
われらは陛下が、われらをかくも憎しみたもうたことを、お咎めする術とてない。
しかし叛逆の徒とは!
叛乱とは!
国体を明かにせんための義軍をば、叛乱軍と呼ばせて死なしむる、
その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまいしなり。
鳳輦に侍するはことごとく賢者にして  ほうれん
道のべにひれ伏す愚かしき者の
血の叫びにこもる神への呼びかけは
ついに天聴に達することなく、
陛下は人として見捨ててたまえり
かの暗澹たる広大なる貧困と  あんたん
青年士官らの愚かなる赤心を。
わが古き神話のむかしより
大地の精の血の叫び声を凝り成したる  こり
素戔鳴尊は容れられず、
聖域に馬の生皮を投げ込みしとき
神のみ怒りに触れて国を逐われき。
このいと醇乎たる荒魂より  あらみたま
人として陛下は面をそむけ玉いぬ。  おもて
などてすめろぎは人間となりたまいし ひととなりたまいし
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

歌うにつれて、声は一つ加わり、又一つ加わって、この会はじめの帰神のときと同様、 かむがかり
それは雄々しいあまたの声の合唱になった。
そして潮のうねりのように、ひとたび合唱が参列者の耳を占めるにいたると、  うしお
もう独り語りの神の声は聴きわけられることがなかった。

 
三島由紀夫 英霊の聲 から
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二・二六事件と私 
 
 


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