「 男子にしかできないのは戦爭と革命だ 」
と 佐々木二郎の言葉に
磯部淺一は大きくうなずき
「 ウーン、俺は革命のほうをやる 」
と 答えた。
これは陸軍士官學校本科のころ、ある土曜日の夜、
山田洋、佐々木二郎、磯部淺一、三人で語り合った時のやりとりである。
佐々木二郎 ササキ ジロウ
『 男子にしかできないのは戦爭と革命だ 』
目次
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・ 「 大佐殿は満州事變という糞をたれた。尻は自分で拭かずに人に拭かすのですか 」
・ 佐々木二郎大尉の相澤中佐事件
・ 佐々木二郎大尉の四日間
・ 昭和11年7月12日 (番外) 佐々木二郎大尉
昭和十二年三月、
二・二六で無罪で帰隊したが停職になったので、
羅南在住十年の名残りに町を散歩し、美代治を思い出して三州桜に訪ねた。
彼女は芸妓をやめて仲居をしていた。
大広間で二人で飲んだ。
話が磯部にふれた。
「 サーさん、あの人はどうなりました 」
「 ウン、今頃は銃殺されとるかも知れん 」
「 私はあのとき、初めて人間らしく扱われました。
誰が何といってもあの人は正しい立派な人です。
一生私は忘れません 」
「 佐々木、芸妓にも料理を出せよ 」
といった磯部の一言が、
これほどの感動を与えているとは夢にも思わなかった。
底辺とか苦界とか、
口にいってもただ単なる同情にしか過ぎなかった。
磯部のそれは、
苦闘した前半生から滲み出た一言で、
彼女の心肝を温かく包んだのであろう。
当時、少し気障なことだとチラリ脳裡を掠めた私の考えは、
私自身の足りなさであったと思い知らされた。
・・・「 佐々木、芸妓にも料理を出せよ 」
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以下
佐々木二郎 著 一革新将校の半生と磯部浅一 から
・ 虎ノ門事件 「 少なくともここしばらくはなりませぬ 」
・ 君側 2 「 日本を支配したは宮廷の人々 」
・ 桜田門事件 「 陛下にはお恙もあらせられず、神色自若として云々 」
昭和の聖代 ( ・・・番外編 / 昭和二十年八月十五日 を 主題としたもの )
・ 佐々木二郎大尉の八月十五日
・ 「 挙国の士以て自立するなくば即ちその国倒る 」
・ 亡き戦友の声
満井佐吉
進退の件御伺
佐吉儀
昨年末、相澤中佐同期有志及同中佐知人ヨリ公判特別弁護人ヲ受諾セル以來、
近年國家及皇軍ノ容易ナラザル實情ニ在ルヲ憂慮シ、就中、相澤事件公判ノ取扱ニシテ一歩ヲ誤レバ、
實力行動ノ突發等容易ナラザル事態ニ陥ルコトナキヤヲ杞憂シ、殊ニ之ガ取扱ニ際シ、
必要以上ニ軍過去ノ歴史的旧事件ヲ暴露シ、故ラニ軍内中級及靑年將校同志ノ感情ヲ激發、
再燃スルコトアラバ、皇軍靑年將校 互ニ入リ亂レテ實力行動ニ移リ、
遂ニ収拾スベカラザルノ難局ヲ展開スル禍因トナルコトナキヤヲ深慮シ、
斯ノ如キ實力行動ヲ未然ニ防止シ、該公判ヲ以テ皇軍ノ精神的一體化ノ契機タラシムルト共ニ、
公判ノ辯護ヲ通ジテ、國民ノ先達タル重臣及財界、政界ノ巨頭其他ニ、
此ノ行詰レル現下ノ情勢ヲ保守センガ爲メ、皇軍ヲ使嗾しそうシテ軍本然ノ統帥ヲ攪亂セントスルハ、
現下ノ國情ニ於テ、國家ノ安泰ヲ期スル所以ニ非ズ。
却テ祖國ヲ破滅ニ導クモノナルコトヲ理解セシメ、公判ニ對スル部外政治勢力ノ作用介入ヲ未然ニ防止シツツ、
以テ窃ひそカニ公判ノ公正ヲ念願スルト共ニ、本公判ノ進行ガ實力行動殊ニ過去ノ歴史的事件等
旧來ノ感情對立ヨリ來ル皇軍中級靑年將校同志ノ實力相撃ヲ誘發スルコトナカラシメ、
之ガ爲メニハ、一々、他方靑年將校等ヲシテ公判ニ於ケル小官ノ合法的努力ニ信頼期待シ、
以テ鬱憤ヲ實力行動ニ天下スルノヲ必要ト感ゼラシムル如ク、
現下ノ國情認識ヲ基礎トシ十分ニ辯護ヲ進メント企圖シツゝ、本公判ニ臨ミタリ。
然ル処、最近ニ於ケル國軍及國家實情ノ重大性ト、其ノ急迫トニ關シテハ小官モ亦正當適確ニ之ヲ認識スルコト能ハズ、
公判ハ誠ニ險惡重大ナル國家國軍實情ノ上ニ進行セラレ、小官ノ辯護ハ幸ニシテ、
軍過去ノ歴史的事件ノ感情ニ發スル靑年將校同志想撃ノ杞憂ハ之ヲ未然ニ防止スルノ目的ヲ達シ得タルガ如キモ、
遂ニ一部靑年將校ノ重臣其他ニ對スル實力行動就中兵員ヲ指揮シテ行ヘル武力突進ヲ見ルニ至リ、
殊ニ右一部靑年將校中ニハ小官ノ知友モ亦參加シアルハ、寔ニ恐懼ニ堪ヘズ。
相澤中佐公判ノ經過ハ極メテ順調ニ、且ツ小官最初ノ希望ノ如ク進ミアリト思惟セルニヨリ、
靑年將校等之ニ信頼期待シテ敢テ實力行動ニ出ヅルコトハ之ヲ愼ムモノト信ジアリタルニモ拘ラズ、
遂ニ小官最初ノ目的ヲ果ス能ハズ、却テ小官ノ辯護ガ實力突進ヲ誘發セルガ如キ観ヲ呈スルニ至レルハ、
誠ニ恐懼措ク処ヲ知ラズ。
若シ他人ヲ以テ之ガ特別辯護ニ當ラシメシニ於テハ、或ハ事端發生ヲ見ルニ至ラシメズシテ、
時勢ヲ善導シ得タランカトモ愚考ス。
玆ニ二月二十六日事件ノ發生ヲ見テ、小官辯護ノ跡ヲ顧ミ、只管恐懼ノ極ミニ堪ヘズ。
乃チ謹ミテ進退ヲ伺ヒ奉ル。
昭和十一年二月二十八日
陸軍大學兵學教官 陸軍歩兵中佐 満井佐吉
陸軍大臣 川島義之殿