あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

満井佐吉 『 特別辯護人 』

2021年11月24日 20時13分49秒 | 満井佐吉

意見
(一)、維新部隊は昭和維新の中核となり、現位置に位置して、
 昭和御維新の大御心の御渙發を念願しつつあり。
右部隊將校等は、皇軍相撃つの意思は毛頭なきも、
維新の精神仰壓せらるる場合は、死を覚覺て同志的關係にあり、結束堅し。
(二)、全國の諸部隊には未だ勃發せざるも、
 各部隊にも同様維新的気勢あるものと豫想せらる。
(三)、此の部隊を斷乎として撃つ時は、全軍全國的に相當の混亂起らざるやを憂慮す。
(四)、混亂を未發に防ぐ方法としては、
1、全軍速に維新の精神を奉じ、輔弼の大任を盡し、速に維新の大御心の渙發を仰ぐこと。
2、之が爲速に強力内閣を奉請し、維新遂行の方針を決定し、諸政を一新すること。
3、若し内閣奏請擁立急に不可能なるに於ては、軍に於て輔弼し維新を奉行すること。
4、右の場合には、維新に關し左の御方を最高意思を以て御決定の上、
   大御心の渙發を詔勅して仰ぐこと。
「 維新 を決行せんとす。之が爲、
(1)、建國精神を明徴す。
(2)、國民生活を安定せしむる。
(3)、國防を充實せしむる。」
5、萬一右不可能の場合は、
犠牲者を最小限度に限定する如く戰術的に工夫し、    維新部隊を処置すること。
但し、此際全軍全國に影響を及ぼさざることに關し、大いに考慮を要す。
之が實行は影響する処大なるべきを以て、
特に實行に先立ち、先づ現狀を上奏の上、御上裁を仰ぐを要するものと認む。
・・・
満井佐吉 『 28日 戒嚴司令部に於る意見具申 』



満井佐吉  ミツイ サキチ
『 特別辯護人 』
目次

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・ 昭和維新 ・満井佐吉中佐

満井特別辯護人ノ證人申請

満井佐吉中佐の四日間 1 
・ 満井佐吉中佐の四日間 2 
・ 満井佐吉中佐の四日間 3 
・ 満井佐吉中佐の四日間 4 
・ 満井佐吉中佐の四日間 5 

 
満井佐吉 『 進退の件御伺 』 

相澤中佐の同期生たる赤鹿中佐 ( 士官學校 )、牛島中佐 ( 士官學校豫科 )
外二名 ( 氏名不詳 ) の人より、特別弁護人たるべき交渉がありました。
私に対し、
「 同期生中には種々の立場上及其他に依り適任者なき爲、
 特別弁護人に是非起って貰ひたい。
鈴木貞一大佐は、永田閣下の部下なるが故に辭退せられ、
中央部には村上大佐、西村大佐、牟田口大佐等が居られるが、
中央部で立場が惡いからとのことであり、
又、聯隊附將校には中央の事情を認識するものがないので、是非引受けて貰ひたい 」
との交渉があり、困っておられましたので、
私は個人としては上司に於て許可があれば出てもよいと申しました処、
同期生から、陸大幹事岡部少将は、其時は許可せられない様な口吻を漏らされ
「 考へて置く 」 とのことでありましたので、
參考迄にと思ひ、私より 次の様な許可の可否に関し意見を申述べました。
「 若し相澤中佐の特別弁護人を受諾するならば、
一、目下青年將校同志の間に、互に實力行動に出づるが如きことは絶對に避けたい。
二、軍裏面の歴史的な旧實実、例へば十月事件、三月事件等、相澤事件と直接關係の
   少なきものは、成るべく必要最小限度に言及することに依り、
   軍内に騒動を起さざる様に努めたい。
三、青年將校の氣心も、軍中央部幕僚の立場も、克く心得て居るから、
   兩者の立場を無視して、正面衝突をせしむる如きことは避ける。
之を要するに、
相澤公判は一歩を誤れば軍を破壊に導く虞れ多きを以て、
私が起てば青年將校も成程に信頼してくれるであらうし、
又、軍全體の爲を考へるから或は事なく公判を終了するかも知れない。
之に反して隊附青年將校中より起てば、軍中央部の立場を理解せざるを以て、
感情的となる虞あり、其の結果は事件を巻き起すやも知れない。
寧ろ、私が起った方が青年將校も穏便に濟むかと思ひます。」
との意味を具申しました処、
岡部幹事は、其の心持ちは自分も克く判ると申されました。
それから約一週間位經ってから、岡部幹事より口頭を以て御許しを受けました。
其間に幹事は參謀本部、陸軍省と交渉せられたものと思ひます。
以上のような經緯で引受けたのであります。
・・・満井佐吉中佐 ・ 特別弁護人に至る経緯 

