あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

山口一太郎 ・ 戒嚴司令部での意見具申 『 昭和維新の功勞者なる蹶起部隊を反亂軍とは何たる也 』

2019年12月25日 14時18分38秒 | 山口一太郎

被告の原則の如く上層部工作を爲したるものと認め難し。
殊に二十八日の戒嚴司令部に於ける言動は恰も行動將校と同様なり  ・・・法務官
今迄の努力が無になると思へば
落胆の余り 半狂亂となつて勅命を延期すべく申したのであります。

然し此頃から殆ど
行動將校と一処になつてもよいと思ひました。



山口一太郎 

二十七、八日の境、
鐵相官邸に居た山口大尉は、
柴大尉から遣いの自動車で至急陸相官邸へ向かう
陸相官邸には、松平紹光大尉も居た。
柴有時大尉は、

「 明朝五時 ( 二十八日 ) 行動部隊引上げの奉勅命令が下ることになつて居る 」 と告ぐ。
山口大尉は、官邸に宿する小藤恵大佐、鈴木貞一大佐 を起した。
そして、先發として松平大尉を戒嚴司令部に派遣し、次で一同は司令部に向つた。

山口一太郎大尉
二十八日、戒嚴司令部での言動 


「 今、陸相官邸を出て陸軍省脇の坂を下り三宅坂下の寺内銅像の前にさしかかると、
 バリケードがつくってあった。
半蔵門前からイギリス大使館の前にかけては部隊がたむろしている。
戰車も散見する。
あのバリケードは何のためのバリケードだろうか。
あの部隊は何のための部隊だろうか、
そして物かげにかくれている戰車はどんな意味なのだろうか。
聞くところによれば、
明日蹶起部隊の撤退を命じ 聞きいれなければこれを攻撃されるという。
蹶起部隊は腐敗せる日本に最後の止めをさした首相官邸を神聖な聖地と考えて、
ここを占據しておるのである。
そうして昭和維新の大業につくことを心から願っているのに
彼らを分散せしめて
聖地と信じている場所から撤退せしめるというのはどういうわけであろうか。
しかも、彼らは既に小藤部隊に編入され警備に任じておるのに、
わざわざ皇軍相撃つような事態をひきおこそうというのは、一体どういうわけであるのか、
皇軍相撃つということは日本の不幸これより大なるはない、
同じ陛下の赤子である。
皇敵を撃つべき日本の軍隊が
鐵砲火を交えて互いに殺しあうなどということが許さるべきことであろうか。
今や蹶起將校を處罰する前に、この日本を如何に導くかを考慮すべきときである。
昭和維新の黎明は近づいている。
しかもその功勞者ともいうべき皇道絶對の蹶起部隊を
名づけて反亂軍とは、何ということであろうか、
どうか、皇軍相撃つ最大の不祥事は未然に防いでいただきたい。
奉勅命令の實施は無期延期としていただきたい 」


この記事についてブログを書く
« 赤子の微衷 (二) 渦中の人達 | トップ | 山本又 豫備少尉の四日間 『... »