澁川善助
統天事件に巻添えを食う
昭和十年
(一)
・・・統天熟事件で未決にはいっていた渋川善助は、
相沢事件の直前に保釈になっていた。
統天事件というのは、
高樹町の郵便局を襲ったギャング事件である。
これの一味容疑者として渋川は収監されたのだった。
容疑は一味の使った拳銃のことからである。
それを前に一度、渋川が分解手入をしてやったことがあった。
兵器のことなら昔とったきねづか。
錆ついている拳銃をみて、つい渋川はテを出し、分解手入をしてやった。
余計にことに、そのことを調べのときしゃべったものがいて、渋川は収監されたのだった。
ただ拳銃の分解手入をしてやったことがあるだけで、
ギャング事件そのものには、渋川は全然無関係だった。
が事件の性質が性質だけに、この収監を渋川は非常に残念がった。
保釈は渋川に好意を持っていた担当検事が転任を機会に、その手続をしてくれたのである。
それが相沢事件の直前だった。
休養するひまもなく渋川は福山に飛び、相沢中佐の留守宅の面倒をみた。
・・・末松太平 著
私の昭和史 から
(ニ)
ジリジリするような暑い日であった。
鈴木款、藤村又彦らを首謀とする青山高樹町郵便局襲撃のギャング事件が起きたのは、
約二か月まえの六月二十日であった。
運動資金獲得のため郵便局を襲ったものの未遂に終わった。
バッとしない事件だ。
渋川はこの事件にまきぞえを食って逮捕されていたが、出所したことはまだ私はしらなかった。
「 ヤァ、ご苦労さま、いつ出たんだ 」
「 たったいま出たばかりです 」
渋川の顔には少し衰えが見えた。
「 貴様があの事件に関係があったなんて、どうしても考えられんが、引っぱられた理由は何だ・・・・?」
渋川の説明は次のようであった。
さる三月ごろであった。
藤村又彦の統天熟に行ったときであった。
たまたま藤村が拳銃をいじっていた。
よく見るとだいぶ錆ついていたので、渋川は陸士時代の優等生ぶりと世話好きぶりを発揮して、
分解し手入れをしてやった。
ただそれだけのことであった。
藤村らが逮捕され、取調が進んで、いよいよ拳銃の出所を追求されたとき、
藤村は返答に窮して、渋川からもらったと嘘をついてしまった。
そのため約二ヶ月渋川は拘留されてしまった。
だが検事は、渋川の誠実と藤村の虚言を認めて、今日の出所となったわけだ。
「 奴らは卑怯です 」
と、日ごろ温厚な渋川がこんなに激昂した姿を私はまだ見たことがないほど、
彼は心の奥底から憤っていた。
・・・大蔵栄一著
ニ ・ニ六事件への挽歌 渋川と郵便局ギャング事件 から