定刻十時、判士長は開廷を宣し、かたのごとく相澤に対し人定訊問を行った。
相澤は陸軍中佐の軍服を着用していた。
この訊問が終ると、判士長は島田検察官に起訴状の朗読を促した。
そのとき突如、満井中佐が立ち上って、
「 判士長! 」
と 大声で発言を求め、本公判の進行に関し特別弁護人として重大提言があるという。
判士長がこれを許可すると、満井中佐は三つの爆弾動議を出した。
予審のやり直しをせよ、というのである。
「 第一、
本被告事件の予審調書、公訴状は甚だ不明瞭なものである。
皇軍の本質にもとづいて公人的行為と私的行為とは、
これを区別しなければならぬにもかかわらず、事件は公人の資格で行ったのか、
私人の資格でやったものであるのか、
犯行の主体たる被告を審理していないので、この点甚だ不明瞭である。
第二、
本件の行動に関する被告の審理はできているが、その原因動機たる社会的事実、
すなわち軍の統帥が元老、重臣、財閥、官僚等によって攪乱せられたる事実については、
なんらの審理もしていんい。
第三、
被害者たる永田中将の卒去の時刻が不明瞭である。
すなわち、当日陸軍省の公表によれば 午後四時半卒去せりとある。
軍医の検案にもとづく島田検察官の報告によれば、数刻を出でずして卒去せりとある。
はたして陸軍省の発表通りとせば被告は重傷を負わし その後に死に到らしめたことになり、
検察官の報告によれば殺傷したことになっている。
この点に重大な疑義を有するもので、誤りは陸軍大臣にあるか、島田検察官にあるか、
軍医は確実に診察したであろうから、おそらくは検察官のいうところがほんとうであろう。
時の陸軍大臣、首相、宮相が永田中将卒去後にもかかわらず、
偽って陛下を欺き奉って位階の奏請をなしたものと考える。
---以上 この重大事件をめぐって、
陸相、宮相の処置と島田検察官との間に重大なる くい違いがあることは、
影響するところ大であるから、判士長は十分に考慮されたい。
したがって この間の真実を究明するまで、この公判は中止されるのが至当である 」
佐藤判士長は 直ちにこの動議を脚下したが、
しかし そこには、この裁判の前途の多難とその重大さを思わせるものがあり、
人々の心を暗くしていた。
・・・
第一回公判 ・ 満井佐吉中佐の爆弾発言

この機会に強力内閣を組織して国家革新を断行すべきだ
と いうことでは意見が一致していたが、
その強力内閣に誰を首班とするかについては議がわかれたいた。
石原大佐は皇族内閣を主張した。
東久邇宮を推すもので当時の参謀本部幕僚たちの意見を代表するものであった。
満井中佐は蹶起将校の要望する真崎内閣柳川陸相案を強く支持し、
橋本大佐は建川美次中将を推していた。
こうした意見の相違からこの際、
陸軍から首班を求めることをやめて海軍から出してはどうかと
提案したのは満井中佐であった。
「皇族内閣には蹶起将校は断乎反対の態度をもっているし、
建川中将も大権干犯の元兇として彼らはその逮捕を要求しているので、
これらを強行することは事態収拾にはならない。
真崎首班は彼らの熱望するところであるが、
それが参謀本部側で強い難色があるというのであれば、
この際は陸軍部内のイザコザに全く関係のない海軍からこれを求めるより途はない。
山本大将はかつてロンドン条約当時艦隊派の雄として活躍せられ革新思想にも理解があるので、
蹶起将校たちも納得して必ず平穏裏に維新に進むことができよう」
この満井の提案には石原も橋本も賛成した。
そしてこの意見は石原より杉山参謀次長に申達されることになった。

・・・国ホテルの会合 


山口一太郎 『 別格 』

2021年11月24日 12時32分26秒 | 山口一太郎

奉直命令が出たとの風評が陸相官邸に伝わってきたのは、二十七日夜も更けてのことであった。
その頃反乱部隊将兵は昨日来の疲労で各所に分宿してぐっすり眠っていた。
ちょうど、陸相官邸に居合せてこの噂を聞いた山口大尉は驚いて、
早速 鈴木貞一大佐、小藤大佐と相談した。
もし事実とすれば大変な事だ。
すぐにも戒厳司令官に強談してこれを喰い止めねばならない。
彼らは深夜の闇わついて三宅坂から九段下の司令部についた。
小藤大佐らはすでに用意されていた二階の司令官室に通され、
戒厳参謀列席の上で意見を具申した。
午前三時頃であった。
まず 鈴木大佐が口を開いて、
「 今となつて弾圧は考えものだ、軍は昭和維新へと推進すべきだ 」
と 所信を述べた。
次いで小藤大佐が立って 「 弾圧不可 」 を くどくどしく訴えた。
このあとをうけて
山口大尉が えらい気合いでまくしたてた。
「 今、陸相官邸を出て陸軍省脇の坂を下り三宅坂下の寺内銅像の前にさしかかると、
バリケードがつくってあった。
半蔵門前からイギリス大使館の前にかけては部隊がたむろしている。
戦車も散見する。
あのバリケードは何のためのバリケードだろうか。
あの部隊は何のための部隊だろうか、
そして物かげにかくれている戦車はどんな意味なのだろうか。
聞くところによれば、
明日蹶起部隊の撤退を命じ 聞きいれなければこれを攻撃されるという。
蹶起部隊は腐敗せる日本に最後の止めをさした首相官邸を神聖な聖地と考えて、
ここを占拠しておるのである。
そうして昭和維新の大業につくことを心から願っているのに 彼らを分散せしめて
聖地と信じている場所から撤退せしめるというのはどういうわけであろうか。
しかも、彼らは既に小藤部隊に編入され警備に任じておるのに、
わざわざ皇軍相撃つような事態をひきおこそうというのは、一体どういうわけであるのか、
皇軍相撃つということは日本の不幸これより大なるはない、同じ陛下の赤子である。
皇敵を撃つべき日本の軍隊が鉄砲火を交えて互いに殺しあうなどということが許さるべきことであろうか。
今や蹶起将校を処罰する前に、この日本を如何に導くかを考慮すべきときである。
昭和維新の黎明は近づいている。
しかもその功労者ともいうべき皇道絶対の蹶起部隊を名づけて反乱軍とは、何ということであろうか、
どうか、皇軍相撃つ最大の不祥事は未然に防いでいただきたい。
奉勅命令の実施は無期延期としていただきたい 」
声涙共に下って説く彼の弁舌は凄愴な気迫を伴い森閑とした真夜中に、
なみいる人々の心を痛く打つものがあった。
この間、香椎司令官はみずから山口に茶菓をすすめ、
その興奮した空気を和らげることに努めていた。
そして
攻撃開始に確定したわけではない
と 口ごもりながら答えていた。
水を打ったような静寂の中で山口はさらにつづけた。
一語また一語に力をこめて、
どうしても同意させずにはおかないといった気迫が全身にあふれていた。
一座は緊張した面持ちで傾聴している。
彼はこのようにして時余にわたって説き去り説き来りこの重大進言をおわった。
・・・彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか 


山口一太郎  ヤマグチ イチタロウ
『 別格 』
目次

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西田の病室を出た私は北一輝に会った。北は私の手を握って心から喜んだ。
「 やあ、実にいい時に来てくれました。
 幸い西田も名医(院長)の手当で、おかげで一命はとりとめたようです。
然し 当分は何の活動も出来ないし、私やここに来ている民間人も、いつ憲兵に連れて行かれるか判らない。
一歩もここから踏み出せず、外との連絡は全く断たれているのです。
山口さんは自由に市中を歩けますか?」
私は、現在のところ身柄は自由であり、
憲兵隊から自動車を提供されているので、市中どこでも飛び廻れること、
小畑少将と会い、事件の拡大防止をたのまれたこと、
西田の撃たれた事について同少将は心を痛めていること、
憲兵隊長は陸軍省の方針にもとづき、事件関係者に十分好意的態度をとっていること、
現在順天堂につめている憲兵は、皆さんの身柄を保護するように指示されていること
・・・などを告げた。
北は大変喜んで、
「 実にいい手を打ってくれてありがたい。
何しろここに居ては外の事が丸でわからないので、困り抜いていたのです。
ついては少し立ち入って相談しておきたい事があるからこっちへ来て下さい。」
と云って、
私を西田の病室のとなりの部屋の隅に導き声をひそめて、
「 順天堂は憲兵の手にはいり、しかも憲兵がわれわれに好意的なことがわかり、
おかげで一安心なのだが安心できないことがある。」
「 何です?」
「 あの向こう側の室にいる連中 ( 菅波、香田、安藤輝三、栗原 ) が弔合戦をやるんだと、
さわいでいるんですよ。」
「 そんなこと今やられては、丸でぶちこわしです。小畑さんの心配しいてるのはそこなんです。」
「 僕も全く同感です。
 きのう事件が起こり、一時放心状態にあった当局者が、急速に態勢を立て直し、
警戒を厳重にしている時、事を起こしても何も出来るものではない。
これはどうしても食い止めなければなりません。
何とかうまい手はありませんか。
僕等は山口さんと違い、自由に市中を歩けないのだから手も足も出んのでね----」
「 ぢゃ、この順天堂につめている将校は、憲兵を敵視しない。
また憲兵も青年将校を敵視しない。
これでいいんだが、西田君が動けないんだから困りましたね。」
北は言葉をついで、
「 僕には全く策がないんだ。あのとおり、西田は出血多量で真っ青になっている。
青年将校諸君は、いつ仇討に飛び出すかも知れない。
さっきから時間も大分たっているので、
山口さんもう一度大手町(憲兵隊のこと)へ連絡に行って来てくれませんか。」

時すでに五月十六日の夜十一時である。
新聞は検閲され、ラジオは、デリケートなことは何も言わぬ。
だから、北をはじめ順天堂組は、全くのつんぼ桟敷に置かれた形なのだ。
これ以上騒ぎを大きくしてはいけない。
これが北と私との合言葉であった。
私は云った。
「 夜どんなにおそくなっても、ここにかえってくるから、
北さんは若い者(将校)たちの立ちあがるのだけはとめておいてください。頼みます。」
北が
「 たしかに御引き受けましょう。
ただ一般情勢について僕の口から説明するより、山口さんから直接話してくれ 」
と いうので、
私は北につづいて若い将校の部屋に入った。
こうして私は、直接陸軍の急進青年将校達に会うことになり、
そうして以後彼等と特別な関係に立つことになるのである。
誰かが云った
「 ア、山口さんだ 」
一同は丁寧に名刺を出し、あいさつをした。
私は、
「 今まで北さんと根本的な打合せをした。
 結論は陸軍の若い者が今立つべきではないと云うにあるのだが、
情勢は時々刻々変わって行く。
権威ある結論を出すため、僕は今から憲兵隊や軍首脳に会ってくるから、
それまで何の動きもしないように、してくれ 」
と 言う。  と
「 ぢゃ我々だけで相談させてくれ 」
 と 部屋のすみで、こそこそ相談している。
( 今の全学連とすることは似ている )  そして菅波三郎が代表して私に
「 北さん、山口さんが、云うのだから 」
と  私が戻るまで何もしないことを約束した。・・・・一五事件と山口一太郎大尉 (2)
五 ・一五事件と山口一太郎大尉 (1)
五 ・一五事件と山口一太郎大尉 (2) 

・ 
昭和八年元旦 

・ 山口一太郎大尉 「バウンダリー ・コンディシン」

山口一太郎大尉の四日間 1 「 大臣告示 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 2 「 総軍事参議官と会見 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 3 「 総てを真崎大将に一任します 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 4 「 奉勅命令が遂に出た 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 5 
・ 
山口一太郎大尉の四日間 6 

・ 山口一太郎 ・ 戒嚴司令部での意見具申 『 昭和維新の功勞者なる蹶起部隊を反亂軍とは何たる也 』

憲兵報告・公判状況 27 『 山口一太郎 』
・ 
憲兵報告・公判状況 28 『 山口一太郎 』

・ 
昭和維新・山口一太郎大尉 

國體明徴に関して何等誠意なき現内閣や
皇軍を国民の怨府たらしめようとする高橋蔵相の如き
私は憎みても余りあるのであります。
しかるに これ等内閣の権威は未だ地に堕ちず
相當の根強さを持ってをりますために、
雑誌その他これ等を謳歌するやうな記事が載り
或は皆様や子弟の中にも
かかる御考への方がありはしないかと心配してをります

・・・
山口一太郎大尉 ・ 壮丁父兄に訓示